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益田杏奈@竹原-3

2017年08月03日 | 益田杏奈 松浦里紗 まい 水無月いと みゃ みどり

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出雲王朝42-出雲国造家の火継ぎの神事

2017年08月03日 | 記紀創世紀

 すでに紹介した火継ぎの神事、天皇家は日を継承し、出雲国造家は火を継承してきた。そっくりな両家であるが、天皇家は天皇家の祖神を祀り、祖の神霊を引き継いでいるのに対して、出雲国造家は始祖・天穂日命の霊を引き継ぎ、さらにその天穂日命は出雲神・大国主命でもあるということである。出雲国造家にはまだ不可解な行事が多い。その一つが8月14日の深夜に執り行われる神幸祭で別名身逃げの神事といわれるものである。行事のクライマックスは8月11日から始まる。出雲大社の近く、稲佐の浜で禰宜が海水で身を清め潔斎所に籠る。13日の晩には出雲大社の摂社で櫛八玉神を祀る湊社に参拝し、稲佐の浜の塩掻き島に参拝する。この一連の行事は道見という。そして14日の深夜、出雲大社境内のあらゆる門が開かれ狩衣を着こんだ禰宜が右手に青竹の杖、左手に真菰の苞と火縄筒を持って、裸に足半草履の格好で姿を現すと祝詞をあげ神幸を始める。禰宜の役割は大国主命のお供であり、神幸する禰宜の姿を誰一人見てはいけないというところが謎である。もしも見られたら穢れたとして最初からやり直すという徹底ぶりである。誰にも見せない祭など他には例はない。

出雲国造家に残る不可解な行事 火継ぎの神事は熊野大社・鑚火殿で行われる

 

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MELO@須磨離宮-10

2017年08月03日 | 松原三絢 村信遙 MELO めぐみ 美紀 みつき Mippo

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