2009 03 08(日)
長岡市栃尾下来伝地区の奇祭“ほだれ祭り”を楽しんでから、栃尾の名所である秋葉神社総本社へ車を走らせました。
路肩にまだ根雪が残った街道には「合格街道」なる名が付けられていました。
人家から離れた場所ですが、学業成就・合格祈願で霊験ある来伝天神菅原神社があるそうです。
栃尾の秋葉神社へ急ぐ途中、「静御前の墓」なる標識が見えたので訪ねて見ることに・・・。
国道290号線を右折して刈谷田川に架かる大戸川橋を渡った大川戸地区の高徳寺坂に“静御前の墓”がありました。
越後の栃尾の更に山奥に静御前の墓があるなんて不思議!?
駐車場まで完備していましたから、お参りする人も多いのでしょう。
小高い場所にある墓地内には幾つかの石碑や石塔が・・・。
中央の石杭で囲まれているのが静御前の墓と言います。
左の石塔は静御前と荒れ果てた静御前の墓を命を紡いで建て直した福王寺セイの冥福を祈る為に建てられた供養塔です。
福王寺セイは明治の末に刈谷田川の対岸にある小向村に住んでいた16歳の少女。
静御前の墓の痛みに悲しみ墓を建て直そうと決心し、機織で得たお金で立派に墓を建てたのです。
しかし、無理がたたって2年後の18歳のとき病で亡くなってしまいました。
それを悲しんだ近在の村人たちがこの供養塔を建てたと言われています。
京都において美貌と華麗な舞姿を謳われ、源義経の愛妾でもあった白拍子の静御前は、源頼朝に追われ奥州平泉に逃れた義経を慕って訪ねる途中、この栃堀(栃尾)まで辿り来て長旅の疲れから病を患います。
奥州街道方面は頼朝の取締りで通過できずに、迂回して越後の栃堀から幾山を越え会津へ下り、平泉での義経との再会の夢も空しく、この地で息を引き取りました。
同行していた従者は里人たちの協力を得て、この栃堀の地に埋葬し戒名を「源貞院殿松寿妙栄大姉」とおくり静御前の霊を弔ったそうです。
静御前の立派な銅版レリーフは平成18年4月に行われた静御前817回忌記念で建てられました。
栃尾の源氏伝承「静御前の墓」の詳細は ⇒ ここクリック。
この墓前に立つと交通機関の発達した現代と違って徒歩での長旅の難儀が痛いほど思いやられます。
越後の白雪が美人白拍子・静御前の肌の色と重なり、義経を慕っても再開でぎなかった悲哀に満ちた物語が心に染みる越後の旅となりました。
次回は秋葉神社総本社です。
2009 03 24(火) 前橋市 最高気温13℃
おまけコーナー。
No Pants Subway Ride 2009
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