ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.13 白河小峰城

2011年03月06日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2011年3月6日(日)


この日は、キャンピングカーのバッテリー充電のため、かみさんと連れだって栃木県道の駅「どまんなかたぬま」に向かって
車を走らせていた。
東北道佐野ICまで来た時に急に気が変わり、100名城巡りをして行こうということになり、「白河小峰城」へハンドルを切った。

白河小峰城」は、単に白河城とも小峰城ともいう。
南北朝時代の1340年に、結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。
天正十八年(1590)城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されると、その後、この地は会津領となり、
蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配した。

駐車場から見た「白河小峰城」の三重櫓


いきなりの訪問で、予備知識も全く持ち合わせていなかったため、案内図がたよりである。


太鼓門は現在はなく、「太鼓門跡」の案内板があるだけだ。
当時は太鼓門の両側は堀があり、石垣の上に建てられていた。
明治後期まで石垣はあったようだが、現在は堀とともに何も残っていない。


二の丸(公園)の中を進むと「小峰城址」の碑が建てられている。


会津門辺りから見た小峰城の石垣




会津門は現在、公園の入り口になっている。


会津門を入った辺りから見た白河小峰城の石垣
下段が帯曲輪の石垣、上段が本丸の石垣である。


緩やかな曲線の石垣には何とも言えない美しさがある。
石垣の上には、戊辰戦争の追悼碑が建てられている。


清水門の西側から見た石垣
この上辺りに「月見櫓」があった。


清水門の手前から見た三重櫓


本丸への入り口、清水門


清水門の両側には堀になっている。これは右側にある堀。


清水門を入って左側へ進む。


櫻門跡の石垣


櫻門の石段を登ると・・・


広い本丸に出る。
本丸の一角に再現された前御門三重櫓をみることが出来る。


こうして見ると小さいながらもなかなかの櫓である。
一見天守閣のようにも見える。


多門櫓跡から二の丸を望む。


三重櫓の入り口


三重櫓入口から前御門と二の丸(公園)方面を望む。


三重櫓の中へ入る。
復元されて間がないようで新しい。


階段上り口に戊辰戦争の鉄砲の弾の跡が残っている板があった。
激戦地だった松並稲荷山の杉の木に鉄砲の鉛玉や弾痕が発見され、それを加工したものが使用されている。


最上階の3階はかなり狭い。


棟札には、平成二年四月に復元されたと記されている。


三重櫓から那須岳、旭岳方面を望む。


本曲輪から三重櫓を見る。
やはり桜の時期が似合うのだろう。


雪見櫓跡


寛永四年(1627)丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封され、幕命により、
寛永六年より城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして寛永九年(1632)に完成した。
主な改修者である丹羽長重築城の碑が建てられている。


竹之丸から前御門と三重櫓を望む。


竹之丸から清水門の石垣を望む。
堂々とした美しい石垣である。


清水門から撮影した「白河小峰城」



「白河小峰城」を訪れ、復元されたものとは言え本丸の一角にそびえる三重櫓に、お城の美しさを再認識した。
実に堂々とした立派な石垣が強く印象に残った、今回の100名城巡りであった。


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