2008 08 18(月)
昨晩の西馬音内盆踊りから一夜明けて、今日は観光バスで秋田県から宮城県へ・・・。
湿原植物の花蓮が見頃なので宮城県北部の栗原市と登米市に跨る伊豆沼見物。
この地区は仙北平野の中央に広がる低湿地帯、伊豆沼の他にも周辺には長沼、内沼などの大きな湖沼が点在しています。
観光バスの車窓からでも大きくて伊豆沼全体は見渡せません。(面積289ha)
1967年に国の天然記念物に指定された伊豆沼一帯は湿地帯の保護・保全を提唱する「ラムサール条約」に日本で2番目に登録された貴重な湿原地帯です。(一番目は釧路湿原。)
伊豆沼の周囲には「はすまつり」のノボリ旗。 8月1~31日が「はすまつり」の期間中との事です。
伊豆沼を見物するには遊覧船が最適、大人は700円也。
遊覧船代金はツアー料金に含まれていますので気軽に乗船し出発です。
大きな蓮で周囲が埋め尽くされている湖面の中、一筋の水路を辿って進みます。
伊豆沼遊覧船からの花蓮景色の動画をご覧下さい。
伊豆沼 花蓮 2008 1.
遊覧船から蓮が手の届くほどの近くを通過し、蓮の葉がバサバサと船縁を叩いて行きます。
鮮やかなピンク色をした蓮の花が間近に・・・。
平均水深1mの伊豆沼水面の70%ほどが蓮で覆われているそうです。
穏やかで綺麗な湖面に群生する蓮に心を奪われる遊覧船からの風景。
乗客からは感嘆の声がしきりに上がっていました。
群生して黄色い花を咲かせているのは“アサザ”と言う水生植物。
伊豆沼を見渡す高台に建っているのは“サンクチュアリセンター”。
サンクチュアリセンターの建物は白鳥をイメージして建てられたとか・・。
伊豆沼一帯の水生植物や白鳥や雁・鴨などの飛来動物を調査・展示している資料館ですが、月曜日は休館日でした。
伊豆沼サンクチュアリセンター付近の動画をお楽しみ下さい。
伊豆沼 花蓮 2008 2.
遊覧船での花蓮巡りは40分ほどで終わりましたが、印象深い思い出の一コマとなりました。
水面から美しい花を咲かせている蓮花を見ていると、心が洗われてお釈迦さまの境地になれるかも・・・。
約1時間30分ほど伊豆沼観光をしてから、東北自動車道で帰路へ・・・。
帰路の途中で白石の磐梯ドライブインに立ち寄り昼食タイム。 バス旅行は食事が付いていますから便利この上なしです。
最終のトイレ休憩地は栃木県上河内SA。 混雑していましたから帰省のUターンなのかも・・・。
8月17~18日の両日、西馬音内盆踊りと伊豆沼花蓮見物のバス旅は思いがけないほどの充実した旅となりました。
2008 08 27(水)記。 前橋市 最高気温27℃
2008 08 17(日)
秋田県羽後町で行われた夏祭り行事“西馬音内盆踊り”。
8月17日(日) 優雅な舞い姿で富山県八尾の”風の盆”と並び称される、秋田県羽後町の“西馬音内盆踊り”見物のバスツアーに参加。(西馬音内⇒にしもない)
“西馬音内盆踊り”と“伊豆沼の花蓮”を見物する一泊二日のバスの旅。
食事が2食付いて18800円とお手頃な価格です。
朝の6時20分にJR前橋駅南口を出発、途中で桐生・足利で参加客をピックアップ。
それからは一路東北自動車道を秋田方面へ・・・。
午後2時半に羽後町役場駐車場に到着。 観光バスのP場代金はべら高の12000円。(乗用車は1000円)
羽後町役場から徒歩で“西馬音内盆踊り”会場へ・・・。
盆踊り会場の本町(ほんちょう)通り近くを流れる西馬音内川に架かる二万石橋の欄干にも西馬音内盆踊りの舞姿像があります。
まだ日中なので、人通りは少なく、歩いているのは我々の観光客だけ。
二万石橋から3分程で盆踊りが行われる本町(ほんちょう)通りの「盆踊り会館」が見えてきました。
「盆踊り会館」の中では桟敷席(2000円)や仕切台(4人分5000円)を販売中。
館内には盆踊りで着る“端縫(はぬい)い衣装”(4~5種の絹布を縫い合わせた着物)など盆踊り関連品が展示されています。
写真の左手前に見える細長い腰掛が仕切台。桟敷席(右中央)より臨場感溢れる踊りが見られるそうなので、最前列の仕切台を一台購入。(C-13)
見物場所も確保出来たので町内を散策。 盆踊り会館の近くに大きな古民家の“黒沢家住宅”があります。
現在も使用していましたが、盆踊り期間中は無料開放で内部を見学する事ができました。 黒光りの柱や梁が太く豪雪にも耐えられる頑丈な家宅です。
町内の通りのそこかしこに屋号を染め抜いた紺幕が張られ、祭りムードを盛り上げていました。
西馬音内盆踊りの発祥の地“御嶽神社”は本町通りのはずれに鎮座。
杉木立に囲まれた奥にひっそりと社殿が佇んでいました。
約700年前(1288~93年)、僧・源親が御嶽神社境内で豊年祈願として村民に踊らせたのが西馬音内盆踊りの起源とされ、又1601年(慶長6年)に西馬音内城主・小野寺茂道一族が滅び、遺臣たちが君主を偲んで盆時期に宝泉寺で行った亡者踊りと合わさって現在の西馬音内盆踊りになったと言われています。
御嶽神社を参拝してから盆踊り特設会場のあるコミュニティーセンターを見物して本町通りへ戻ります。
本町通りの大黒屋に掲げられた大看板の立派さには驚きです。
大きな欅の一枚板の看板は迫力充分!見る価値があります。
お店の前では踊り子が端縫い着物姿で写真撮影サービス中!!
鳥追い笠みたいな編み笠(おけさ笠?)で顔は見えませんが、後姿のうなじに仄かな艶やかさ感じられ・・・。
本町通り中央のかがり火広場で早めの夕食。 岩魚の姿焼きや豚汁・牛串焼きなどの羽後町特産品が美味しかったです。(一時小雨)
夕刻6時30分、櫓の柱に「五穀豊穣」「豊作万年」と書かれた西馬音内盆踊り会館の二階では笛や太鼓のお囃子が開始されます。「寄せ太鼓」の威勢の良い響きと共に“西馬音内盆踊り”の幕開けとなりました。
2008 西馬音内盆踊り 1. 寄せ太鼓。
午後7時30分頃から“西馬音内盆踊り”子供の部が本町通りで開催されました。
大人の踊り手の中に子供も混ざって踊りながら練り歩きます。
西馬音内盆踊りは難度の高い舞仕草ですから3歳頃から仕込まれるとか・・。
最前列の仕切台からの動画ですが、街路灯だけで光量不足になりました。 我慢して雰囲気をご覧下さい。
2008 西馬音内盆踊り 2.
流石に大人の踊りは上品で優雅な舞い姿です。
他人様の動画ですが、本町通りで演じられた盆踊りをご覧下さい。
秋田西馬音内盆踊り(亡者踊り)
夜の8時20分から盆踊り特設会場での本格的な西馬音内盆踊りが行われますので、特設会場へ・・・。(入場料500円)
選りすぐりの踊り手達がかがり火が焚かれる中、長方形の輪になって踊ります。女性は編み笠で奥ゆかしく顔を隠します。
男の踊り手は黒い「ひこさ頭巾」(彦三頭巾)を被っていますが、踊り仕草は女性と同じようでした。 ひこさ頭巾はお盆で迎える死者(亡者)を現しているとか・・・。(ひこさ頭巾は亡者頭巾とも。)
特設会場はライトアップしていますので、何とか動画が撮れました。
2008 西馬音内盆踊り 3. 特設会場。
西馬音内盆踊りはお囃子が「寄せ太鼓」「音頭」「とり音頭」「がんけ(雁形)」の4種類。 踊りは「音頭」と「がんけ」の2パターンで踊られました。
お囃子の野性的な調子と、上方風の流れるような優雅な踊りとの不思議な調和が西馬音内盆踊りの独特な雰囲気を醸しています。
フラッシュを焚かずに撮りましたのでブレにはご容赦を・・・盆踊り情緒を楽しんで下さい。
2008 西馬音内盆踊り 4. 特設会場。
鳥追い笠風の編み笠から可愛いお顔が・・・。 筆者もひこさ面で参加。
特設会場での本格的な盆踊りを充分に堪能した後、再び本町通りの仕切台へ戻り、西馬音内盆踊りの見物続行です。
9時からの大人盆踊りの部は流麗で幻想的な美しさをたたえています。
流れるような仕草での舞い姿は“風の盆”に優るとも劣らず、風雅な踊りで盆を迎えます。
手先・指先の微妙な動かし方が哀調的雰囲気を醸しています。
流麗な踊りですが、踊り手にとっては結構ハードなのでしょう・・・。
盆踊り見物の最中、本町通りの店先に非常に珍しい花を発見!!
月夜に一夜限りに妖しく咲く純白の花・・・“月下美人”。
珍品の蕾も見られました。
優雅な舞い姿で人々を魅了する“西馬音内盆踊り”はその後、夜の11時過ぎまで哀調を漂わせながら演じられていました。
8月16~18日に行われる西馬音内盆踊りは阿波踊り・郡上踊りと合わせて三大盆踊りといわれ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
西馬音内盆踊り詳細は⇒ここクリック
次回は宮城県の花蓮の名所“伊豆沼”です。
2008 08 22(金)記。 前橋市時々 最高気温25℃
2008 08 16(土)
日本の真ん中を自負する群馬県渋川市で2年に一度行われ、北関東一のあばれ山車の異名を誇り江戸時代からの伝統ある“渋川山車まつり”。
前回の7月26日(土)に開催された“渋川へそ祭り”の渋川市へ山車祭り見物に・・・。
空模様を心配しながら“渋川山車まつり”の山車巡行が行われる“八幡坂”へ向かいます。 八幡坂は渋川駅から伊香保温泉への表通り道(坂)。
八幡坂手前の交差点で早くも山車の綱曳き手衆の熱気あふれるぶつかり合い合戦が見られました。
“渋川山車まつり”の曳き手ぶつかり合い動画をご覧下さい。
2008 渋川山車まつり 1.
渋川山車まつりに参加する華麗な山車は全部で19台です。
2年に一度の祭りですから、大勢が参加して盛大な夏祭りになりました。
いよいよ伊香保温泉に登る坂道“八幡坂”の難所です。
曳き手衆も囃し手も息を整えてから威勢良く駆け上ります。
渋川八幡坂の山車登りの動画をお楽しみ下さい。
2008 渋川山車まつり 2.
ド派手な衣装を纏った若衆達も力を合わせて懸命に山車を引き上げていました。
19台の華やかな山車が八幡坂の途中にある渋川神社(八幡神社)へ巡行です。
坂道にある渋川神社前に到着すると神社に向かって正対しますので山車は傾いてしまいます。
太鼓叩きのお姐さんは身を乗り出しての熱演!!
渋川神社の石鳥居の前で宮司から榊でお清めの御祓いを受けています。
木々で鬱蒼とした奥に渋川神社(八幡神社)の社殿が・・・。
手水鉢の脇にある大きな岩は「人生七転八起」石とか・・、ダルマのような格好です。
拝殿の横には恵比寿・大黒様の大きなハリボテ像まで・・・商売繁盛の神様。
この神社は厄除け・病気平癒・学業向上・商売繁盛・交通安全・・何でもアリ~って感じです。
それまで何とか保っていた天気も、突如として荒れ狂い始めました。
飾り立てた山車の上では勢子たちが風雨除けのビニールシートを被せて雨水を防ぎます。
渋川神社の木立の中から突如として竜巻が起こり、突風が吹き荒れました。
筆者の眼前で大きなテントが2張り空中に舞い上げられました。
筆者はテントに直撃されそうになりましたが、運良く電線に引っかかって難を避けられましたが、差していた傘は突風で骨が折れてバラバラ状態、着ていた服はビショ濡れです。
暴風雷雨の中、渋川神社拝殿の軒先に避難。 先客たちも濡れながら立ち尽くしていました。
立ち濡れた人々を安全な拝殿内に誘導する事も無く、中年の宮司は「この木立には雷がよく落ちるんです」ってからかう始末。 雷雨に困っている人に対してこれは程の不親切な神社は見たことも有りません。 堕落した神道を実感した一日となりました。
風雨が強くて山車巡行はしばらく中止。
小雨になってから、八幡坂を下って渋川市街へ・・・。
提燈持ちのお姐さんも皆さんもズブ濡れで八幡坂を下りて行きました。
さすが「かかァ天下と空っ風」の地元ですね、お姐さんは濡れながらも必死で太鼓を叩き、
子供たちのお囃子も絶えること無く演奏されていました。
さしもの風雨も小康状態、渋川市街に到着し山車連は早めの夕食タイムです。
渋川山車まつりはその後も断続的に雨が降り続き、雨に濡れた筆者は風邪を引かぬ様に夜の部を見ずに早めに帰路へ・・・。
この時期の祭りは雷雨が付きものですから、見に行く時にはご用心を・・・。
2008 08 20(水)記。 前橋市 最高気温33℃
シンクロナイズド オフィス(ロシア版)。 美脚フェチの方は必見! Офисные олимпийские игры
2008 08 09(土)
埼玉県熊谷市 第59回 熊谷花火大会。
熊谷市の花火大会は熊谷空襲で亡くなった方々の慰霊と市街地の復興のため、1948年に「大熊谷復興花火大会」として開催されました。
熊谷空襲はアメリカ軍B29約80機による熊谷市街地への無差別爆撃で、1945年(昭20年)8月14日午後11時過ぎから翌日の午前4時頃まで市街地の74%が破壊・炎上しました。
熊谷市の中心部を流れる清流・星川周辺部の被害が特に多く、この付近で100余名が死亡。 熊谷空襲の犠牲者は266名。
熊谷空襲慰霊之女神が建つ、星川では8月16日に慰霊灯籠流しが行われます。
埼玉県下では唯一の空襲被災都市です。 何故、重要施設の無い熊谷が終戦の前日に爆撃されたのか今もって不明です。(明治初期に熊谷が県庁所在地だったので、間違えて爆撃したとの説も・・・)
第59回 熊谷花火大会は熊谷市の南西を流れる“荒川”の河原で午後7時から打上げられます。
荒川河川敷には沢山の見物客が陣取っていました。
様々な夜店も軒を並べて商いに勤しんでいました。
広場中央の白い椅子席は有料席です。
筆者は全てが見渡せる堤防土手の最上部に座って花火見物です。
心地よい涼風が流れる中、大きな歓声に包まれて夜の7時JUSTに花火の打ち上げが開始されました。
第59回 熊谷花火大会の打上げ花火を動画でご覧下さい。
2008 第59回熊谷市花火大会 1.
熊谷市民の提供花火や地元企業協賛の花火など総数10000発の盛り沢山です。
地元で有名な“和菓子の梅林堂”や“八木橋百貨店”などの花火は見応えがあり、やんやの喝采を浴びていました。
第59回 熊谷花火大会のスターマイン動画をお楽しみ下さい。
2008 第59回熊谷市花火大会 2.
熊谷の夜空を彩る第59回 熊谷花火大会は約2時間に亘り繰り広げられ、夜の9時に無事終了となりました。
熊谷の夏祭りと言えば“熊谷うちわ祭り”です。⇒ここクリック。
2008 08 14(木)記。 前橋市 最高気温35℃ 猛暑日
8月14日 熊谷市空襲の日
2008 08 03(土)
埼玉県杉戸町の夏祭り、“古利根川流灯祭り”。
酷暑の日中行われた鶴ヶ島市の龍神雨乞行事を見物した後、昔しの利根川で開催されている灯籠流しを見に頑張って車を走らせて埼玉県東部の杉戸町へ・・・。
この杉戸町の灯籠流しは大きさにおいて日本一の灯籠流しと云われています。
杉戸町役場に駐車して、直ぐ近くを流れる“古利根川”に向かいました。
夕暮れの古利根川に架かる清地橋から、上流の川面に浮かぶ灯籠が見えてきました。
穏やかな水面に役者絵など様々な絵が描かれた巨大な灯籠が印象的に浮かんでいました。
昔し利根川本流が流れていたこの川筋は現在は古利根川(ふるとねがわ)と云います。
古利根川に沿った堤防の道を歩きましたが、川面の灯籠の長さには驚かされます。
下流の清地橋から東武動物公園駅の前に架かる古川橋まで約1kmの長さに明かりが灯った大きな灯籠が係留されていました。
灯籠流しの中間地点に小島を設けて打上げ花火の準備中。
古利根川で行われる灯籠流しは昭和初期からの歴史がありましたが、暫く中断して平成2年に復活し、平成6年から現在の形式の“古利根川流灯祭り”(りゅうとうまつり)となったそうです。
古利根川の堤防の道にも、子供たちが作った可愛らしい灯籠にも灯が入ります。
杉戸町の日本一の灯籠を動画でご覧下さい。
埼玉県杉戸町 古利根川流灯まつり。
大きな灯籠が並ぶ古利根川脇では色々な楽しいイベントが・・・。
古川橋のたもとでも路上ライブです。 よさこい踊りは元気なお姐さんたちのグループ。
古利根川に浮かぶ見事な灯籠は一つが畳一枚分の大きさです。
約250基の大灯籠が古利根川に浮かぶ様子は、真に地上に降りた天の川ですね。
夜の8時30分頃から花火大会の開始となりました。
川面に浮かぶ灯籠と夜空に咲く鮮やかな花火には心を奪われるものがあります。
幻想的な古利根川流灯祭りこそ真に、日本の夏の風物詩!!
「21世紀に残す日本の風景遺産100選」(Y紙選)にも選ばれた“古利根川流灯祭り”はお奨め出来る夏祭りです、皆様も夏の思い出の一ページに加えては如何でしょうか・・・。
2008 08 12(火)記。 前橋市 最高気温33℃
8月12日 日航機御巣鷹山墜落事故の日(23回忌)⇒日航機事故はここクリック。
プリンセス プリンセスの歌をお楽しみ下さい。
プリプリ - 世界でいちばん熱い夏
2008 08 03(日)
鶴ヶ島市の脚折地区で4年に一度行われる奇祭“脚折雨乞行事”の龍神様が善能寺住職の読経を受けた後、雷電池(かんだちがいけ)への渡御を開始。
ほら貝や太鼓を囃しながら巨大な龍神様は茶畑が点在する住宅街を練り歩きます。
担ぎ手300名が掛け声を掛ながら巡行する様は感動的!!
目的地の雷電池(かんだちがいけ)近くに来ました。
曲りくねった狭い道では龍神神輿は大蛇のように龍体をくねらせて進みます。
出発地の白鬚神社から途中で4回休憩し、37℃の熱暑のなか2kmの行程を約2時間かけて雷電池のある雷電社(らいでんしゃ)の杜に到着。
龍神様は大勢の氏子たちに出迎えられホッと安心顔でした。
龍神の池入りの前に厳かな儀式が執り行われます。
白鬚神社の宮司による御祓いの後、修験者の印字結び祈祷と清めの塩撒きが行われ、
儀式の最後に群馬県板倉町の雷電神社の伊奈良池から竹筒で運ばれた御霊水が雷電池に注がれました。
午後の3時40分頃に法螺貝を吹く修験者を先頭に神名を記した幟り旗をかざしながら雷電池への入水の儀となります。
続いて脚折雨乞行事の主役・龍神の池入りです。巨体がくねりながら階段をゆっくりと下りてきます。
雷電社前から龍神が階段を下る様子を動画でご覧下さい。
鶴ヶ島市 脚折雨乞行事 3 雷電池
龍神は「雨降れ た~んじゃく、こ~こに懸かれ黒雲」の掛け声と共に雷電池を水しぶきを上げながら、時計回りに練り歩きます。
鶴ヶ島市 脚折雨乞行事 4 雷電池
“たんじゃく”とは雷雲を起こし、豪雨をもたらす神である帝釈天の事らしいです。
300名余が龍神を担いで雷電池を勇壮に暴れまわる光景は見応え充分です。
竹とワラで作られた龍神を担ぎ、池を荒し汚すことで池に棲む水神を怒らして雨を降らさせるとも云い伝えられてます。
巨大龍神を大きく揺さぶりながら雨乞祈願する動画をお楽しみ下さい。
鶴ヶ島市 脚折雨乞行事 5 雷電池。
雷電池を何回も練り歩いた後、金色宝珠を頂いた龍神は昇天の儀に移ります。
龍神昇天とは担ぎ手たちが我先に龍体に登り打ち毀し解体する儀式。(龍の解体ショーってか・・?)
龍神の頭に付けられた金色宝珠や目玉・耳などを必死に奪い合います。
それらを獲得した者には幸福が訪れると云われています。
また、龍神のワラや笹などにも霊力が宿るといわれ、見物人たちも喜んで持ち帰っていました。
鶴ヶ島市 脚折雨乞行事 6 龍神昇天。
龍神の昇天あとは「ツワモノどもが夢のあと」ってな様相。
竹で組み上げた骨格(龍骨)だけになって龍神は目出度く昇天!!
これにて、脚折雨乞行事は滞りなく終了しました。
帰りがけに龍神が入水・昇天した雷電池のたもとにある雷電社を参拝。
雨乞い伝説に満ちた雷電社は池の上にひっそりと佇む奥ゆかしい小さなお社(やしろ)でした。
張り切って行われた龍神雨乞祈願の甲斐も無く、この日は終日にわたり降雨なし!
37℃の猛暑で祭り人も見物人も汗びっしょりのヘトヘト状態になりました。
午後5時ようやく鶴ヶ島市役所にたどり着き、冷房で体調を整えてから、次なる祭りの杉戸町へ車を飛ばしました。
4年に一度、オリンピック年に鶴ヶ島市で開催される“脚折雨乞行事”は必見の祭事です、皆様も次回にぜひご参加下さい。
脚折雨乞 (埼玉県鶴ヶ島市) 【第17回大賞】 (鶴ヶ島市HPより)
2008 08 08(金)記。 前橋市 最高気温37℃。 酷暑日。
2008 08 03(日)
オリンピックと同じ年に四年に一度行われる珍しい祭り行事があると聞いたので埼玉県の鶴ヶ島市へ・・・。
目指す祭りの名前は“脚折雨乞行事”(すねおりあまごいぎょうじ。国選無形民俗文化財)
関越高速道鶴ヶ島インターを下りると、お祭りの駐車場の案内が目白押しです。
有料P場の呼込みには構わず、無料P場のある鶴ヶ島市役所へ・・・。
天候は朝から快晴で猛烈な暑さ!! 冷房が良く効いた市役所一階が開放されて“奇祭・脚折雨乞行事”の展示ブースになっていました。
展示品など見物しながら市役所の冷房で体を冷やし息を整えてLet's goです。
市役所そばのコンビニでオニギリやドリンクなど買い入れ奇祭の出発地となる白鬚神社(しらひげじんじゃ)へ・・・。
街道筋から横にそれるとそこは一面の茶畑・・・鶴ヶ島で採れた茶も狭山茶になるのでしょうか?
市役所から400mほど歩いて白鬚神社に到着。
神社横の茶畑の中に遠くからでも巨大に見える芋虫らしき物体が横たわっています。
周りでは祭り関係者や見物人が取り巻いて珍しそうに眺めていました。
近寄って見るとその巨大さに驚かされます。
これは脚折雨乞行事の主役となる“龍蛇”(りゅうだ)と云われるそうです。
大きくて迫力が有りますが何となく憎めない愛嬌のある顔をしていますね。
この龍蛇の製作にあたっては、昨年の11月から育てた麦ワラで36mの龍蛇全身を形作るのです。龍のウロコに見立てて熊笹の葉がびっしりと胴に差し込んでありました。
午後1時からの白鬚神社雨乞行事の式典が始まるまでは境内を散策。
樹木に覆われた白鬚神社の社殿は中規模の大きさですが、本殿裏のケヤキには驚かされました。
樹齢900有余年といわれる欅は圧倒する存在感があります。
以前には36mあった樹高が長年の風雨で上部が欠け、現在の樹高は17m、幹回りが7m。昭和7年に天然記念物指定。
脚折雨乞行事の出発式が白鬚神社拝殿前で始まります。
祭り関係者一同が勢揃いして雨乞行事保存会高澤会長や鶴ヶ島市長の挨拶の後、白鬚神社に拝礼します。
脚折雨乞行事の準主役みたいな竹筒に入った御霊水も社殿から運ばれて・・・。
(お忙しい中、無理を言って撮らせて頂きました。感謝です。)
この御霊水は全国の雷電神社(らいでんじんじゃ)の総本社として群馬県板倉町に鎮座する雷電神社から運ばれた聖水とのことです。
昨年の秋10月、このツトムBLOGで“日本一のコスモス畑”と紹介した板倉町です。
コスモス見物の後、近くにあった雷電神社を参拝した時の画像を載せます。
さすが全国の雷電神社の総本社ですね、農村地帯の中に忽然と豪奢な佇まいを見せていました。
今回は掲載しませんが、左甚五郎等が彫った社殿を飾る豪華な彫刻は必見の感があります。
雷電神社の裏にある伊奈良沼(いならぬま 別名は雷電沼・雨を降らす龍が棲むと伝えられている。)から脚折雨乞行事に使用される御霊水が取水(戴水の儀)され白鬚神社へ運ばれるのです。
白鬚神社の宮司が龍蛇(りゅうだ)の前で祝詞を捧げ祈願し、龍蛇の大きな口へ板倉町の雷電神社からの霊水を注ぎます。
龍頭に御幣を挿し終えてから、この一連の御祓い儀式により、龍蛇は龍神へと昇格する事になります。
脚折雨乞行事の龍神渡御に先立ち、樽酒の鏡開きをして振舞い酒を呑んで気合を入れていました。
巨大な龍神の前では地元女性が演じる“龍神太鼓”がご披露され祭りの雰囲気を盛り上げています。
太鼓・ほら貝を打ち鳴らし、八百万(やおよろず)の神様の名を書いた竹笹幟りを先頭にして龍神様の渡御巡行が始まりました。
本当に大きな龍神さまですね。麦藁(むぎわら)を約570束、竹を約80本使い150名が一週間作業して作り上げた重さ3トン長さ36m胴回り6mの巨大龍神。
茅葺き屋根を作るときの技術を使って製作しているそうです。
白鬚神社から龍神が池入りする雷電池(「かみなりでんち・らいでんいけ」ではなく、「かんだちがいけ」と言います。)まで重い龍体を担いで2Kmを渡御巡行するのです。
それも当日の最高気温37℃の猛炎天下の中!! 熱射病で倒れる人も出ました。
300名の担ぎ手に担がれた大きくて長い龍神様が狭い道角を曲がる時には難儀なこと・・・。
36mの龍胴の最後尾には大きな剣(つるぎ)が付いて行きます。
剣の名前は“尻剣”(しりけん)と単純でしたが、尻剣に触れた人は賢くなると謂われています。野次馬根性旺盛な筆者も触ってみましたから頭が良くなったかも・・・(笑)。
白鬚神社から雷電池までの途中で、善能寺に龍神様はお立ち寄りになりました。
頭の高さ4.5mの大きな口の前で住職が経文を唱えていましたが、龍神にまるで飲み込まれるような光景でした。
白髭神社から善能寺へ、祝詞からお経へと、まさに神仏混交を地で行っている様な感じですね。
昔の村誌に「日照りのとき、脚折の雷電池(かんだちがいけ)ほとりにある脚折雷電社(すねおりらいでんしゃ)に雨乞いを祈願すると必ず雨が降った。特に安永・天明の頃、善能寺住職・隆英法印の時代には、その効験はあらたかで、次の文化・文政の頃にもなを神効があった」と記されています。
「寛永時代に雷電池の一部を干拓して田にしてしまった為、棲んでいた雨降らしの大蛇が逃げ出して、上州(群馬県)板倉にある雷電神社の池(伊奈良沼)へ移ってしまい、祈願しても雨が降らなくなってしまった。」
「明治7年夏の干ばつの時、村人が脚折の雷電社で雨乞い祈願をしたが、効果がなかった。そこで板倉の雷電神社の神官に一晩中雨乞い祈願をしてもらい、翌日に伊奈良沼(雷電池)の水を竹筒に入れて持ち帰った。脚折の雷電社で白鬚神社の神官が降雨祈願中だったが、板倉の水が到着した途端に空が黒雲に覆われ稲光がして雨が降り出した。」と伝えられています。
なるほど、竜神様と善能寺と板倉雷電神社の因果関係がわかりました。
「欲をかいては罰が当たる。」という比喩でしょうか!?
和尚様が念じて拝む先には、真っ赤な巨大な口の中に貼られた「上州板倉・雷電神社」の御札が見えました。
蛇足(この場合は龍足かな?)ですが、龍胴の下はこんな様子になっています。
安養山善能寺で小休止し、梅干と冷たい麦茶など飲ませて頂いてから雷電池(かんだちがいけ)に向かって渡御の再開です。
巨大な龍神さまが鶴ヶ島市を練り歩く動画をご覧下さい。
鶴ヶ島市 脚折雨乞行事 1 町内巡行。
鶴ヶ島市 脚折雨乞行事 2 町内巡行
次回は脚折雨乞行事のクライマックス“雷電池入水と昇天”編です。
2008 08 07(木)記。 前橋市は朝から快 最高気温36℃ 猛暑日。
2008 08 02(土)
桐生市の夏を彩る“桐生八木節まつり”が8月1~3日に開催されました。
桐生八木節祭りは桐生祇園祭とも呼ばれ、今年で45回目を迎えます。
桐生市の奥庭にあたる水道山の中腹に建つ“大川美術館”(入館料800円)を訪ねた後、市街地に出て“第45回 八木節まつり”を見物。
JR桐生駅前の末広町通りや本町通りには七夕飾りが立てられ、八木節祭りとダブルの賑いを見せていました。
通りの両側には沢山の露店が並び商いが盛んな様子・・・。
前方から威勢の良い若衆に担がれた神輿が神輿渡御して御旅所に到着するところでした。
お神輿に続いて山車の町内巡航が行われていました。
明治8年(1875年)に建造された四丁目鉾(山車)は高さ9.2mもあります。
立派な山車の上部には“素盞鳴尊”の山車人形が・・・。
着ている人形衣装は桐生織物を使用して133年ぶりに復元したそうです。
真迫の人形は浅草の生人形師と謳われた“松本喜三郎”の作品です。
逆手に剣を持った荒々しい形相の姿が見上げる人を圧倒します。
可愛いお嬢様たちが曳くのは“翁鉾”と言われる高さ9mの三丁目山車鉾です。
翁鉾は江戸時代の文久2年(1862年)に完成した江戸型山車。
豪華な龍透かし彫りが目を奪います。 翁人形は名人形師・和泉屋勝五郎の作と云われています。
豪華な山車鉾を見物してから桐生市の繁華街を散策。
通りの至る所でイベントが催され見物人を飽きさせません。
朱雀連の演じる阿波踊りは大人も子供も息がピタリと合って見応えがありました。
朱雀男連の阿波踊りは激しくもひょうきんな仕草で観客を魅了しています。
気温33℃の炎天下、躍動感ある素晴しい阿波踊りを有難う・・・!
桐生八木節祭りの“阿波踊り”動画をお楽しみ下さい。
2008 桐生八木節祭 1 阿波踊り
夕方からは路上での八木節大会の前に、様々なイベントが行われていました。
群馬テレビで生中継するとかで綺麗なお姉さんがレポーター役です。
八木節に一節にある「♪四角四面の櫓の上でェ~音頭取るとはお恐れながら~」の四角櫓の前では洋風ダンスのフラメンコ!!
日頃の練習の成果をここの路上ライブで発揮するのです。
“桐生八木節まつり”でのフラメンコ動画もご覧下さい。
2008 桐生八木節祭 2 フラメンコ
夜の7時から“桐生八木節まつり”のメインイベント八木節大会です。
通りのあちこちに設えられたステージでは「♪ちょいと出ました三角野郎が~」と渋い唄声を張り上げ、櫓の周りは踊り子の文字通りの熱演が続きます。
本格的な八木節と踊りを動画でお楽しみ下さい。
2008 桐生八木節祭 3 八木節
四角四面の櫓の上では笛に酒樽で調子音頭をとって、日頃自慢のノドをご披露”!
桐生市内の辻々で八木節の踊り輪ができ、夜の更けるのも忘れて賑やかに八木節踊りを楽しんでいました。
翌日の3日(日)が“桐生八木節まつり”の本番の日です。
八木節コンテストやまゆ玉ころがしなど盛り沢山のイベントが行われるそうです。
桐生の夏の風物詩“桐生八木節まつり”をお訪ね下さい。
2008 08 04(月)記。 前橋夕方 最高気温34℃
2008 07 26(土)
面白いお祭りを見物に群馬県の渋川市へ・・・。
利根川と吾妻川の合流する地点にある渋川市は伊香保温泉や榛名山などへの玄関口の街としても有名。
渋川市は日本のド真ん中!!と高らかに宣言をし、町おこしに市民参加型の面白いお祭りを行っています。
今年は25回目の祭りで7月25・26日の両日に開催されました。
祭りの名は日本の真ん中らしく、“渋川へそ祭り”!!
全国でも珍しいお祭りなので、年々見物客も祭り参加者も増えているそうです。
車を関越自動車道の側道を飛ばして、気温30℃のなか午後3時に渋川市に到着。
渋川駅の近くで、祭り会場のそばに建っているスーパーサティの駐車場を拝借。
サティから出ると、そこは“第25回 渋川へそ祭”の祭り会場。露店も立並びお祭りの熱気がみなぎっています。
新町五差路広場で迷惑顧みず、筆者も童心にかえって記念撮影。
テント張りのステージではいろいろな踊りやアトラクションが演じられ、渋川へそ祭のへそ踊りパレードが始まるまで見物客を飽きさせません。
前橋市から応援に駆けつけたお姐さん達の元気パフォーマンス“上州だんべぇ踊り”。
地元・渋川市民が演じるフラダンスのハワイアンショーなども見応えがありました。
群馬県と云えば、やっぱり八木節ですね。 大人が演じる本格的な八木節もたのしいですが、子どもの八木節も面白いです。
子ども八木節の可愛い踊りなど動画でご覧下さい。
2008 渋川へそ祭り 3 子ども八木節。
日本の真ん中をうたい文句にしているのですから、その中心地が有るはずです。
祭り本部に聞いて、日本の中心地点を訪ねてみました。
それは150m程近くの渋川市寄居町の交差点にありました。
“渋川へそ祭”の祭神にして、日本の最中心を現す“へそ石”と“へそ地蔵”が厳かに安置されていました。
へそ石は溶岩のような感じの黒い岩石。へそのゴマみたい・・・。
横には小さな“へそ子地蔵”までありました。
へそ地蔵様の腹の真ん中に大きな出べそが・・・、ユニークなお地蔵様です。
へそ地蔵の台座には日本の真ん中、渋川市の位置に出ベソのマーク!
渋川へそ地蔵にお賽銭をあげましたら、有難い事に“へそ地蔵お札”と“散華”(天台宗・真徳寺)を頂戴しました。
今年はへそ地蔵25年祭との事で、更にトコロテンまでもの大サービス・・・。
渋川へそ地蔵の近くに「おしくら饅頭」という面白いネーミング看板を掲げた饅頭屋があったので立ち寄ってみました。
いろいろな種類の饅頭がありましたが、へそ祭に因んで、“へそ饅頭”を頂きました。
饅頭のトップに鶯豆を押し込んで、へそに見立た美味しいお饅頭です。(90円)
へそ饅頭の隣の黒いのはあんこを丸めた“でべそ玉”。(90円)
親切な奥さんが冷たい麦茶までサービスしてくれました。感激!です。
へそ祭りお祭り本部近くで上州名物“焼きまんじゅう”をGET!(200円)
小竹焼きまんじゅう店製造・直売の焼き饅頭。
甘味を抑え、味噌麹が引き立つ昔し風の味付け、甘い饅頭を食べた後なのでGOOD!
へそ饅頭と焼きまんじゅうを食べて元気回復! 時間も夕刻近くなってそろそろ“第25回 渋川へそ踊り”パレードの時間に・・・。
最初に現れたのは威勢の良い“お神輿”です。
へそ地蔵を出発して渋川市の中心街を練り歩く“神輿渡御”で祭り広場へ・・・。
5時30分からいよいよ、“渋川へそ祭り”のへそ踊りパレードの開始です。
最初のへそ踊りはチビッ子組の“ちびっ子へそ踊り”パレード!
渋川へそ祭り音頭に合わせて、よちよちと可愛いへそ踊りです。
続いて、渋川市職員共済会やスポーツクラブや各企業団体のへそ踊り組が次々と繰り出しました。
へそ踊りの参加人数は内外あわせて1400人だとか・・・、凄い人数のパレードでした。
このへそ出しダンスには外人さんも多数参加して国際色豊な“渋川へそ祭り”なのです。
女性の参加者は白Tシャツにイラストを描いて着ていました。
皆さん渋川へそ祭り音頭の「腹出せ、へそ出せ、よい よい 」のリズムに乗って元気良く踊っています。 阿波踊りみたいに踊るのも見るのも楽しいお祭りですね。
楽しくて面白い“渋川へそ踊り”パレードの動画をお楽しみください。
2008 渋川へそ祭り 1
へそ祭り本部の横では“氷の彫刻”なども作られていました。電動ノコギリは役に立って便利ですね。
大きな氷塊を短時間で手早く上手に彫るものですね。氷の中には“へそ祭り”のポスターなど・・・。
まだまだ“渋川へそ祭り”パレードはハードに続きます。動画をご覧下さい。
2008 渋川へそ祭り 2.
渋川へそ祭りのへそ踊りパレードは夜の更けるのも忘れ、元気に熱演されて観客を何時までも魅了していました。(終了は夜9時頃)
面白い奇祭の一つ、“渋川へそ祭り”は見ても参加しても楽しいお祭り。読者の皆様も渋川市でご覧になっては如何でしょうか・・・。お奨めできる祭りです。
2008 08 01(金)記。 前橋市 最高気温32℃
福田大増税内閣誕生の日。