2015 10 12(月)
鎌倉時代に修行僧に身をやつした執権・北条時頼が、雪降る夜に一夜の宿を乞うたあばら家の主が寒さに震える時頼の為、
大切にしていた盆栽の梅・松・桜の木を切って燃やし暖をとらせたという逸話の「鉢の木」で有名な佐野源左衛門常世を祀る“常世神社”。(つねよじんじゃ)
上越新幹線脇に訪れる人も少なく、ひっそりと静かな常世神社。
石鳥居から細長い境内を進むと正面の小高い場所に常世神社の社殿、その近くには「佐野源左衛門常世遺蹟」と刻まれた大きな石碑が立つ。
碑文字は侍従で宮中顧問官だった正四位子爵・日野西資博の書になります。(大正15年建立)
境内の説明板。 昭和3年に奉納された句碑。
境内に設置された鉢の木を鉈で切断する佐野源左衛門の絵画。
11段の石段を上り常世神社社殿を参拝。 祭壇には乗馬姿の佐野源左衛門が描かれた御札が納められた石宮があります。
乗馬姿の佐野源左衛門の上には「躰身御門衛左源野佐」と記されています。
社殿軒先に奉納された絵馬も佐野源左衛門の逸話や謡曲・能楽に関するものが多い。
緊急時に駆けつける言葉の「いざ、鎌倉!」はこの佐野源左衛門の故事によりますが、最近は死語になりつつあります。
常世神社は佐野源左衛門が栃木県佐野市の領地を騙し取られ、流浪の身として住み着いたあばら家があった跡地に大正9年に建てられました。
常世神社と新幹線線路を斜めに挟んだ場所に鎮座するのが“定家神社”。(ていかじんじゃ)
児童公園に最適な明るい境内の定家神社は勿論、歌人で「新古今和歌集」「小倉百人一首」の撰者でも有名な藤原定家を祭神として祀ります。
なんで高崎市郊外の烏川近くに定家神社があるのか解りませんが、折角ですから参拝します。
修復され朱色も新しい定家神社拝殿。 扁額の「定家神社」の書体がユニークです。
神社拝殿内部に置かれた二体の仁王像、神社にあるのは神仏習合時代の名残かも・・・。
社殿内陣は格子戸で良く分かりませんが、御幣と神鏡が置かれているようです。 格天井には定家の詠んだ和歌が描かれているのか?
藤原定家の代表歌「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ」額は氏子により神社改築記念に奉献。
拝殿後方の色鮮やかな定家神社本殿。 軒先を飾る彫刻も迫力があります。
社殿横奥には小さな丘、古代の墳丘かも・・・。 新幹線高架下の万葉歌碑。
「佐野山に 打つや斧音(おのと)の 遠かども 寝もとか子ろが 面(おも)に見えつる」万葉歌碑。詳細は下のURL。
http://www5a.biglobe.ne.jp/hpkoto/ara/manyou/gunmatakasakiteikajinja.html
定家神社に伝わる四品の社宝が納められていた事から、この地に定家神社が建立された模様。
定家神社と同じ敷地内の片隅に間借りするように鎮座する“古峯神社”。 石造りの祠を祀っているだけで由緒は不明。
定家神社の背後を流れる一級河川・烏川(からすがわ)、そこに架かる歩行者専用の木道橋が“佐野橋”と名付けられています。
群馬・長野県境の鼻曲山を源にする穏やかな烏川、右方向に上信電鉄鉄橋が見える地点に架けられた木造りの佐野橋。
橋の欄干と橋床は木造ですが、頑丈な橋脚はH形鋼造り。橋脚のペンキ色が茶系色だったら趣・風情が格段に良くなるのに・・・。
その昔には、この地に浮き橋が架けられていたそうで、対岸住む男女の悲恋の物語が謡曲「船橋」として語られています。
佐野橋から徒歩で2~3分程の高台に「佐野の船橋歌碑」があります。(後方は上越新幹線高架線路)
佐野船橋歌碑正面。 佐野船橋歌碑裏面 「佐野橋竣工記念碑」衆議院議員・中曽根康弘謹書。
佐野船歌歌碑の表裏面共に風化激しく判読は困難、表面最上部の「船木観音」文字は読めるのですが・・・。
佐野の渡と船橋にまつわる悲恋の由来。
佐野船橋歌碑の碑文説明板。
佐野源左衛門と藤原定家と浮橋の地図。
この地を訪問するには新幹線と上信電鉄の交差する場所付近に新設された上信電鉄「佐野わたし駅」が徒歩圏内で便利です。
前回の「第28回 鎌倉街道武者行列」のついでに烏川周辺の名所を訪ね歩いた秋晴れの一日でした。
2015 10 28(水)記。 前橋市 最高気温 24.5℃ 最低気温 14.1℃
おまけコーナー。
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