ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

石屋川 Ⅱ

2009-03-31 05:00:00 | 神戸にて
またまた阪神・石屋川駅で降りる灘区は大和町というところへ行っています。何度も通ると今まで見えてなかったものも見えてきたりします。

石屋川駅から北へ歩いて2~3分の所、木で出来た案内板があります。今まで全く気が付かなかったのですが・・・

         

徳川道起点とあります。この案内板の字はハッキリ読めるので説明は要りませんね。高羽・篠原は箕岡通へ行く通り道にありました。仙谷は箕岡通の東側を流れる仙谷川の上流でした。ひょっとして私は徳川道を所々歩いていたのかも知れません。

         

以前にも載せた石屋川ですが、この川はこの辺りで天井川になっています。天井川とは、川底が付近の住宅地より高いところを流れている川です。ですから、氾濫すると大変なことになるのです。

         

同じ地点から東側の住宅地を撮ったものですが、手前の家が見えているのは2階や3階の部分です。

なので、ここから西側にある大和町の新築の家は・・・

         

住まいを一段高くしてあります。そういった新しい家が多かったです。

         

石屋川沿いで探していたものがやっと見つかりました。『火垂の墓』のモニュメントです。ずっと探していたのですが、全然違うところばかり行っていました。

              

原作者も故人になり、かなり古い映画ですが、鮮明に覚えています。忘れることがあってはならないとも思います。

         

場所は、徳川道の案内板の丁度対岸辺り、御影公会堂がこのように見えるところに建っています。なんだかハトも懐かし気に眺めているようです。

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護国神社

2009-03-30 05:00:00 | 神戸にて
護国神社などという神社は全国に無数にあり、とりあげるのも憚られそうなのですが、地図には結構大きく『護国神社』と標記してあり、有名なのかと思いつつ、箕岡通を南下する際、東へ東へと歩いたのでした。

              

でかい石柱に『兵庫県神戸護国神社』と標されていました。最初の写真でも分かるように、広くて大きい構えの神社でした。

         

ここは社殿の前では無く、鳥居の前に狛犬が私らを見下ろしています。

         

古座の駅の裏、叔父が住んでる家の上の山、フナ釣りをして遊んだ池の上の山に、護国神社がありました。それは草茫々の荒地に社がポツンとあるような、小さい神社でしたが今はありません。
ここは広田神社や西宮神社とまではいかないにしても、かなりの広さがあります。

         

対面に見えるのは社務所ですが、何とそちらに注連縄が張ってありました。この写真では見えにくいですね。

         

駐車場の片隅に、小さいですがサクラが満開近くまで咲いていました。

         

階段の上から来た道を眺めると、鳥居の上にハトがいっぱいとまっています。さぞかしハトの糞でいっぱいなのでしょうね。

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六甲ケーブル下駅

2009-03-27 05:00:00 | 神戸にて
田舎から帰って、また現実に戻らなければなりません。

箕岡通での仕事が無くなったので、次何処へ行くのと聞けば、又々鶴甲へ行けと言われました。今度は5丁目、マンションはありますが、1戸建ては5軒しかありません。

5軒しかありませんから、仕事もそこそこに、前回行けなかったケーブル下駅に行ってみました。すぐ近くです。

こうして来てみると、六甲山は国立公園だったのですね。

       

鶴甲5丁目内を歩いているうちに、案内板を見つけました。歩いても山頂まで3Kmですね。

         

これが六甲ケーブル下駅、右に流れている川は六甲川に繋がっていると思われます。

         

駅に着いた時はケーブルカーは来ていませんでしたが、暫くすると下りてきました。昼前でしたが、たくさんの人が降りていましたが、これから乗る人はごく僅かでした。

         

3丁目の方に降りて行きます。

         

上の道路は六甲山トンネルを経て、六甲山上へと繋がっています。

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串本町の花

2009-03-26 05:00:00 | 田舎
青い弘法大師の左手に白い標示板が見えます。

          

災害時避難場所とあり、高潮などの災害時、階段を登って丘の上に上がるのでしょうね。

          

登ったらきれいな景色が見ることが出来るかも知れません。興味本位で登ってみることにしました。
階段から下を眺めると、『芝桜ロード』と銘打って、トルコのお守りが飾られています。手前側が42号線です。

         

上り詰めたところから、再び・・・中央付近に停車しているのが私のクロスロード、左上へと伸びる道に併走して紀勢線の線路が見えます。

         

上まで来たのですが、先へは進めません。

         

よくよく考えると、高潮から逃れるための高台ですから、海の方に出られるようになっていたら意味がありません。途中で道が無くなってもいいんです。
でも、この頂上に何人の人が避難できるのやら・・・?

         

降りてきて、トルコのお守りを見に近づきました。大島のトルコ人の雑貨屋さんにこれのミニ版のアクセサリー類が売られています。
このお守りの周りに芝桜が咲いていますが、盛期になれば一面に咲いていたような記憶があります。

         

串本町の木=モチだそうです。道理でこの辺りの方々は餅まきが好きなんですね(ウソ)。じゃ、何故モチノキが串本の木なんでしょうね。

         

並んで串本町の花が紹介されてます。椿だそうですが、何故なのでしょう。大島があるからなのか?『アンコ椿は恋の花♪』の大島は伊豆大島だったので、私としては串本大島とはイメージが合わないのですが・・・

         

この広場の奥にひっそりとお地蔵さんが祀られていました。何故かワンカップじゃなくて一升瓶でお酒が供えられていました。でも空っぽだったです。

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青大師

2009-03-25 05:00:00 | 田舎
一枚岩を後に、帰路につきますが、少し串本の駅を撮っておきたかったので、371号線を山越えで高富という地区に出ることにしました。

42号線との交差点を串本方面に左折し、しばらく走ると大きくカーブする所で右側に銅像が立っています。どうやら弘法大師のようです。青い色をしているのが目を引きます。

         

通り過ぎたところで車を停めて、観に行きました。

              

サクラも少し咲いていて、なかなか良い雰囲気です。

       

お接待処と書かれていて、お気に召す品があればどうぞ持ち帰ってくださいと記されているのですが、持って帰れる物は何もありませんでした。

       

顔を見るとまだ若そう、青い銅像だけあって、青年の空海なんですね。


司馬さんの『空海の風景』では、佐伯真魚(空海の幼名)はずんぐりむっくりした容姿だったようなんですが、この像は筋金入りの青年像ですね。

       


31歳で遣唐使として入唐し2年で帰って来てるのですが、この像はそれ以前のものなのか、それ以降のものなのか。

それ以前なら修行時代であろうし、有難味も少ないでしょうし、入唐以降なら有難味はありそうですが、このように若いままでここに来るのは無理がありそうです。

私は入唐前の若い頃の空海は、このように立派な姿ではなかったのではないかと思っていますが、入唐後の空海なら若い容姿でこの辺りには来れなかったのではないかと思うのです。

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一枚岩のサクラ

2009-03-24 05:00:00 | 田舎
七川ダムから帰り道、一枚岩に寄ってサクラの状況を確認しました。行きしなにも通ったけど、写真を撮るのは帰りにしようと思っていたのでした。

この写真で言うと、右下に私の愛車があり、その辺りでサクラが咲いています。
こうして対比するとこの山のような岩の大きさが判ろうかというものです。

         

同じ場所から古座川の上流を撮ってみました。対岸にも道路があり、いつかそちらへも行きたいものですが、この一枚岩の上には行くことは出来ないようです。

         

この広場で見るとサクラは沢山咲いているように見えます。

         

少し南下すると橋がかかっていて対岸に行けるのですが、先ほどの道と繋がっているのかは不明です。

         

ここにトンネルが出来るまでは、立合という所から相瀬という地区を通って細い道を走りぬけ、この橋に辿り着くとやっと一枚岩まで来たという大変難儀な道だったのです。

         

ほぼ一直線にトンネルを通してあるので、こちらのトンネルから次のトンネルが見えます。こちらが相瀬トンネル、向こうが立合トンネル、立合トンネルの出口地点にこちらから言えば左方向に旧道があります。

         

相瀬橋を渡りきって旧道を見渡した地点、写真左の山肌が一枚岩の最南端でしょうか。

         

一枚岩の写真は最初のように北の端から撮る事が多いのですが、ここは相瀬橋の上、南側から撮っています。

         

相瀬橋から鹿鳴館の方に戻る途中、なにやら工事をしています。

              

休憩所新設工事とあり、またまた休憩所を造るつもりでしょうか。鹿鳴館だけで十分、そんなに観光客がやってくることは、まずないでしょう。

ところで平成21年3月25日までとなっていますが、明日ですやん。これを撮ったのは20日だったけど、それから5日間でで完成するような出来具合ではないのは歴然としています。

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七川の桜 Ⅱ

2009-03-23 05:00:00 | 田舎
この3連休、昨年同様、七川ダムの桜を観に出かけました。
今年は暖冬だったし、降雨も多く、今度こそはサクラが咲いているのを期待したのですが、やはり1週間は早かったようです。

         

今津橋を渡ったところで、撮った写真ですが、最初の方がもと来た側、2枚目が松根方面への道側です。

こちらの方はやはり去年より多く咲いているようです。

         

順序が逆になりましたが、ここが今津橋を渡る手前、右へととれば松根です。古座川源流の辺りの集落が松根です。

         

咲いてはいるのですが、やはり寂しい感じです。

         

サクラのピンクは満開になると、この湖のエメラルドグリーンによく映えるのでしょうね。

今年は2月に入って雨がよく降ったのですが、このダムは去年の今頃より少し水位が低いような気がします。

       

ここでウグイスが啼く声を聞きました。音声をONにして聞いてくださいね。




工事現場の音が遠くでうるさかったですね。

          

今津橋の手前で、これはお墓でしょうか?

          

このお地蔵さんに、宝永四・・・の字が読み取れます。300年前、元禄時代より少し後の時代から、こんな山奥に人が住んでいたという証しでしょうか。

         

このように咲いてる花びらもあることにはあるんです。

         

この木は湖畔に咲いていたものではありませんが、1本だけ植えられていて、それがほぼ満開です。

         

この日は朝方まで雨が降っていたのですが、この水位です。去年の水位と比べてみてください。かなり低いのが判ることとおもいます。

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海蔵寺

2009-03-19 05:00:00 | 神戸にて
河内国魂神社の南端にこのようなお堂があり、何故こんなものがあるのかと、覗いてみました。

         

消防隊でしょうか、軍隊でしょうか、古い絵が奉納されていました。

         

古い写真も掲げてあり、屋根だけでいいのか疑問ですが、このほうが湿気が溜まらなくていいのかな?

         

このお堂を突っ切ると隣の海蔵寺に通じています。この写真では石に隠れて見えないのですが・・・

              

左下に『菅公手植松』と刻まれていました。境内にあるものとばかり思っていたのですが、そのような古い木はありません。

きっと禅宗海蔵寺の碑の左にあったしめ縄を張った切り取られた木が、その木なのでしょうが信憑性がありません。

         

こちらがお堂、狛犬ではありませんが、仁王さんでしょうね。あまり怖くはありませんが、外を睨んでいます。

         

阿形の仁王、右脇の下が割れてしまってますね。

         

吽形の仁王、こちらは左脇下が割れてるけど、こんな風に造ってあるのかな?それにしては極端ですね。

         

境内の左にお堂があり、霊符堂と掲げられています。

         

このお寺は曹洞宗ですから、真ん中に鎮座するのは道元さんでしょうか。左に不動明王、右に毘沙門天が脇を固めていますが、それより右端に注目、監視カメラがこちらを伺っていました。

賽銭もあげないで写真ばかり撮ってる私は、この寺の坊主に罰当たりな奴だと罵られていたのかも知れません。

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河内国魂神社

2009-03-18 05:00:00 | 神戸にて
稗田水神社~稗田小学校の通りを上って行くと、いつもの道よりかなり西の道を上っていくことになります。まっすぐに見える道も地図で見ると徐々に西へと傾いていき、目的地とはどんどん離れていくのですが、摩耶ケーブル下駅の近くに河内国魂神社という厳めしい名の神社があるというので、経由して箕岡通に辿り着くようにしました。

              

バス停には五毛天神という名前が付いており、地元ではそう呼んでいるのでしょうか。

         

大阪の天王寺区に生国魂神社という有名な神社があり、私らは『いくたまじんじゃ』と呼んでいますが、『いくくにたまじんじゃ』と読むらしい。とすればここは『かわちのくにたまじんじゃ』と読むのでしょうね。『いくたまじんじゃ』と呼んでるうちは、この神社の名前は読めないです。

         

境内に五毛天満宮と刻まれた標が建っていましたし、横には標柱の名残のようなものも建ててありましたが、五毛天満宮と河内国魂神社は別物なのかも知れません。

         

何故だか何処の天満宮にも牛の銅像がありますね。どんな関係なのかな。

         

正面にあったのが河内国魂神社で、左側のこの社殿が五毛天神なのかも知れません。五毛とはこの辺りの町名です。

         

正面から海側を見たのですが、標柱の横には対象に馬の像がありました。

         

境内にある水口ですが、普通は龍を模ったものが多いのですが、ここは獅子ですよ。

         

写真に撮ると涎を垂らしているみたいに見えます。
牛あり、馬あり、獅子ありと楽しい神社です。

         

足なども非常にリアルに造られていて、当に獅子が水を飲みに来ているような姿です。

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稗田水神社

2009-03-17 05:00:00 | 神戸にて
突然、訳の分からないコンクリートの塊ですが、阪神電車の線路付近から西郷川の写真を撮っていた時、JRの手前まで歩いてきて北側(山側)に行く道が無いのに気付きました。

右へ行くといつもの道に出るので、左にと歩き始めたのですが、歩くにつれてあの高橋の箇所へ近づいていくのが判ります。これでは遠回りになるので、又戻ろうとした矢先にこのコンクリートの塊に気付いたのです。

そうだ、現灘駅より300mほど東に旧灘駅があったのを思い出し、これはもしかして旧灘駅の一部ではないのかと思ったのですが、違うのでしょうか?

         

壁のような一部にプレートが・・・『1972-3』と標されています。1972年の3月に何かがあったのですね。

         

更に東へと歩くと、いつものコースの手前に小さいトンネルがあり、山側に抜けられるようになっていました。この上をJRが通っています。

トンネルを抜けると立派なお家があり、なんと表札には都賀とありました。あの川と関係あるのでしょうか?写真は撮っていません。

         

その方の家の北側に稗田水神社という神社があり、あの古事記の稗田阿礼と関係有るのかなと思いながら、散策してみましたがどうも阿礼さんとは関係なさそう。

         

小さくてこじんまりした神社で狛犬も置いてありません。

       

後光明天皇の時の創祀とありますから、江戸時代の初期ですね。この地域を稗田と称していて、水害があったので祈祷したということでしょうか。

         

神社を出ると小さい祠があり、地蔵さんを祀っていますが、外にもいくつか地蔵さんのような石が転がっていました。みんな祀ってあげてくださいよ。

         

更に北へと向かうと、水道筋商店街の手前に小学校がありました。現在のこの地域には稗田という地名は残っていませんが・・・

         

神戸市立稗田小学校でした。これも阿礼さんの影響が強いせいなのでしょうか。

         

この小学校の校章のようですが、3枚の葉っぱは稗の葉ですか?

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