My Pug Log

「MY PUG」は、生前のパグの名前『舞』から摂ったものです。
これからは夫婦二人を、気ままに綴っていきます。

旧い下丸子を歩く

2012-07-16 12:41:13 | 歩く
早朝なので橋の上は車も人の姿が見られない。
青空のはずなのだが空の色は灰色。休日の月曜日、土手の上は静かです。
欅の並木通り、現在191本あるという。(カウントしてないけど、その位ありそうだ)
新田義興が矢口の渡で殺されたとき義興を救うため、家来のうち3人が川を泳いで渡り、敵陣に切り込みんだ。その忠臣の土肥三郎左衛門、瀬口六郎、市河五郎を祀ってあるという。 祠の中にある時計は1時間ほど遅れていた。
下丸子商店街の裏にあった小さな社。鳥居には明治32年9月とあり、祠の中には「大六天璽」の木札が立っていた。
学校に行く学生と、酒臭い二人連れがホームに座っていた。
五差路にある歯科医院前の横断歩道にそれは立っています。石碑を良く見ると、上部は欠けていて大師霊場の文字で、欠けた上部は光明寺が保有しているという。いずれにしても碑文は摩耗していて読みにくい部分が多い。
寺の由緒を見るといわれがあるようで、数多くの仏像や文書類を保有しているようだ。
環状8号線を作る際、境内を削ったので狭くなっている感じ。
境内の左にこの像が立っているのですが、眼差しがとても優しいので写してきた。
六郷用水南北引分けの案内タイルのところから、南堀へ向かってみた。タイルは環状8号線のところで見当たらなくなる。でも、地図の上からはトレースが出来そうなので後日歩いてみることにして「頓兵衛地蔵尊」へ向かう。
最近有志により改築されたのでお堂などがきれいになった。
やはり矢口の渡しで殺された新田義興主従に関係しているようだ。
堂内を覗くと地蔵尊が祀られているが顔がない。とろけ地蔵の所以なのだろう。
高層マンションの上に頂上だけの富士山が見えてきた。
まだ残雪が残る富士山、今年は遅くまで雪が降ったので多かったのでしょう。
旧い下丸子を探してひと歩き。 5時~7時 5.5kmを歩く

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