ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

日本100名城巡り No.34 七尾城

2011年04月16日 | ウマさんの「日本100名城」巡り
2011年4月16日(土)


日本五大山城のひとつである七尾城は標高300mの山の上にあった。
スタンプは麓の七尾城史資料館にあるため、先にスタンプを押してから山上の城跡へ向かうことにした。
七尾城史資料館は立派な建物だ。
スタンプを押し、七尾城跡の案内図と資料を貰って車で15分ほどの山上の城跡に向かった。


山上の駐車場から七尾市の町並みが一望できる。


城跡への道は、木の破片を細かく砕いたものが敷き詰められていて、柔らかくて歩き易い。


堀切を渡って左側を見上げると、本丸の石垣が見える。
高さは30mほどはあるだろうか。


石垣手前の調度丸跡
弓矢などの武具を整えた場所で、多数の出土品が発見されている。


本丸に至る野積みの五層の石垣
まるで何かの芸術品のような造りだ。


本丸に至る石の階段


段々畑のように組み上げられた石垣
七尾城で最大規模の石垣である。


桜の馬場跡
軍馬の調練などを行った馬場


桜の馬場跡の先に城主畠山氏を補佐する八臣の一人温井氏屋敷跡がある。
今は、杉林となっている。


九尺石はその先である。
城の鎮護の要石で、大きさにちなんでこの名がある。
約2.7mということであろう。


ここから先は高低差があり、足場が悪そうなため、かみさんは先に本丸に向かい、
自分ひとりで二の丸、三の丸、安寧寺跡を観た後に本丸で落ち合うことにした。
かみさんを山奥の本丸で一人で待たせておくのも物騒なので、駆け足で回ることにした。

二の丸跡のために組まれた石垣


二の丸の曲輪跡
本丸に次ぐ第二の拠点で、尾根の分岐点に築かれ周囲をたくさんの曲輪(屋敷地)が取り囲んでいた。


三の丸・安寧寺跡へ続く階段
恐ろしく急な階段である。


三の丸跡・安寧寺跡へ通じる道


三の丸跡
七尾城の曲輪の中で最大規模を誇る。
二の丸とは深い堀切で仕切られており、本丸を中心とした主廓とは別の曲輪群を構成している。


安寧寺跡へは、さらに急な階段を下りて行くことになる。


安寧寺跡


畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦で滅んだ武士たちの慰霊碑がある。


本丸へ戻る途中に観えた眺望
七尾湾が一望できる。


先祖代々の墓守を兼ねた僧兵が居住した寺屋敷跡辺りから本丸へ通じる石段。
駆け足に近い速足の連続だったため、息が切れる。
この日は薄寒かったが、汗だくになってしまった。


城主に次ぐ守護代であった、遊佐氏屋敷跡の直ぐ裏が本丸になる。


この石段の上が目指す本丸だ。
本丸への階段はかなり急な造りとなっている。


本丸の北側は3段に組まれた石垣である。
野面積み工法で造られているが、今もほぼ完全な形で残っている。


本丸跡
七尾城跡の中心となる曲輪で、二の丸までの一連の曲輪とともに主廓を構成する。
現在は、「七尾城址」の碑がぽつんと建った先に小さな神社が祀られていた。


神社の祠から鳥居を通して七尾湾を観る。
七尾城を陥落させた上杉謙信も、騎乗からこの七尾湾の絶景を見て感嘆したそうである。
聞きしに及び候より名地、加賀・越中・能登の金目の地形と云い、
要害山海相応し、海頬嶋々の躰までも、絵像に写し難き景勝までに候




七尾市街を見下ろしながら、400年前の戦国時代に想いを馳せつつ、七尾城跡を後にした。
今日は久しぶりに「日本百名湯」にでも浸かりながらひと汗流すことにしよう。
向かうは輪倉温泉宝仙閣である。


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