ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

後南朝遺跡 Ⅱ

2009-08-24 05:00:00 | 田舎
やっとの思いで見つけた遺跡ですが、標識でもあれば案外判り易いところにあります。その標識を立てたりしないのは、何か都合があるのかも知れません。

今回この後南朝の遺跡(行ってみて判ったのですが、昭和の初期に後南朝の末裔が刻んだという文字があるだけなので、それだけでは後南朝の遺跡とは言えないと思う)に執心したのは、河内祭に際して、司馬遼太郎の『街道をゆく・古座街道』を何十年ぶりかに読み返してみたからです。ただ単にこの本を読んでいた時分とは違って、いろんなことに感慨を受けたのですが、この南朝の後裔・朝里家の話などこれっぽっちも覚えていませんでした。

郷土史家の橋爪氏が語ってくれたというその話はこうです。南朝の流亡の天皇・後亀山天皇の皇子で小倉宮という人が、足利氏の世(天皇では北朝)になっているため、里住まいが出来ず、吉野・熊野の山中を転々と隠れ住み、ついにこの古座川の源流の山奥に落ちて住み、朝里(あさり)と名乗り、子孫は農業を営んで明治に至り、更に今日まで続いているというのです。

橋爪氏は朝里家の古文書のコピーも見せ、南朝の天皇やその一族の霊を合祀して『国皇大神』という神名をつけて、屋敷神として祭祀してきたというのですが、いつの間にか社は無くなったので、朝里家は明治政府に国家予算で再建してほしいという請願行為をしているようで、橋爪氏は朝里氏を名家と信じているようです。

          

罰当たりな考え方かも知れませんが、落ち延びてきたという人が天皇家の直系の人だったのか(天皇の直系が尊いなどと言ってるわけではありません)というのも疑わしいではないですか。ただ単に末端の家来だったかも知れない、京都に長く居て、家来を務めておれば、文書など書くのは容易いものです。そう言っておけば土地の人の尊崇を集められるし、暮らしにも過分の協力をしてくれたでしょう。

最初落ち延びてこの地に住んだ人は、そのつもりで祭祀を続け、農業を始めたのでしょうが、代々重なるうちに自分こそは何某天皇の末裔であるなどと勘違いしてきても止むを得ない感情なのかも知れません。

こういうことも考えられます。天皇家の人が単独で落ちてくることは有り得ず、幾人かの家来とともに逃げ延びて来たのではないでしょうか。その中の生存力の強い者が生き残った。平安時代に遊び呆けて堕落してしまった天皇家を含む貴族たちに、このような困窮の地での生命力は無いのであって、末端の家来にこそ生き抜く術があったのではないかとも思うのです。

もうこれは騙す・騙されるという範疇のものではありませんし、真実を追究することも出来ないでしょう。しかし、いろんな状況が考えられるのですから、絶対にこうだと決め付けるのはよくないと思います。

ただ朝里家が今でも存続しているのなら、自ら名家という意識を捨てたほうがいいのではないかと思うのです。名家とは慈悲深く、徳高く、そして何より経済力を兼ね備えていなければなりません。

司馬さんもこの話には深入りしてはいませんが、橋爪氏の熱心さには尻尾をまいているようでした。

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4 コメント

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ふむふむ・・ (ちのと)
2009-08-24 06:23:13
ぼんくらさんの文章はわかりやすくて、「あ~そうなんだ」と思いました。

私も朝里氏の天皇家末裔説は、胡散臭いと思いました。ドラマなんかでも逃げ延びたり、落ちて行く高貴な人には必ず家来がついているし、その中に女子供があれば、女の従者がいますよね。ま、そんな簡単な話でもないでしょうが、
最後に残るのは体力的・精神的に強い者でしょ

中には主君を裏切り、騙して命をとり自分がなり代わったりしたかもしれません。山奥の村人を欺くことは簡単ですね。というか、天皇家といわれて信じる人ばかりだったんですよ。

でもまぁこの話が本当なら、『八つ墓村』みたいに、村人に惨殺され恨みを残しながら「祟ってやる~」なんてことにならずによかったなぁ
と、安易に思ったりもします。

その朝里氏の子孫が今も残っていてもそんな大昔の話は、この時代ありえないと思っているかもしれません。なんか数年前の『偽有栖川事件』を思い出し、ぷっと笑っちゃいました。
本当はね (ちのとさんへ)
2009-08-24 08:11:24
古座に浅利という釣具店があって、司馬さんのこの本にも浅利という散髪屋が出ていて、朝里(あさり)氏は、途中で浅利という名前に変えた人がいるのではないかと、思ったりもしていて、そういう話も書こうかなと考えていたのですが、あまりに空想しすぎですし、他人の名誉にもかかわることですから、止めておきました。

潜水橋の記事楽しみにしています。私の記事で良いのでしたら、いくらでも使ってください。私もちのとさんの記事をちょくちょく使ってますから、お互い様ですよね。
朝里家について (Y)
2010-05-13 14:52:32
こんにちは、古座出身の朝里家の血を引く者ですが、ぼんくらさんのあまりに勝手な想像の話に腹が立ちました。朝里家は今も続いていますが、誰も名家などと思ってませんし、勘違いもしていません。絶対にこうだと決め付けるのは良くないと言いながら、朝里家をまるで嘘つきのように語るぼんくらさんはどれ程偉いんでしょう?確かに小さい時に遥か昔に天皇家の一族だったというような事を聞いたことはあります
。でも今となってはそんな事を誰も気にしてないし、誰も私は天皇家の子孫だなどと得意げに話してもいません。真実が分からないのなら、勝手な想像で意見を述べるのは止めてもらいたいですね。やっぱり自分の祖先や今を生きる親族の事を考えると、ぼんくらさんのような記事を読むと胸が痛みます。
失礼いたしました。 (Y様へ)
2010-05-15 06:06:13
御心を悩ませ、御胸を痛めさせたようで、大変申し訳ございません。

お怒りの点につきましては、重々理解しようと努力しておりますが、何せ生来がぼんくらなものですから、至らぬ点はお許し願いたいと思っております。

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