この公園内にある古墳、正式には玉津王塚古墳と名付けられているそうですが、宮内庁の管轄下にあったとしても、回りの公園は近所の方々のボランティアできれいにされているようです。つまり宮内庁なんて何にもしてないのですよね。
近辺の観光案内版が立っていますが、どこもここからは遠くて、行ってみようという気持ちにはなりません。
竹中郁の詩の碑がありましたが、神戸文学館でこの人の名を見たことがあるのですが、私自身としてはあまりよく知りません。確か遠い昔に読んだ灰谷健二郎の本に名前が出ていたような、薄~い記憶があります。
この詩を読んでも、あまり意味が解りませんね。理解できるのは最後の2行ぐらいですかね。
公園の西側、こちらにも大きな碑があります。『神戸市玉津土地区画整理事業 完成記念碑』だそうで、ここにもかの神戸市長の名前が刻まれています。この手の完成記念碑、神戸市内のあちらこちらで見かけるのですが、いつもこの市長の名が刻まれているのです。
細かくて読めはしませんでしょうが、土地区画整理事業の由来が記されています。神戸市垂水区玉津町字吉田・森友・出合の一部 約163万㎡の区域は昭和40年に組合を結成し、整理事業を9年の歳月をかけて完遂させて、町の名前を王塚台・枝吉・森友・持子と改称したとあります。当時ここがそのまま垂水区だったのか西区だったのかの記載はありません。この後に組合役員の名前が列記され、最後に淡路島の景勝を望む台地に完成の記念して碑を建立したとされています。
しかし、何処から眺めてもこの地から淡路島を眺望することは出来ません。唯一、真ん中の白い車の上のビルとビルの間に少し、島の一部が見えるだけです。
昭和49年といえば1974年、35年も前ですが、その間に沢山の背の高い建物が建ってしまったのですね。
堀の南西角から東側を撮ると、堀の一部が赤茶化ています。ミジンコなのでしょうか?子供の頃、近くの池で見ていたミジンコとは少し違うようですから、ミジンコではないのかも知れませんが、実際は何なのか分かりません。
元に戻ってきました。一周するのにゆっくり歩いても10分とかからない小さな公園です。
近辺の観光案内版が立っていますが、どこもここからは遠くて、行ってみようという気持ちにはなりません。
竹中郁の詩の碑がありましたが、神戸文学館でこの人の名を見たことがあるのですが、私自身としてはあまりよく知りません。確か遠い昔に読んだ灰谷健二郎の本に名前が出ていたような、薄~い記憶があります。
この詩を読んでも、あまり意味が解りませんね。理解できるのは最後の2行ぐらいですかね。
公園の西側、こちらにも大きな碑があります。『神戸市玉津土地区画整理事業 完成記念碑』だそうで、ここにもかの神戸市長の名前が刻まれています。この手の完成記念碑、神戸市内のあちらこちらで見かけるのですが、いつもこの市長の名が刻まれているのです。
細かくて読めはしませんでしょうが、土地区画整理事業の由来が記されています。神戸市垂水区玉津町字吉田・森友・出合の一部 約163万㎡の区域は昭和40年に組合を結成し、整理事業を9年の歳月をかけて完遂させて、町の名前を王塚台・枝吉・森友・持子と改称したとあります。当時ここがそのまま垂水区だったのか西区だったのかの記載はありません。この後に組合役員の名前が列記され、最後に淡路島の景勝を望む台地に完成の記念して碑を建立したとされています。
しかし、何処から眺めてもこの地から淡路島を眺望することは出来ません。唯一、真ん中の白い車の上のビルとビルの間に少し、島の一部が見えるだけです。
昭和49年といえば1974年、35年も前ですが、その間に沢山の背の高い建物が建ってしまったのですね。
堀の南西角から東側を撮ると、堀の一部が赤茶化ています。ミジンコなのでしょうか?子供の頃、近くの池で見ていたミジンコとは少し違うようですから、ミジンコではないのかも知れませんが、実際は何なのか分かりません。
元に戻ってきました。一周するのにゆっくり歩いても10分とかからない小さな公園です。
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