歌敷山の街を抜けると、北側が霞ヶ丘、南側が五色山という町名に変わりますが、そのまま二つの街を分ける一本道を東へと進みます。
地図で見ると、霞ヶ丘交番の四つ角で南へ歩をとれば、五色塚公園という大きな公園があるらしく、その辺りが探している石組みのある何かだと見当をつけていました。
南下する道の突き当たりにそれらしきものが見えてくるのですが、まず目にするのは案内板です。
探していたものは古墳だったのですね。文字は十分読めると思いますので、この古墳の説明は省きます。
古墳の入口は右への矢印があり、沿って歩いていきます。明石海峡大橋が見え、その下にも墳丘が見えます。そちらが・・・
小壺古墳、五色塚古墳の入り口に向かうと手前にこちらの古墳があります。直径67mの円墳です。芝生で覆われているので、春になると一面緑に変わるのでしょうね。小壺古墳に立ち入ることは出来ません。
五色塚古墳の入り口までやってきました。このモニュメントは二つの古墳の復元が完成した記念に建てられたものですが、この碑にもあの名前を刻むのが好きな市長の名が記されています。
後円部の石葺を左に見ながら古墳を登っていきます。なかなかきれいな紋様ですね。
こちらは前方部の頂上、明石海峡大橋や淡路島が展望できます。この古墳に葬られた人はきっとこの眺めが好きだったのでしょうね。もちろん当時は大橋はありませんが。
先端まで行って明石海峡に臨みます。この海峡は瀬戸内海から大阪湾へと流れる(その逆もあるのですが)唯一流れが速くなるところで、流れが速くなる海では美味しい魚が獲れるのです。私は西から東へと流れる海流より、東から西への海流のほうが早いのではないかと思っています。
方墳の先端部、山陽電鉄の電車が眼下に走っています。山陽電鉄より少しだけ海側にJRが走っていますが、その車窓から見える石組みは、この眼下のものだったようです。
さて、次は後円部の方を探索です。
地図で見ると、霞ヶ丘交番の四つ角で南へ歩をとれば、五色塚公園という大きな公園があるらしく、その辺りが探している石組みのある何かだと見当をつけていました。
南下する道の突き当たりにそれらしきものが見えてくるのですが、まず目にするのは案内板です。
探していたものは古墳だったのですね。文字は十分読めると思いますので、この古墳の説明は省きます。
古墳の入口は右への矢印があり、沿って歩いていきます。明石海峡大橋が見え、その下にも墳丘が見えます。そちらが・・・
小壺古墳、五色塚古墳の入り口に向かうと手前にこちらの古墳があります。直径67mの円墳です。芝生で覆われているので、春になると一面緑に変わるのでしょうね。小壺古墳に立ち入ることは出来ません。
五色塚古墳の入り口までやってきました。このモニュメントは二つの古墳の復元が完成した記念に建てられたものですが、この碑にもあの名前を刻むのが好きな市長の名が記されています。
後円部の石葺を左に見ながら古墳を登っていきます。なかなかきれいな紋様ですね。
こちらは前方部の頂上、明石海峡大橋や淡路島が展望できます。この古墳に葬られた人はきっとこの眺めが好きだったのでしょうね。もちろん当時は大橋はありませんが。
先端まで行って明石海峡に臨みます。この海峡は瀬戸内海から大阪湾へと流れる(その逆もあるのですが)唯一流れが速くなるところで、流れが速くなる海では美味しい魚が獲れるのです。私は西から東へと流れる海流より、東から西への海流のほうが早いのではないかと思っています。
方墳の先端部、山陽電鉄の電車が眼下に走っています。山陽電鉄より少しだけ海側にJRが走っていますが、その車窓から見える石組みは、この眼下のものだったようです。
さて、次は後円部の方を探索です。