夏なればやどにふすぶる蚊遣火の
いつまでわが身下燃えをせむ 詠み人知らず
夏が来たので、家々の戸口で蚊遣火がくすぶっている。その煙の低いように私の心はいつまでも恋の火を燃やさなけれならないのだろうか。
いつまでわが身下燃えをせむ 詠み人知らず
夏が来たので、家々の戸口で蚊遣火がくすぶっている。その煙の低いように私の心はいつまでも恋の火を燃やさなけれならないのだろうか。
千代なるは内助の功を語るとき
この人おいて語る人なし 樋田哲仙
秀吉のあとを継いで天下統一を果たした家康は掛川城主に山内一豊を城持ち大名とした。一豊は信長、秀吉とつかえてようやく大出世となる。この時、妻の千代は持参金の大枚を渡して名馬を購入させたことから、内助の功の鏡と称賛されることになった。しばらくして一豊は土佐初代藩主として移封され土佐の礎を築いた。
この人おいて語る人なし 樋田哲仙
秀吉のあとを継いで天下統一を果たした家康は掛川城主に山内一豊を城持ち大名とした。一豊は信長、秀吉とつかえてようやく大出世となる。この時、妻の千代は持参金の大枚を渡して名馬を購入させたことから、内助の功の鏡と称賛されることになった。しばらくして一豊は土佐初代藩主として移封され土佐の礎を築いた。
大御所の列の後方へにこっそりと
行く思いする駿府の御門 樋田哲仙ん
最近、方向音痴になるとはほとんどないのだが、駿府城跡へ入るとっみには方向が分からない。乾櫓が建っているのでそれから割り出せるはずだが、どうも東西南北が出ない。多分入場した門は東御門と決め込んでしまったが、方向音痴になると難儀なことが起きる。
行く思いする駿府の御門 樋田哲仙ん
最近、方向音痴になるとはほとんどないのだが、駿府城跡へ入るとっみには方向が分からない。乾櫓が建っているのでそれから割り出せるはずだが、どうも東西南北が出ない。多分入場した門は東御門と決め込んでしまったが、方向音痴になると難儀なことが起きる。
引退後ふるさと恋ひて大御所は
安堵の胸に駿府に籠る 樋田哲仙
将軍職僅か2年で息子の秀忠告に譲り、故郷の駿府城へ隠居した。だが江戸へは目を光らせせ実験はいつまでも握り続けた。現在駿府城跡は都市公園で平坦な真ん中にある。復元された乾隅櫓が図書館と資料館になっているとか。今現在坤の隅櫓が建設中では復元されるようだ。
安堵の胸に駿府に籠る 樋田哲仙
将軍職僅か2年で息子の秀忠告に譲り、故郷の駿府城へ隠居した。だが江戸へは目を光らせせ実験はいつまでも握り続けた。現在駿府城跡は都市公園で平坦な真ん中にある。復元された乾隅櫓が図書館と資料館になっているとか。今現在坤の隅櫓が建設中では復元されるようだ。
秋の野の尾花にまじり咲く花の
色にや恋ひむ逢ふよしをみな 詠み人知らず
秋の野原のススキに混じって咲いている花は実に鮮やかである。私も自分の思いをはっきりと顔色に誘うかしら。外に逢える方法がないから。
色にや恋ひむ逢ふよしをみな 詠み人知らず
秋の野原のススキに混じって咲いている花は実に鮮やかである。私も自分の思いをはっきりと顔色に誘うかしら。外に逢える方法がないから。
大阪に名所となるは違ひなし
はや訪ねたる「あべのハルカス」 樋田哲仙
大阪に限らず、どこの地域にも野次馬いる者だ。3月7日全面オープンした[あべのハルカス]は高さ300㍍、60階建てノ超高層ビルハ周囲を圧倒している。展望台は3月末まで予約で、一般はのぼれない。16階の中間展望台は自由に上れる。開業8日目で訪ねる野次馬である。新名称は人出で盛況である。
はや訪ねたる「あべのハルカス」 樋田哲仙
大阪に限らず、どこの地域にも野次馬いる者だ。3月7日全面オープンした[あべのハルカス]は高さ300㍍、60階建てノ超高層ビルハ周囲を圧倒している。展望台は3月末まで予約で、一般はのぼれない。16階の中間展望台は自由に上れる。開業8日目で訪ねる野次馬である。新名称は人出で盛況である。
人足が共にて詠みし巨勢山の
椿に名だたる万葉史跡 樋田哲仙
息子の文武 に譲位しているので、持統天皇は太上天皇となるが、奈良から紀伊への行幸する最適地が巨勢だったのだろう。1300年余前の飛鳥時代のことである。当時から同中にツバキが植栽されていた証しである。現在も受け継いで、大切に史跡としている。坂門人足、春日蔵首老に巨勢の歌がみられる。
椿に名だたる万葉史跡 樋田哲仙
息子の文武 に譲位しているので、持統天皇は太上天皇となるが、奈良から紀伊への行幸する最適地が巨勢だったのだろう。1300年余前の飛鳥時代のことである。当時から同中にツバキが植栽されていた証しである。現在も受け継いで、大切に史跡としている。坂門人足、春日蔵首老に巨勢の歌がみられる。