自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

成長神話の崩壊を人間回復、農業復権の夜明けに

2015-04-25 13:20:02 | 自然と人為
デーリィマン 2009年2月号『時評』の改訂版

「済民」を切り捨てた貨幣経済
 経済とは「経世済民」、世を経(おさ)め、民を済(すく)う―という政治・統治・行政全般を意味する言葉でしたが、貨幣経済が浸透した江戸時代後期には利殖を意味して使用されるようになり、「今世間に貨殖興利を以(もっ)て経済と云ふは誤りなり」と批判も出ています。「貨幣はいつまでも使用される」という民の信用によって流通していますが、貨幣経済はその民の信用に報いることなく、「済民」を切り捨ててしまったようです。

 日本の商いの伝統は「暖簾(のれん)」の信用を守り続け、人を大切にすることでしたが、市場主義経済では会社の生き残りのために最初に人を切ることを恥ともしないようです。また、このような貨幣経済の暴走を食い止めて国民の生活を守るのが政治や行政の役割ですが、どうやら政治や行政まで「農業、福祉、医療を切り捨てても、経済成長が国民を豊かにする」と誤解しているようです。

農業の近代化に「経済学のわな」
 規制撤廃した自由市場経済により繁栄がもたらされるとした市場主義経済に理論的根拠と方法を与えたのは経済学です。この「経済学のわな」はアダム・スミスの手から離れて経済学が成立したときから抱えている問題です。学問の専門化が発生するときの宿命として、科学も経済学も人間を切り捨てることで、専門の純粋性と客観性を維持し、その一方で現実世界から乖離してしまうのです。ことにアダム・スミスの「国富論」が経済学として独立して歩き始めたときに、彼のもう一つの著作「道徳感情論」に示された人間の本性である共感を求めて行動する社会的存在が切り捨てられました。そして、「自由な市場で利益の最大化を求める利己的な行動が国の繁栄をもたらす」という常識が成長神話とともに世間を闊歩(かっぽ)することになってしまったのです。

 農業の近代化は「農業は生活である」という考え方を否定し、専門家は農学が実学であることを軽蔑し、「生産費」という机上の空論を信じて「農業経営から家計を分離すべき」と生産コストの削減を求めましたが、そこに農業から農家を、そして人間を切り捨てる「経済学のわな」があることにお気付きでしょうか。

誤ったシステムの下では個人の努力は報われない
 日本の農業、農村の荒廃は食糧自給を放棄して、選択的規模拡大による専業農業を推進し、地域のつながりを破壊してきたことに起因しています。ことに畜産はアメリカの余剰農産物に依存することを原点として、原料輸入型の工業的畜産を推進して来ましたが、今やアメリカにとって農産物は余剰ではなく戦略的物質となり、アメリカ大陸を横断するよりも太平洋を船で安く運搬できるという神話も怪しくなってきました。安いアメリカの農産物に依存して作られた飼料輸入から畜産物の加工、販売までのシステムの根拠が薄らいできているのです。
 飼料高、エネルギー高では、このシステムの維持の価値は小さく、ましてや家畜生産部門は努力しても経営が改善できる見込みは少ないでしょう。その上にSPS協定で防疫より貿易を重視させ、TPPで関税だけでなくそれぞれの国の制度を支配しようとするアメリカの思惑と日本の高齢化で農業や畜産は存続の危機にあります。日本は政府が農業を支配していますが、アメリカは政府より大企業が畜産を支配していること、日本の高齢化の問題は政府だけでなく3世代家族で支えなければならないことに視点を注ぐ必要があると思います。

 農業の原点は経営ではなく、地域資源に依存した生活にあります。農業の選択的規模拡大と加工型畜産を推進してきた国の責任は大きく、地方創生とは農業経営の国際化対応の改善ではなく、農業を地域の生活の基盤とし、畜産を地域資源の維持管理につなぎ、専業農家との絆、地域産業との絆、3世代家族の生活との絆をどうつないでいくかが問われている問題です。絆とは愛のあるシステムであり、愛とは「後ろ髪をひかれる」ように相手を気にすることで、愛に日が当たれば暖かいシステムになります。

富の唯一の源泉は農業である
 2009年の丑(うし)年は成長神話崩壊の夜明けに始まりました。豊かな生活のために経済成長が必要であると言う成長神話は、人をモノと扱うまでに欲望を暴走させて、人と人、人と自然の関係をズタズタに切り裂いてきました。今、その時代が終わろうとしているのです。貨幣経済で利益を追求しても、「一方の得は一方の損」(モンテーニュ)で富の偏在は生じますが全体の富の増加はありません。太陽エネルギーによってもたらされる自然の恵みを循環的に食物連鎖でつないで生きているのが生物であり、生物の一員である人間が生きていくのを支えているのが農林漁業です。資源のことを考慮に入れると「富の唯一の源泉は農業である」ことは普遍的な真理なのです。成長神話の崩壊を人間回復、農業復権の夜明けとするには、世界は一つ、人と自然も一つであることに目覚め、他者と多様性を大切にして、ハイブリッド(雑種・混合)につながりながら共に生きることが必要です。

再生可能なシステムをつくる時代
 利益を得るために経営があるのではなく、技術やシステムが地域や他国に貢献するために経営が必要なのです。これからは「つなぐこと」で再生産可能なシステムを創る時代です。これまでのシステムは自分の生き残りのために他のシステムを食う合併で巨大化し、生産の多様性を失うとともに、生産と消費を現場でつなぐ小回りがきかなくなってきました。現在の大きな市場は無くならないでしょうが、生産と消費、都市と農村をつなぐ小規模の多様なネットワークが必要とされ、一人が複数のネットワークとつながる時代が来るでしょう。そんなの忙しい? 否! 忙しいと心が滅びます。ゆっくりと1歩、1歩、深く息を吸いながら歩いて行きましょう。

 輸入飼料から国内資源に依存したした畜産にどう切り替えて構築して行くのか。固定観念を脱皮するためには、生産、消費、流通、行政、研究等の関係者が複数のネットワークでつながり、生産方式、流通の変革、農地法等を共に学びながら未来を切り拓いていく必要があります。畜産は食の供給だけでなく、放牧による里山の維持管理に貢献し、放牧の美しい景観に市民が集い、憩い、交流、学習、教育の場を提供することができます。これからは生産と消費、都市と農村、人と人をつなぐ仕事が畜産の重要な仕事になるでしょう。

初稿 2009.2 更新 2015.4.25

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