(カイラス聖山
この聖山を目にする事は
如来を目にする事と同じであるとされます。)
「発菩提心破諸魔経」の経文の一部でも
誦したり 聴いたり 書写したり 他人に教えたりする事で
一切の罪や苦が滅し
一切の法が成就するとされます。
以下 「発菩提心破諸魔経」の一部です。
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「仏言(ぶつごん)
婆羅門(ばらもん)
声聞縁覚(しょうもんえんがく)
如来解脱無種種相(にょらいげだつむしゅじゅそう)
婆羅門(ばらもん)
譬如有人乗三種獣欲詣宝所(ひにょうにんじょうさんじゅじゅうよくけいほうしょ)
雖所履道随有差別(ひしょりどうずいうさべつ)
彼所向処而無有異(ひしょこうしょにむうい)
其三獣者謂(ごさんじゅうしゃい)
驢馬象(ろばぞう)
彼驢乗者力勢るい劣(ひろじょうしゃりきせいるいれつ)
由此因縁(ゆうしいんねん)
是人雖至宝所(ぜんにんすいしほうしょ)
不能以其珍宝広施衆生(ふのうにごちんぽうこうせしゅじょう)
但楽自利取証涅盤(たんらくじりしゅしょうねはん)
彼馬乗者軽利快捷(ひばじょうしゃけいりかいしょう)
由彼力故(ゆうひりきこ)
是人雖至宝所(ぜにんすいしほうしょ)
亦復不能以其珍宝広施衆生(やくぶふのうにごちんぽうこうせしゅじょう)
但与衆生作浄福田(たんよしゅじょうさじょうふくでん)
彼象乗者行歩平正勇健多力(ひぞうじょうしゃぎょうほへいしょうゆうけんたりき)
由彼力故(ふうひりきこ)
是人得至一切宝聚広大城中(ぜにんとくしっさいほうじゅこうだいじょうちゅう)
至彼城已即作是念(しひじょうちそくさぜねん)
三乗珍宝皆於此出(さんじょうちんぽうかいおししゅつ)
我当以此無量珍宝(がとうにしむりょうちんぽう)
普施無返一切衆生(ふせむへんいっさいしゅじょう)
広為衆生作大利楽(こういしゅじょうさだいりらく)
婆羅門(ばらもん)
三乗行人修三乗法(さんじょうぎょうにんしゅさんじょうほう)
亦復如是(やくぶにょぜ)
彼驢乗者即声聞乗(ひろじょうしゃそくしょうもんじょう)
彼馬乗者即縁覚乗(ひばじょうしゃそくえんがくじょう)
彼象乗者即是大乗(ひぞうじょうしゃそくぜだいじょう)
汝今当知(にょこんとうち)
彼三乗道雖種種相(ひさんじょうどうすいしゅじゅそう)
所証涅盤(しょしょうねはん)
所得解脱(しょとくげだつ)
無種種相亦無差別(むしゅじゅそうやくむさべつ)
婆羅門(ばらもん)
又如世間有三士夫(ゆうにょせけんうさんしぶ)
倶欲過渡一深大河(ぐよくかどいっしんたいが)
彼第一人依一小葉浮水而渡(ひだいいちにんえいちしょうようふすいにど)
彼第二人而勝於前(ひだいににんにしょうおぜん)
依其板木浮水而渡(えごばんもくふすいにど)
彼第三人又復勝前(ひだいさんにんゆうぶしょうぜん)
乗以大船与多人衆(じょうにたいせんよたにんしゅ)
安穏而渡得至彼岸(あんのんにととくしひがん)
此復猶如世間長子(しぶゆうにょせけんちょうし)
使其父母無所防護(べんごふぼむしょぼうご)
於一切処離諸憂悩(おいっさいしょりしょうのう)
婆羅門(ばらもん)
彼第一人依葉而渡者(ひだいいちにんえようにどしゃ)
当知即是声聞乗人(とうちそくぜしょうもんじょうにん)
彼第二人依其板木而得渡者(ひだいににんえごばんもくにとくとしゃ)
当知即是縁覚乗人(とうちそくぜえんがくじょうにん)
彼第三人乗船得渡者(ひだいさんにんじょうせんとくどしゃ)
当知即是菩薩乗人(とうちそくぜぼさつじょうにん)
自所得度復度他人(じしょとくどぶどたにん)
婆羅門(ばらもん)
是故当知(ぜことうち)
彼三乗人所修行法雖種種相(ひさんじょうにんしょしゅぎょうほうすいしゅじゅそう)
而声聞縁覚(にしょうもんえんがく)
及彼如来所証涅盤無種種相(きゅうひにょらいしょしょうねはんむしゅじゅそう)
爾時(にじ)
世尊(せそん)
欲重宣此義而説偈曰(よくちょうせんしぎにせつげわつ)
「三乗証涅盤(さんじょうしょうねはん)
同一涅盤法(どういつねはんほう)
証道雖差別(しょうどうすいさべつ)
涅盤無二相(ねはんむにそう)
三世一切仏(さんぜいっさいぶつ)
得最上解脱(とくさいじょうげだつ)
如是等法眼(にょぜとうほうげん)
正覚尊所節(しょうがくそんしょせつ)
是最上法智(ぜさいじょうほうち)
出生諸方便(しゅっしょうしょほうべん)
諸有修行者(しょうしゅぎょうしゃ)
応当如是学(おうとうにょぜがく)。」