夏目漱石原作の映画『こころ』(日活、1955年)を見ました。
監督は最近亡くなった市川崑監督ですが、そのために見たわけではありません。実は中央大学の講義で夏目漱石『こころ』を取り上げる関係で、学生にこの映画を見せてみようと思ったからです。配役は「先生」が森雅之、「奥さん」が新珠三千代、「K」が三橋達也、「青年」が安井昌二でした。
ちなみに私は、授業(講義科目)で映画・テレビドラマ・テレビ番組などの映像を使うことがたまにあります。映像を使うことの利点は、ずばり「わかりやすい」ということにつきます。文章や言葉による説明よりもイメージが湧きやすく、特に私が担当する1~2年生中心の講義科目では効果があります。
ついでに言えば、90分という講義時間は学生には少し長すぎるようで、学生を退屈させないという効果もあります。
ただし、映像を使うことのマイナスも当然あります。
本来、文学作品は言語によるもので、そこから映像的なイメージを創り出すことは読者の特権でもあり、一種の義務でもあると思います。それを、他人の作った映像を見せられては、自分の想像力を発揮する余地がなくなります。その点で、映像を使って授業をすることにはかなり注意も必要だと考えています。
また、映像を使った授業をすると、その次の授業で映像を使わなかったときに、中には、「なんだ、今日は映像がないのか」といった反応をする学生もいて、そのあたりに難しい面もあります。
話を映画に戻しますが、この映画『こころ』は、1955年の作品ですから、私が生まれる前の古い作品です。ただ、あまり最近になって作られた作品では、かえって昔のイメージが湧かないところもあるので、古い文学作品の映像を見せるのに、これくらい古くさい映像の方がいいかもしれません。
また、当然のことですが、映画は文学作品を原作にしているというだけで、別個の作品です。私もこの映画を見ていて、原作から多くのものを削除している、また原作にないエピソードやセリフを付加している、と感じました。ただ、映画を講義で使う以上、「原作通りでないからダメ」というのではなく、「原作のどこをどう変えていくのか」という視点を入れながら、そこにも興味を持って授業をしてみたいと思っています。
あと少しだけ映画の印象を書くと、比較的原作のセリフをそのまま生かしていると感じました。これまでに、文学作品を原作にした映画を数多く見てきましたが、原作の原型が残らないくらい改変されることが多いようです。その点で言えば、原作のセリフの多くは削除されているものの、他の文芸映画に比べれば、原作のセリフがかなり生かされているように思いました。
撮影当時40歳を過ぎていた森雅之の学生服姿には、「コスプレか!」と突っ込みを入れたくなりましたが。
大学の教授さんが慎吾くんのドラマ「薔薇のない花屋」を見ているなんて、なんかとても嬉しいです。
感想を読んで、私はたくさん気づいてなかったことがあったんだなと思いました。
ああ、もう一度最初から通して見たくなります笑
2回目は、きっといろいろ最初見たときには気づかなかった、セリフの裏側の感情がわかるんだろうな。
・・・・どうして、コメントをしようと思ったか。
それは、少し言いにくいんですが、たぶん美緒ではなかったはずです。
白戸「美桜」ちゃんでは・・・?
では、失礼しました。
さっそく「美緒」と書いてあった間違い箇所を「美桜」に訂正しておきました。あまり丁寧に見直す時間がないので、学生にも時々間違いを指摘されます。また気付いたら教えてください。
ところで、『薔薇のない花屋』というタイトルのヒロインが「美桜」って、考えてみるとこれも面白いですね。そこにも花の名前が使われているなんて。「美桜」には英治の冬の季節を終わらせる「春」の満開の桜がイメージされているとか……。
ちなみに、コメントが『薔薇のない花屋』のページではなく映画『こころ』の方にあったのはなぜでしょう?まあ、いずれにしても、コメントと御指摘ありがとうございました。
森雅之の学生服姿は「コスプレか!」とつっこみを入れたくなりますね。回想シーンの新珠三千代の若さや美しさとあまりに違いすぎて,笑うしかないという感じです。自分も当時の森雅之とほぼ同年代なので,ほんとうは笑ってはいけないんでしょうけど…。