よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

11月30日(木)の聖言

2017年11月30日 | Weblog

「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」第一ペテロ5:7

 どんなことをしても、人の思いは神様のみ思いに比べることはできません。明日のことすら分からない者です。それなのに、あれこれと思い煩い、今の時を暗く過ごしてしまうのです。なによりも、神様は私たちを愛して善きことを備えておられるのです。事の大小を問わず、一切を神様に委ねましょう。頼られると何とかしようと思います。神様も同様です。信頼する者に応えてくださいます。(KE)


11月29日(水)の聖言

2017年11月29日 | Weblog

「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1:20

  「義」とは正しいことですが、絶対的に正しい方は神様以外にありません。人はとかく「自分は正しい」と「己の義」を主張しますが、それは神様の義にくらべると無に等しいものです。「怒り」は自分の義を貫こうとするものです。そこには神様を畏れる心はありません。むしろ、神様に取って代わり、自分が裁き、報復しようとしているのです。どんなことも、全てを知り、また報われる神様に委ねようではありませんか。(KE)


11月28日(日)の聖言

2017年11月28日 | Weblog

「しかし、その聞いた御言(みことば)は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。」ヘブル4:2b

 どんなに素晴らしい約束であっても、具体的な結果を手にするには約束を信じて行動しなければ得られません。カナンの地へはいる約束を信じないで滅びた人々がいました。そうならないように、聖書のことばを信じて、実際の生活に当てはめ、従いましょう。時にはみことばを疑わせるような現実があります。それに負けないで、み言葉の結果を獲得しましょう。(KE)


11月27日(月)の聖言

2017年11月27日 | Weblog

「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」第二テモテ2:8

 「イエス・キリストを、いつも思う」ことが福音だと言われています。それはどんなとき、どんなことにでも、イエス様だったらどうするだろうかと問いかけることです。心のなかでイエス様と対話するのです。そうすると、気づかないうちに、自分の行動、言葉遣いが変化してきます。思いがけないときに、忘れていたみことばを思い出させて、知恵や力を与えられます。(KE)


11月26日(日)の聖言

2017年11月26日 | Weblog

「そして、希望は失望に終ることはない。」ローマ5:5a

 日常体験している「希望」は例外なく失望に終わっています。ところが、ここにそうではないと語られています。何と大きな慰めではないでしょうか。ただ一つ条件があります。それは神様の愛を信じることです。神様はひとり子を世に遣わし、それによってあなたへの愛をあかしされました。あなたが神様に愛され、神様は、また、あなたのために愛のわざをしてくださっていると信じるとき、今抱いている希望は決して失望に終わりません。(KE)


11月25日(土)の聖言

2017年11月25日 | Weblog

「善人は良い心の倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。」ルカ6:45

 口が語るものも勿論ですが、そのほか行動や表情、すべて表に出てくるものは見えない心から取り出されます。そうなると、倫理や道徳、規則や法律で厳しく規制しても、それは「現れた」事象に対処するものであって、「みえない」心には及びません。なんといっても、大切なのは「みえないもの」、心です。心をきれいにするには、自分の力ではなく、神様の力による以外にありません。(KE)


11月23日(木)の聖言

2017年11月23日 | Weblog

「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである。」ルカ20:38

 今生きているあなたが信じる神様が「神」であって、過去にどれ程信仰深い人がいようと、その人の神様を借用するわけにはいきません。また、あなたが信じなければ、あなたにとって神様は存在しないのと同様です。さらに、神様を信じなければ、その人は「生きている」とは言えません。神様に造られた人間は、神様なしでは生きられないからです。あなたは本当に生きていますか。(KE)


11月22日(水)の聖言

2017年11月22日 | Weblog
「ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った。」サムエル上21:10

 ダビデは神様を信頼しているとき、どんなことをも恐れません。しかし、神様を離れると、心に「恐れ」が忍び込んできます。そのため、ダビデは敵であったペリシテ人の王に助けを求めました。人が恐れに囚われると、思いがけない行動に出ます。ついに、彼は気が変になったふりをするはめになりました。「恐れ」に打ち勝つには、十字架を仰いで、神様の限りない愛を信じることです。(KE)

11月21日(火)の聖言

2017年11月21日 | Weblog

「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」 詩篇141:3

 「口は災いの元」とも言われます。言い足りなくて失敗することは余りありませんが、言い過ぎて大火事になることが多いのです。しかし、人は口を制することが難しく、みことばのように、神様に守っていただく以外にありません。また、「物言わぬは腹膨れるわざ」とも言います。言いたいことを言わないでおくとフラストレーションが溜まります。そのとき、人に言わず、神様に心の全てを注ぎ出すのです。これは実に爽快です。(KE)


11月20日(月)の聖言

2017年11月20日 | Weblog
「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」エゼキエル18:20

 神様の裁きはどこにも曖昧さのない、きっちりしたものです。罪を犯すとき、神様との交わりが絶たれ、「魂」は死にます。また、人はそれぞれのしわざに応じて報われ、誰もそれに加えることも、引くことも出来ません。たとえ、親子、肉親同士であっても。そのような神様が御子を世に降し、贖いの犠牲としたのです。神様はあなたが救われるのを待って忍耐しておられます。(KE)
 

11月19日(日)の聖言

2017年11月19日 | Weblog

「わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と。」イザヤ65:1b

 神様は私たちにご自身を知ってもらいたいと願っています。ですから、すべての被造物のなかに、神様は「ここにいる」としるしを残しています。まるで「かくれんぼ」をしているように。はやく気づいてほしいと待っているのです。しかも、すっかり隠れるのではなく、見つけやすいように隠れています。神様の霊に導かれて、こころの目が開かれれば、神様を見ることができます。(KE)


11月18日(土)の聖言

2017年11月18日 | Weblog

「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71

 苦しみにあうことは、不幸なことであり、悲しむべきことだと世間の人は言います。しかし、ここには「良い事」と言われています。その本意は神様を知ることができたからです。神様に出会い、知ることができるのは、人にとって最高の恵みです。苦しみにあうとき、人は心砕けたものとなり、謙遜に神様を求めますが、順調なとき、幸いな時、神様を求めません。神様に出会う者となってください。(KE)


11月17日(金)の聖言

2017年11月17日 | Weblog

「しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』と言われた。」マタイ14:27

 ガリラヤ湖で逆風にあい、進めずにいた弟子達の舟に、夜明けごろイエス様が近づいてこられました。彼らは幽霊だと怖じ惑いましたが、主は声をかけて彼らを元気付けました。イエス様はいつも私たちと共にいてくださる方です。それはどんな境遇・状況にあっても、私たちを助けてくださるためなのです。一人で悩まず、主を信じて祈り求めてください。必ず、主は答えてくださいます。(KE)


11月16日(木)の聖言

2017年11月17日 | Weblog

「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」イザヤ40:26a

 神様を信じると言いながら、どのような方だと信じているのでしょうか。聖書が伝える神様は天地万物の創造者、全知・全能なる神、時間空間を越えて存在しておられる方です。と言われても、具体的なことは何ひとつ分りません。人の知識では到底知り尽くせない方ですが、神様はご自分を知って欲しいと願っています。そのため、いろんな事件や事態、事柄の中にその片鱗を現しておられます。心の目をひらいて、神様を発見してください。(KE)


11月15日(水)の聖言

2017年11月15日 | Weblog

「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」 詩篇90:12

 この地上での生涯は永遠に続くものではありません。必ず、終わる時がきます。ただ、それがいつであるか、だれも知りません。そのため、いつまでも続くものと錯覚しています。始まりと終りを知って、今がどのような時であるかを自覚することが大切です。ある人の歌に、「今は人生の何章目だろうか」という言葉がありましたが、あなたはそれを知っていますか。(KE)


十字架のイエス・キリスト

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/EjJNEsDJPFk" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>