フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 私の新しい本『村上春樹と一九九〇年代』(おうふう、税込2625円)を刊行しました。

 この本『村上春樹と一九九〇年代』は、千田洋幸さん(東京学芸大学教授)との共編著で、私たちを含めて19名の執筆者が共同して論文や研究史を執筆しています。目次は以下の通りです。


【論文編】

第Ⅰ章 一九九五年・震災・オウム

矢野利裕
  
二つの世界と境界線の力学――90年代の村上春樹をめぐって
山田夏樹
  「満州国」にまつわる暴力性と〈ノンフィクション〉の〈虚構〉性
    ――村上春樹『アンダーグラウンド』における「総括」の方法
山下真史

  『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』
    ――村上春樹のコミットメント
野中潤

  〈悲観的な希望〉を生きる
    ―連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』論
千田洋幸

  「蜂蜜パイ」・『輪るピングドラム』における分有への意志
    ――あるいは、一九九五年以後の“生存戦略

第Ⅱ章 〈総力戦〉としての長編・中編小説

木村友彦
  『ねじまき鳥クロニクル』論

    ――方法としての〈描写〉/作用としての〈象徴〉
大川武司

  固有名・歴史・声 ―村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』論
齋藤祐
  『国境の南、太陽の西』再読――根源としてのリアル
石川治樹
  『スプートニクの恋人』
    ――重なり合う断片、可能性としての/への移動

第Ⅲ章 短編小説の試み

長谷川達哉
  日々の泡 ――『トニー滝谷』と大量消費社会

大高知児
  『青が消える(Losing Blue)』の可能性
    ――〈パラレル・ワールド〉の物語は〈いま・ここ〉に何を問いかけるのか
駒ヶ嶺泰暁

  「レキシントンの幽霊」論
    ――「僕」は「オールドマネー」の途絶に、どのように立ち会ったのか
早川香世

  教材としての「待ち伏せ」  〈リアル〉と〈フィクション〉のパラドクス

第Ⅳ章 村上春樹ワールドの多面性

田村謙典
  ベストセラーが現象させた「フラット化」の条件

    ――村上春樹『ノルウェイの森』の受容風景から
藤崎央嗣
  
葬送小説としての村上春樹
金井二朗
  ア・ポートレイト・オブ・ハルキ・ムラカミ
宇佐美毅
  村上春樹は嘘をつく/嘘をつかない

【研究史編】
齋藤佑  『国境の南、太陽の西』
木村友彦 
『ねじまき鳥クロニクル』
石川治樹 
『スプートニクの恋人』
山田夏樹 
『アンダーグラウンド』『約束された場所で』
藤崎央嗣 
短編小説(九〇年代前半)
松井史絵 
短編小説(九〇年代後半)
大石將朝 『神の子どもたちはみな踊る』


 前著『村上春樹と一九八〇年代』(2008年)から3年半を経て、対象を「一九九〇年代の村上春樹作品とその時代」に移して再度研究に取り組みました。一九九〇年代と言えば、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などがあった時代であり、村上春樹文学の転機となったとも言われている時代です。その時代の村上春樹作品『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』『国境の南、太陽の西』や短編集『神の子どもたちはみな踊る』、さらにはルポルタージュ『アンダーグラウンド』『約束された場所で』などを研究対象とし、19人がそれぞれの観点でこの時代の村上春樹をめぐる課題を論文化しています。
 一九九〇年代の村上春樹を論じるには、一九八〇年代とは異なる社会的文脈や方法を用いる必要がありますが、収録された論文はいずれもこの課題と正面から向き合っていると思います。
 一読いただければ幸いです。





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