ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.5 根城

2011年12月04日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2011年12月4日(日)


この日は、「根城南部氏」の居城で、「日本百名城」のひとつ「根城」を訪問した。


根城は、建武元年(1334)に南部師行(なんぶもろゆき)によって築城されたと伝えられている。
南部氏は甲斐国(現在の山梨県南部町・身延町)に拠点を置いた有力な鎌倉御家人であり、
南北朝時代には北畠顕家(きたばたけあきいえ)に従い奥州における南朝方の中心的な存在として活躍、
その勢力は現在の秋田県比内・鹿角地方、岩手県閉伊・遠野地方まで及んだ。

南部師行は、延元三年(1337)、北畠顕家と共に泉州石津(堺市)で
北朝方の足利軍との戦いに破れて討死するが、
その後も根城は師行の子孫らによって守られ、南部氏の居城としてこの地に住み続けた。

秀吉の時代、根城南部氏は同族の盛岡南部氏の家臣格となり、寛永四年(1627)、遠野へ領地替えとなる。
これにより、根城は城としての役割を終えることになった。
この間の約300年間、根城は”一度も落城することがなかった名城”と云われている。


八戸市博物館前の南部師行の銅像


旧八戸城東門
この門は、八戸城の東門で安政六年(1857)の大風のため倒れ、家臣の木幡氏の門として建て替えられた。
伝承によれば、もともと根城にあった大手門を八戸城に移したと云われている。(説明板より)
史跡根城の広場」の表門でもある。


内側から見た旧八戸城東門
八戸市有形文化財に指定されている。


東門を潜ると、直ぐに三番堀(空堀)がある。
こちらは北側になるが、反対側にも同じような空堀がある。
かなりの深さである。


東善寺跡
松の木の林に囲まれてひっそりとお墓が佇んでいた。


東善寺館は曲輪のひとつで、他に本丸・中館・岡前舘・沢里館の4つの館(曲輪)がある。


芝生広場と中館との間の堀跡


中館跡
芝生の広場になっている。隅っこに復元された建物が見える。


復元された中館の館


中館にある本丸の模型


木橋を渡ると本丸である。
木橋は敵が攻めて来た時に渡れないように落せるようになっている。
手摺りは安全のために取りつけてある。


橋を渡り、左に曲がると奥に本丸の東門が見える。


本丸東門
本丸に入る時の正式な門である。


内部の配置図


納屋は、竪穴式の建物で萱葺きの屋根が地面近くまで葺きおろされている。


納屋の中は地面を30センチほど掘り窪めて土間とし、食糧や米、味噌、梅漬けなどを貯蔵するようになっている。


主殿
当主が特別な来客と接見したり、さまざまな儀式を執り行なったりした建物と考えられている。
儀式で使う道具や南部家に伝わる重宝もここに納められ、大切に管理されていた。


主殿を入ったところが台所になっている。


詰之間
食事を準備したりする使用人たちが詰めていた場所。


茶之間


控之間


二の間
当主と接見する前に来客がここで待たされる。


主殿の広間


中では正月十一日の儀式の様子が再現されている。
膳には質素な食べ物が並んでいる。


祈祷之間


外に出ると、上馬屋があり、当主が所有していた駿馬が繋がれていた。


少し離れた所に大きな馬屋(中馬屋)がある。


こちらの馬屋は来客用の馬を繋いでいたところと考えられている。


井戸
説明板には、「この井戸はかなり深く、危険なため底まで掘り下げることはできませんでした」と書かれていた。


番所
この建物は、西門を通る人を監視するための番人が詰めていたところ。


物見跡
この建物跡は、遠くを見張るための櫓があったところ。
敵の気配や荷物を積んで馬渕川を行き来する船の様子を高い所から見張っていた。


儀式の祭壇跡
土まんじゅうのように高く盛り上がっているところは、神様が祭られた神聖な場所と考えられている。


工房


中は、弓や矢などの武器また鎧などの製作・修理を行っていた状況が展示されている。


常御殿
この建物跡は、当主が寝起きし、領内を納めるための仕事をしていたところ。
重臣たちと協議したり、来客と接見するための広間や寝所、従臣の詰所などがあったと考えられている。


野鍛治場
屋外の鍛冶場で、壊れた鉄鍋や銅銭などを溶かす作業をしていたところ。


鍛治工房
この建物は竪穴式で、地面から90Cm下にある鍛冶場では職人が鎧や刀の部品の他に、釘などを作っていた。


鎧や刀の部品などを作っていた状況が展示されている。


鍛冶場にはフイゴや炉などが展示されている。


奥御殿
この建物は、当主の家族が住んでいたところで、先祖の霊も祭られていた。
当主は先祖の拝礼や家族の様子を窺うために、常御殿から通って来た。


板蔵の内部
当主やその家族が奥御殿で使う道具や衣類などが納められていた。


ここに出入りするのは奥御殿に仕える女性たちで、品物の出し入れや手入れを慎重に行っていた。


本丸から中館を望む



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