ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

神戸文学館

2009-05-29 05:00:00 | 神戸にて
王子公園の西南角にこのレンガ造りの洋館が建っていました。
正面から写真を撮っていると、掃除しているオッチャンが手招きで呼んでくれています。別に中を知りたいとは思わなかったし、きれいなレンガ造りやと思って写真を撮っただけやったんですけど、「開いてるし、タダやから見ていき」と言われ、「中は写真撮ったらアカンで」とも言われました。

「タダやから」が誘い水だったのでしょう。

          

入館して感心したのですが、明治時代からの神戸ゆかりの文豪の作品を並べています。当時の写真もありました。正岡子規から始まり、名前だけ知ってる人でも竹中郁、山本周五郎、遠藤周作、小泉八雲、横溝正史、林芙美子、谷崎潤一郎、司馬遼太郎、陳舜臣、妹尾河童、野坂昭如、岡部伊都子、灰谷健次郎・・・・・亡くなった方も生きてる方もいますが、そうそうたる面々です。
この中で読んだことがあるのは、司馬さん、陳さん、野坂さん、岡部さん、灰谷さんぐらいでしょうか。そう言えば宮本輝が無かったぞ。

          

入館を勧めてくれたオッチャンの言葉も違えて、少し写真を撮りました。私が在館中に入館してきたのは、あと2人だけですもの、邪魔はいたしません。

この地図は作家ゆかりの地を示したもの、火垂るの墓細雪もありました。そういやぁ、賀川豊彦というのもあったぞ。

          

外に出ると、この館の説明、中にもありましたけどね。この板の写真では手前が畑みたいですが、今は家が並んでいて、とてもこの写真のようには撮れません。

明治22年に関西学院として設立、関西学院が昭和4年に西宮に移転、チャペルだけが残されたそうです。

  

何とか横一列に3枚の写真を貼り付けてみました。3枚目の写真がへしゃげたように写っています。立地が狭いことの証明です。

          

このモニュメント、幾つかの字や絵があるのですが、正面に見えるのが『敬神愛人』と書かれた第2代院長の筆、手前の石みたいなのが、旧礼拝堂の階段の飾り石だそうです。

          

こちらは裏側、王子公園の西側の道へと抜けていきます。

          

この日私が撮った中では、この写真が一番かっこいいかも知れません。少しやけど、空も青いしね。

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王子公園

2009-05-28 05:00:00 | 神戸にて
中島通に行くには、JR灘駅を降りて、王子公園の方へと北へと歩き、王子公園の西側を更に北へと進みます。

王子公園には動物園があるのですが、その方向から『ギャーギャー』とも『コォーコォー』ともつかないような鳴き声が聞こえてきて、ビックリです。

動物園から聞こえていたと思っていたら、上の写真のオウムです。

          

普通の喫茶店の前の木にとまっています。カメラを向けると鳴き止みました。きっとかまって欲しかったのかもしれませんが、よく見ても繋がれているようには見えません。でも何処かで繋いでいますよね。

          

王子動物園の入口です。大人600円の入場料が要るし、時間が無いので入ってはいません。

          

何故か『働く少年の像』として新聞配達をしている子供の像が建っていました。朝刊太郎ですね。

          

早くも帰り道の『ご案内』です。阪急の王子公園駅が一番近く、その次がJR灘駅、一番南側に阪神岩屋駅があります。あの高橋もこの地図の中にあるのですが、紹介はされていません。

          

入口横に巨大なクスノキが植わっています。古い神社からは是非譲って欲しいと言われたのでしょうね。枝振りもなかなかのものです。

さて、灘駅からこの公園までに、あるお寺がありました。

          

妙本寺とありますが、隣接する(ひっついている)金剛会館なるものに、とある政党のポスターが貼られています。権力に摺り寄って、おこぼれ頂戴式の構図、その票欲しさに形振り構わない権力政党、こんな政党の馴れ合いが日本をダメにしている遠因の一つなのかも知れません。

政教分離は建前だけなのでしょう。

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インフルエンザ

2009-05-27 05:00:00 | 神戸にて
先々週末から神戸と大阪に新型といわれるインフルエンザに感染する患者が続出しました。その週末、木・金曜と中央区の中島通という所に行くよう指示されていました。

初夏の汗ばむ時期にこの六甲の山麓に行くのはイヤですね。

          

冬でも到着する頃には汗が噴出すのに、今頃では到着する前から汗が出て、なかなか引くことがありません。

ところでこの中島通というところ、新型インフルエンザの高校生の患者が出た神戸高校の近所です。まぁ、当時の状況からしてインフルエンザの患者が出たことを知っていて、私を神戸高校の近くにやったのではないと思います。

翌週我社は月曜から水曜まで営業活動自粛でした。木・金曜は対面することを避けて、ポスティングだけの活動でした。

          

当時はもう何処に新型インフルエンザの患者が発生したのか、判っていた時期です。
ところが、渡された地図は兵庫区の会下山町、実はこの町の近くには、神戸高校とバレーボールの試合をした兵庫高校があるのです。

          

この高校からも新型インフルエンザの患者も出ています。この時期にわざわざその近くに行かせるかと思いたくもなるというものです。

          

写真と記事が全くかみ合わない内容ですが、ここは中央区中島通にある春日野墓地という広い墓地です。広いだけあって入口がいくつもありました。
春日野と名がついていますが、阪急電車の春日野駅からは1Kmぐらい北北西にあるでしょうか。

今週から又、こちらでの仕事になっています。

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古谷魚店

2009-05-26 05:00:00 | 田舎
これは5月2日にY君がやってきた日の夜のお話。

この日は大きいガシラ2匹と小さいガシラ1匹釣って、私は釣果無しだったので、4人の夕食にはガシラが1匹足りません。あのチョーでかいガシラは一人では食べれないでしょうが、とにかく中途半端なのです。

それならと、この古谷魚店に買出しにやって来たのではありません。



母親は遠慮したので、私と次男とY君の3人で飲みにやってきました。

          

Y君と一緒に釣りに行くようになって、20年ぐらいになるでしょうか。ここ数年は職場も変わり、勤務形態も違うので一緒に釣りに行くことは滅多にありませんが、こちらに釣行の度にこの魚屋で飲んでいました。

前回Y君が来た時もK君と3人で一緒に飲みに来て、最終電車に数分間に合わず、タクシーも無かったので姫まで歩いて帰ったのでした。

          

ここのご主人もY君をよく覚えていて、私が一人で行く度に「Yさん、来んのぉ」と嘆いていました。久し振りにY君に会った主人は上機嫌です。一緒に写っている女の人は奥さんではありません。新人さんでした。以前は『昔のべっぴんさん?』が切り盛りしていたのですが、ようやく世代交代していくのでしょうか。

          

私も一緒に撮ってもらいましたが、大分酔っているようです。新人さんの名前は忘れましたが、私と写ってるときは怒っているのでしょうか・・・

でもこの夜はちゃんと9時20分の最終電車で帰りました。

翌日私は大小2匹のガシラを釣ったので、全部で5匹になったのですが、1番デカいガシラを造りにして食べたほかはY君のおみやげにしました。

翌々日、私がサンノジを釣った日ですが、昼前まで粘ったY君は帰途につくのが12時を廻ったので、家に着いたのは相当遅かったらしく、その日ガシラはオアズケだったということです。

これで今回のGWのお話はおしまいです。

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旧フェリー乗り場の奥

2009-05-25 05:00:00 | 田舎
JR串本駅です。串本への玄関ですが、このアーケードは帰りの旅人用、「また来てくらんしよ」と書かれています。2003年に串本ライオンズクラブの寄贈になっていますが、古ぼけています。

これから串本を楽しもうとする旅人用のアーケードを撮ろうと思うと、当に駅の方から撮らなければならないのですが、そうもいきません。何故なら、アーケードの後ろにあるお土産屋さんは潰れてしまっているので、凄く殺風景に写ってしまうのです。

串本の玄関にあるお店が潰れてしまっていては、なんだか串本に来た人はガッカリしませんか。

町役場に観光課があるのかどうか知りませんが、はるばるやって来てくれたお客さんを、玄関で不安にさせないよう、何とか手を打たなければなりません。

以前、漁港巡りをした際、旧フェリー乗り場も案内しました。

          

以前は当にフェリーが発着していた所から撮りましたが、ここは対角線上、海側から撮っています。

実はこちらから見ると左方向へ港が続いているのです。

下の地図は、まず『goo地図へ』ボタンをクリックして、新しく地図を表示させた上で、地図欄外左上の『航空写真』ボタンをクリックしてご覧下さい。


そちらの方へと歩いていくと・・・

          

『漁船格安』って、彼方此方に貼ってあります。でも携帯の番号です。これってやはり不安ですよね。NTTという会社が電電公社であった時代、高価な設置負担金(72800円)を支払わなければ電話は設置してもらえませんでした。そのために個人情報を電電公社に預け、現にNTTはそのままお客様情報として厳重に管理しています。

そういう点で言えば、電話番号は信用の置けるものだったのです。だけど誰でもが携帯電話を簡単に持てるようになり、番号ポータビリティで、そのまま他社に引き継がれていき、その信頼性はガタガタになっているのではないかと思っています。

          

話はとんでもない方向へ行ってしまいましたが、道には鴨が日向ぼっこしています。近寄っても逃げようとしません。

          

漁港にしてはとても浅く、サギが獲物を探して佇んでいます。

          

干潮時なので余計に浅いのでしょうが、それでも漁船を係留しています。
真ん中の小高い丘の上に建つのがダイワロイヤルホテルです。

          

このサギ、海面に写った自分の姿をじっと眺めているようです。

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風車

2009-05-22 05:00:00 | 田舎
橋杭岩の全景が撮れないものかと、ダイワロイヤルホテルのある小高い丘に登ってみました。登ってみたといっても、車です。

結局、橋杭岩は全く見えなかったのですが、串本大橋の方への街並みを見ることが出来ました。

               

これ何だか判りますか?縦のものを横にすると判り難いものですね。

             

阪和道の広川辺りの山頂に、風力発電用の風車が何基も見えるようになりました。私が運転中誰も写真を撮る人などいないので、そこの風車の写真はありませんが、ここ串本の街の小高い丘にポツンと一つだけ立っています。

          

おそらくは、このダイワロイヤルの私物なのでしょう。風車だけ写すのも気が引けるので、建物も撮っておいてあげました。

               

こうして見ると風車の向こうには、結構ナンやカンやと建っています。右奥に見える赤っぽい建物は和田金のプチホテルですね。
あの田園風景をぶち壊そうとしている工事現場は、おそらくこの裏側ではなかろうかと思います。

          

この丘を利用して、野球場やサッカー場もあり、体育館や室内練習場も完備していますが、この若い住民の少ない小さな街に、このような大胆な施設は必要だったのでしょうか?

プロ野球がキャンプにでも使ってくれて、選手が串本の街で飲み食いしてくれれば、少しは活性の足しになるのでしょうが、そんな気配は全くありません。

          

こちらは野球場に隣接したミニゴルフ場、休日でもなかったのに・・・地元(だと思う)のオイヤン・オバヤンがゴルフに興じています。地元の人だと思うのは、わざわざ遠くからミニゴルフをするためにやってくる人などいないと思うからであります。

               

そういやぁ、42号線を南下すると、いやここからは北上するとかな、太地の入り口にもこれと似たようなのが出来てましたね。あれは公道の真ん中にあったから、私用ではないと思うのですが、信号機の点滅にでも使ってるのかも知れません。

串本や太地にもあるのですから、田辺や白浜にもきっと建っていることでしょう。

この風車、42号線からチラッと見えるんですよ。

          

気を引いた串本町のマンホールの蓋、椿とトビウオと橋杭岩(海金剛かも)、合併したのに旧古座町は疎外されていますね。

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波紋?風紋?

2009-05-21 05:00:00 | 田舎
28mmの広角レンズになって、初めて撮る橋杭岩になるでしょうか。
どうしても全体像が撮れません。

               

岩の説明が新しくなっていました。約1500万年前には串本の二色~西向と大島の串本向きの一部は成層泥岩層だったそうで、約1400万年前の火山活動によってマグマが隆起し、この橋杭岩の基が出来たとあります。この岩々の下は一枚の板のようになっているのだそうな。そしてこの岩と同じものが重畳山にも見られると書かれています。

          

干潮から少し潮が満ちてきている時間帯のようです。未だ観光客もまばらな時期でした。

          

こうして見ると砂浜が一段高くなっていますが、満潮になるとすべて水没してしまうのです。

          

手前に流れてくる海水の所に風紋が出来ています。波風が造っているので波紋かとも考えがちですが、そうではないらしい、波紋は水面に石等を投げた時に広がる同心円だったですね。砂底の海底にもよく見られる風景ですが、正確には漣痕と呼ぶそうです。

          

よく覗き込んでみると、稚魚が団体で泳いでいます。魚は1匹づつでは臆病ですが、集団になると人をも怖がりませんね、人間も同じですけど。魚の名前は判りません。

          

以前鬼がいた所に、今度は何故かクジラです。オニにしてもクジラにしても、橋杭岩にはあまり関係ないのですがね。

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潮岬の地磯

2009-05-20 05:00:00 | 田舎
この先がクレ崎でしょうか。降りてみればどこが一番先端なのか判ると思うのですが、降りれるところはあるのかと探しました。

          

こんな門があり、どうやら下まで降りられそうです。

               

このような立て看板まであり、ここを通って釣りに行って下さいと言ってるようなものです。
この看板にある118という番号は、警察=110、消防=119と同じような考え方で、海上保安庁に連絡できるというものであります。あまり知られていませんね。

          

釣り人のためというより、観光客向けの道だと思いますね。

          

でも下まで降りたら、やはり観光客向けとは思えない雰囲気です。

          

いろいろ歩き回ってみましたが、何処も浅いです。

          

先端にまでは、行けそうでなかなか行けません。

               

この向こうから、おそらく釣れなかったのだろうと思われる若者がやって来ましたが、物を持って歩くには、少し危険です。

          

あまり良さそうなポイントは見つけられませんでしたが、立て看板が有る限り、幾人もの釣り人が訪れているのは間違いありません。

私より若くて体力のあるY君や中2君お父さんに探してもらったほうが無難なようです。いや中2君は早いもので、もう中3君になっています。

見上げると門柱が見えます。そろそろ帰りの時間です。

          

上り口の岩には、水が滲みていました。『旭の森』と呼んでいたように、思ったよりも木々が多いのですね。

          

門の所まで帰って、振り返ると若者(と思う)が二人、先端から帰ってくるのが見えました。どうやらあの大きな磯の先端にポイントがあるのかも知れません。

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望楼の芝

2009-05-19 05:00:00 | 田舎
なかなか出来のいい写真だと自画自賛しています。きっと天気が良かったからだと思っています。

          

本州最南端と記されていますが、最南端は潮岬ではなく、もう少し東寄りのクレ崎という岬、まぁこの辺り一帯の総称として潮岬と呼ばれているのでしょうね。



上の地図は『goo地図へ』のボタンをクリックして、拡大して見てくださいね。

ゆっくり歩いてみると、こんなものがありました。

          

『旭の森』入口と書かれていますが、森の様ではありません。神功皇后がこの旭の森に来て、朝日を見て、盃岩を囲んで酒宴を催したと記されていますが、この地に来て朝日を拝んだ、だから旭の森と呼ばれているのだと考えるのが妥当だと思うのですが・・・まぁ作り話でしょう。

          

まぁ、何はともあれ『森』の中へ分け入ってみましょう。

          

途中に潮岬の灯台を展望できる休憩所がありました。

               

海に向かって碑が刻まれています。読むには少し危ない、普通なら道側に刻んだ文字を示すものです。『天皇陛下御聖躅』とあり、躅は跡と同じ意味だそうです。

          

それで道側の文字が『昭和四年六月二日 逓信協会大阪支部』とあり、こりゃどう見ても前後が逆ですわ。それも我社と関わりある協会ですが、逓信関係は今も昔もバカなことばかりやってますね。

       

展望タワーより西側、この辺りは芝というより、いろんな草ですね。こんな所に小さな碑があります。

               

『燈臺局』まで読めるのですが、その下が読めません。誰か判る人いますか?

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九龍島と鯛島

2009-05-18 05:00:00 | 田舎
今回の帰省は天気に恵まれ、晴天の日が多かったお蔭で、1冊の本も読むことが出来ませんでした。我がGWの1日目は雨、ソフトボールの練習も中止となり、土曜日から出発しようかとも思ったのですが、予定通り26日の日曜から、この日は晴天で風が強く、非常に見通しの良い1日でした。

こういう日を何と言うのでしょう?空気が濁ってない、透明感が強いという感じで、遠くまでクッキリ・ハッキリ見えるのです。江住の辺りから一瞬ですが、潮岬が見えました。

姫の家に着いて、「こりゃ、写真を撮っとかな・・・」と思い、リュックの中を探してもデジカメがありません。忘れたのだと思い、家に電話しても無いと言われ、前夜デジカメの電池を充電し、8Gのメモリーカードを3000円で買ったので入れ替え、それからどうしたのかと・・・考えたのでしたが、年齢のせいでしょうか思い出せません。

翌日、別のスポーツバッグを探っていると、何と!そこからデジカメが出てきたではありませんか。普段はリュックに入れているので、リュックばかりに気を取られていました。ちゃんと忘れずに持ってきておったのですね。

       

九龍島と鯛島の良い写真を撮りたいと思って、早速神野川の河口に降りて、カメラを向けましたが、どうやら天気が良すぎたようでした。露光オーバーという奴でしょうか、1枚目の写真は失敗です。

時間を変えて、場所も変えて・・・防潮堤が写り込んでしまいました。

          

鯛島だけの撮影、鯛の目に喫水線が写っていそうに思うのは錯覚でしょうか?鯛の目の中に朝日が昇る・・・そんな風景も撮ってみたいと思いながら、朝から出て行く気にもならない私でした。

          

今度来た時は、もう少し時間をかけて、いろんな角度から撮ってみたいと思います。

波も無く海の箱庭のような景色だと思うのですが、紀伊半島の西海岸はこの日も風が強くて、荒波が押し寄せていました。

結局、姫の家にあるカードリーダーでは、8Gのメモリカードを読み取ることが出来ませんでした。良い天気のうちにあちら・こちらと撮り溜めしてあるので、田舎の風景はまだまだ続きます。

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