よきおとづれ  

メッセージは榎本和義牧師

2月28日(金曜日)のみことば

2014年02月28日 | Weblog

「口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである。」マタイ15:11 

イエス様の言葉は実に巧妙にして核心をついています。この聖言も真理です。口に入るものは、その人の腹に入り、やがて厠へ出てしまいます。それは人を傷つけ、汚すことはありません。口から出るものは、心から出てきて、大言壮語で人を欺き、中傷し、淫らな思いを投げかけ、神を冒涜し、聞く人の心を汚して、人格を貶める結果になります。心にもないことを口にすることはありません。(KE)

関門海峡


2月27日(木曜日)のみことば

2014年02月27日 | Weblog

「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」イザヤ43:19 

神様がなさる業をすべて知り尽くすことはできません。そればかりではなく、神様のなさることは千変万化、一つとして同じものはありません。神様に期待するとき、何が起こるか、むしろ楽しみです。人なき荒野に多くの人々のために、大路が造られ、砂漠を変えて緑の沃野にしてくださるからです。(KE)

by  輝子さん


2月26日(水曜日)の聖言

2014年02月26日 | Weblog

「神は苦しむ者をその苦しみによって救い、彼らの耳を逆境(ぎゃっきょう)によって開かれる。」ヨブ36:15 

世には様々なものがあって、人の心を迷わせ、目を奪(うば)い、自分自身の真の姿すら分からなくなります。そのような 虚飾(きょしょく)、 虚栄(きょえい)を取り去って、真実な自分を取り戻すには、「苦しみ」にあうことが最善です。苦しみの中から、神様を 謙遜(けんそん)に求め、真理を聞き分ける心の耳が開かれるからです。苦しみや試練(しれん)は いやなことです。しかし、神様の救いを体験することは大きな恵みです。(KE)

by 輝子さん


2月25日(火曜日)のみことば

2014年02月25日 | Weblog
「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。」ヘブル3:14 
 
信仰生涯(しんこうしょうがい)は 必ずゴールがあります。そこで栄光を受ける望みを抱いて、地上の旅路を進むのです。そのためには最後まで信仰を持ち続けなければ得られません。耐え忍んでゴール手前に来ても、そこで信仰を捨てるなら、全てが無になります。時には、苦しくて信仰を 放棄(ほうき)したいと思うことがあるでしょう。しかし、最後まで信仰を持ち続けましょう。(KE)
 
by 輝子さん

2月24日(月曜日)のみことば

2014年02月24日 | Weblog
「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。」ヤコブ1:20 
 
全てのことを裁かれるのは神様です。神様を信じる、信頼するとは現実の事柄の中で、自分の判断に頼らず、神様が報いてくださると信じることです。人が自分の正義をもって、物事をはかり、怒りをぶつけるのは神様を拒むことです。ですから、「怒り」によって、人は罪を犯すことになります。神様の力が現され、義が明らかになるように、自ら節制をして、主に任せることを学んでください。(KE)

2月23日(日曜日)のみことば

2014年02月23日 | Weblog
「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わがよりたのむ岩、わが盾(たて)、わが救の角(つの)、わが高きやぐらです。」詩篇18:2 
 
神様に対して、ここまで 徹底(てってい)して 信頼(しんらい)するならば、怖い者(こわいもの)なしです。しかし、げんじつの問題や  こんなんのゆえに、神様の存在をこれほど確かなこととして 信じ得(え)ないのです。もう一度、あなたがこれこそ 確固(かっこ)として たよりがいのあるものが何であるか、心のうちを さぐってみてください。きっとそれは藁(わら)くずのようなものではないでしょうか。(KE)

2月22日(土曜日)のみことば

2014年02月22日 | Weblog
「わたしの時はあなたのみ手にあります。わたしをわたしの てきの手と、わたしをせめ立てる者から救い出してください。」詩篇31:15 
 
自分の時は自分が にぎっていると多くの人々は信じています。そのため うまくいくと、うぬぼれ、失敗すると自責(じせき)の念(ねん)に苦しむのです。人の時は神様の手にあります。生まれるときから、死ぬときまで、神様が時をみちびいておられるのです。主が時を動かされるまで、たえしのんで まちのぞもうではありませんか。(KE)

2月21日(金曜日)のみことば

2014年02月21日 | Weblog

「正しい人は決して動かされることなく、とこしえに覚えられる。彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない。」詩篇112:6-7

「正しい人」とは神様を畏れ敬う人のことです。その人は神様に見られ、裁かれることを知っているので、どんな事にも動揺することはありません。悪いおとずれを聞いても、恐れません。神様が生殺与奪の権威を持っておられることを信じて疑わないからです。あなたもこのような不動心を頂こうではありませんか。(KE)


2月20日(木曜日)のみことば

2014年02月20日 | Weblog
「主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。わざわいも さいわいも、いと高き者の口から出るではないか。」哀歌(あいか)3:37-36 
 
日々の生活に、また人生に起こるすべての業、ことがらは神様の手によるものです。災いや不幸の原因を しゅういの人や きょうぐうの せいにして、つぶやき、いきどおり、ひなんしようと しやすいものです。実は、神様が人の思いや考えを越えた ご計画によって、あなたのためにそなえてくださることなのです。主は今日もあなたを愛して、取り扱ってくださいます。(KE)

2月19日(水)の聖言

2014年02月19日 | Weblog
「主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。」創世記39:23
 
 ヨセフは兄弟の ねたみによって、奴隷に売られました。しかし、かれは兄弟を恨(うら)むようなことはありません。与えられた状況、事態の中で、神様を信頼して、主と共にあることを努めたのです。その結果、神様はヨセフのわざを祝福して、栄えさせてくださいました。今も、主は変わらずあなたと共にいてくださいます。事情・境遇を見ないで、そばにおられる主を見上げて下さい。(KE)

2月18日(火曜日)のみことば

2014年02月18日 | Weblog

「心はよろずの物より いつわるもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」エレミヤ17:9

 自分の心は自分がよく知っていると思いますが、実はなにも知らないのではないでしょうか。人の心ほどあてにならないものはありません。いくら堅く決心しても、すぐに忘れて、別の思いが支配してきます。神様はそのようなあなたの心を知り尽くしておられます。自分があやふやな、たよりにならない者であることを認めて、神様にすがろうではありませんか。(KE)


2月17日(月曜日)のみことば

2014年02月17日 | Weblog

「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳(いげん)もなく、われわれの慕うべき美しさもない。」イザヤ53:2 

イエス様について語られた預言者イザヤの言葉。主の御生涯を見るとき、そこには救い主としての力強さ、権威(けんい)、見栄(みば)えはなにもありません。ただ、父なる神様への従順と謙遜(けんそん)です。この世の権力者、王侯貴族(おうこうきぞく)とは正反対の生涯でありながら、それら全てを無にしてしまう輝きと命に満ちた生涯でした。この世の栄誉栄華に縁がなくとも、あなたも主の御生涯に倣(なら)うことができます。(KE)


2月16日(日曜日)のみことば

2014年02月16日 | Weblog

「そこでマリヤが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』。そして御使は彼女から離れて行った。」ルカ1:38 

御使が告げた神様の言葉は、マリヤには受け入れられない苛酷(かこく)な事態(じたい)でした。苦しみ、悩んだ彼女はついに神様のみこころに全く自分をゆだねました。マリヤの謙遜(けんそん)のゆえに、神様のくすしきみわざが完成するのです。あなたの謙遜からどのような業(わざ)がなされるのでしょうか。主が求めたもうことに身をゆだねましょう。(KE)

 


2月15日(土曜日)のみことば

2014年02月15日 | Weblog
「しかしロトの妻はうしろを顧(かえり)みたので塩の柱になった。」創世記19:26
 
 悪に満ちた町、ソドムが神様の怒りの火に焼かれたとき、その町に住んでいたロトの家族は神様の憐(あわれ)みによって救われました。逃げ出す途中、ロトの妻は住みなれた町、自分の家を おしんで、そっとうしろを振り向きました。そのしゅんかん、彼女は「塩の柱」になったのです。これは何かを暗示(あんじ)するものと思われます。神様の救いは今あるところから離れることです。先を望んで、潔(いさぎよ)く、前に進みましょう。(KE)

2月14日(金曜日)のみことば

2014年02月14日 | Weblog

「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。」イザヤ40:8 

草も花も盛んな時はわずかな期間です。また、朝に咲く花も夕べには枯れるはかないものです。世のものはすべてかように流転(るてん)きわまりのないものばかり。確固不動(かっこふどう)のものはありません。ただ、神様の言葉、聖書の言葉は時代を超え、人種を越え、変わることのない確かなものです。神様の言葉を信じ、それに心を託(たくし)て生きるとき、あなたも永遠に生きるものとなることができます。(KE)


十字架のイエス・キリスト

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