3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

螺旋を登って・・・

2012-10-23 11:28:30 | Hymne a l'amour
先日の記事の続きです。。。

体調が優れなくなって、周囲の人達は、勝手に「もう長くない
だろうから、葬式とかどうするとか、考えたほうがいい。」
とか言い出し、私も彼にそのまま伝えたこともありました。

そういう話をすることは酷かと思いましたが、後に残された人達が
困るという事態を避けたかったですし。。。
それと、「そんなことはない、俺は元気になるんだ!」と奮起
するのではないか・・・って思っていたのです。
実際、やりたい、という気持ちがあったようですが、痛みが
強くて何もできない、何もしたくない、と言っていました。

とりあえず、近所の診療所では、どうにもならないので、
サラマンカの病院へ行くための予約をしましたが、診察まで
1ヶ月近くかかりました。



診察の一週間前に、ぎっくり腰のような感じになり、痛いと言って
いたので、誰かに連れて行ってもらうことを考えていましたが、
前日にはなんとか歩けると思う、というので、ちょうど夏休みだった
ので、3匹も一緒にバスに乗ってみんなでサラマンカへ行きました。
5人だと、タクシーを2台使わないといけないので、もったいないから、
病院から中心部へ行くのも、タクシーを使わずゆっくり休み休みで、
みんなで歩いたんです。

あの日のことを書いたブログはこれ「家族でお出かけ」です。

その後、検査のために、私も一緒に2回行きましたが、主治医に
検査の結果を聞く時には、学校が始まったので、2人で出かける
わけにもいかず、一人で行かせるのは心苦しかったのですが
彼一人で行きました。

帰って来てから、主治医との話の内容を聞いても、何だかはっきり
しないなぁ~って感じだし、彼自身も何かを始めようとか、変わろう
とかそういう感じではなかったのですが、私も毎日やることがたくさん
あったので、以前と同様に、結構放ったらかしにしていました。
気になりつつも、病気を治し、元気になりたいという本人の気持ちが
強くなければ、周りがとやかく何を言おうがそれは、本人にとっては
雑音でしかないようだということが分かったので。。。

何でもいいから、自分のこと以外、子供のためとか何かに一生懸命
打ち込むことができたら、生きる希望が湧き、やる気も出てくるのでは
ないかと思って、毎日ではまたプレッシャーになり、逆切れする可能性
があったので、たまには話すようにしていましたが、いつも「いつかやる
から。。。とか元気になったら、痛みがおさまったら。。」という感じで、
その時動き出せば未来を変えることができたんじゃないかと思うの
ですがいつも後に延ばしてばかりでした。



10月に入ってから、状況的にかなりやばいんじゃないかと、思い始め、
こんな記事を書いたりもしました。

そして、主治医の先生に話を聞いみたほうが良いと思って、私一人で話を
しに行ったのが、10月26日。。。
ちょうど13年前の同じ日に、私達は初めて出会ったのでした。。。

先生には「肺と、骨と、肝臓にいくつか転移していて、特に骨の転移が
痛みの原因。今すぐどうこう、って訳ではないけれど、もう抗がん剤などの
治療はしたくないということだから、とにかく本人次第です。
たとえ痛みがあっても、できるだけ散歩に出かけたりしたほうがいい。
半年かもしれないし、数年かもしれない・・・。」と言われました。
予期していたことなので、驚きませんでしたが、私が常々彼に言って
いたこととほぼ同じでした。

「痛みがなければ、できるというなら、まずは診療所の先生に相談して、
強い痛み止めを処方してもらったら?」と言って、麻薬系の貼り薬を
処方してもらったのが11月に入ってから・・・。
その貼り薬を痛いという足の付け根に貼ったら、痛みは収まった
けれど、今度は足元がおぼつかなくなり、貼るのを止めました。

そして、ちょっと気まずい関係になっていた日本の取引先の
担当者に夫の体調が思わしくないことを伝えるメールを書いて、
出したのが、11月7日。



すぐに返事が来なくて、やきもきしていたら、11日の早朝、
呼吸ができないからと救急車を呼び、診療所に運ばれた
のですが、診療所では処置ができないということで、そのまま
サラマンカの病院へ搬送されてしまいました。

私も一緒に付き添った方がいいのか、迷いましたが、子供を
学校へ送り出さないと行けないし、診療所で処置されて、
しばらくしたら戻ってくるのだろうと思っていたので、付き添わず
子供たちを送り出してから診療所に行って、サラマンカの病院
への搬送の話を聞かされたのでした。。。

どこの病院に搬送されたのかが分からなかったため、とりあえず
連絡があるまで待っていたら、昼過ぎに病院から連絡があり、
搬送先が分かったのはいいけれど、どうやって行くかです。
私は車を持っていないし、サラマンカ行きのバスは午後にはある
けれど、子供たちが学校から帰ってくるし、子供が帰ってきてから
近所の人にサラマンカまで送ってもらうのも気が引けるし・・・。

ちょうど金曜日だったので、翌日土曜日に子供を連れて行こう、と
いう風に決めたところに夫から電話があり、結構元気な声だった
ので、安心しました。



翌日朝、3匹と早起きしてバスでサラマンカへ。
サラマンカからは、お隣の方に連絡をして病院まで連れて行って
もらうように前日に頼んでおきました。
退院のときに着る服などを持って、彼に家に戻りたい、もっと
生きたい、という強い思いをもってもらいたいと願っていました。

病院に着いて、先生に聞いたら、かなり悪いので、子供たちに
ショックを与えるから病室には入れない方がいい、と言われた
ので、まずは私が病室に入り、彼あまりにやつれた弱々しい顔を
見た瞬間、何が起こっているのか分かりませんでした。。。
前日元気だった電話の声は何だったのだろうか・・・?!
数日前までは自分で立ってトイレに行ったりご飯を食べていたのに・・・。

子供たちにはショックかも知れないとは思ったけれど、会わせて
おかないと後で悔やむことになるんじゃないかと思って、3人を病室に
入れました。
彼も3人を見たら、少しでも父親らしくしようとがんばってました。。。

マドリッドにいる彼の前妻との間の大きな息子たちと友人達に電話し
もしも来れるなら、お見舞いしてほしいと連絡をしました。

彼の顔を見たら、その日のうちににアルベルカに戻るつもりでしたが、
付き添うことにして、3匹はお隣の方のサラマンカの家に泊まらせて
いただくことにしました。



土曜日、午前中はかなり弱っていてもうだめかと思ったのですが、
午後には突然起き上がって、おなかがすいたと言っておやつの
ビスケットを食べたり、夕食もお魚のスープとヨーグルトを食べたり・・・。

夜には久しぶりに(何年ぶり?!)穏やかに将来的な仕事のこととか、
昔話とかいろいろな話をしました。
ただ、まだ時間があると思っていたので、個人的な話などはしなかった
のが悔やまれるところです。。。

翌、日曜日には午前中にマドリッドの大きな息子たちが先妻の方と
一緒にお見舞いに来て、午後には古くからの友人夫妻がお見舞いに
来てくださって、夫もとても元気に話をしていました。
前日のもう、だめだ、と思ったのが嘘のように・・・。

でも夕方に、アルベルカの友人夫妻がお見舞いに来てくれたときには
もうかなり疲れていて、先生からも、今夜かも・・・って言われたりもした
のですが、私はそんなことはない、きっとまだ大丈夫だろうと楽観的に
考えて、子供たちと一緒にアルベルカの友人の車に乗せてもらって
一旦戻り、翌日午後にでもいろいろ知り合いとかに子供のこととかを
頼んで、用意をして出直すために村へ帰りました。



翌日、11月14日、朝起きて(というか、この夜ほとんど寝てません・・・)
ブログとfacebookを書いたところに、電話があり、こんな早朝って
ことは、もしかして・・・と思ったら、やっぱり、でした。。。

とりあえず、友人に電話で連絡して、病院へ連れて行ってもらうことに
し、子供たちは、とりあえず、朝ごはんを食べさせて、学校へ連れて行
きました。

病室には冷たくなった夫が・・・。
前日、元気に大きな息子たちや友人夫妻と話をしていたのが嘘のよう。。。

あの時、先生の言葉に従って私が病室に残ったとしたら・・・結果は
変わっていたのでしょうか?!
彼の死に直面していたら、私の精神的ショックはかなり大きく、普通の
生活ができたかどうか、ちょっとわかりません。
そう考えたら、これでよかったんだろうな、って気がします。
彼の死をどこが別次元の出来事のような感じで受け止めて、淡々と
やるべきことをこなしていたような気がします。



彼の命は、私たちが出会って丸13年を過ぎたところから、そして
私が、もう自分で動くしかないと、動きだしたところから、まるで
火が消えるように弱くなったような気がしてならないんです。

まるで、私が一人で歩き出すのを待っていてくれたかのように・・・。
私一人でも大丈夫だと思ったから、もうこの世にいる理由がなくなり
役割を果たしたかのように・・・。

ここまで、現実にあった出来事を中心に羅列してみましたが、
長くなってしまったので、私の妄想というか感じていることに
ついては、次の記事にまとめて書こうと思います。

なぜ、今日の記事のタイトルを「螺旋を昇る・・・」にしたかと
いうと、同じようなことを振り返って何度も思考しているように
見えるけれど、少しずつ変化し、少しずつ真実に近づいて
いると思っているからなんです。
決して「メビウスの輪」のように、出口がないんじゃなくて、
いつか見つかる次の扉(出口)に向かって、試行錯誤を
しているだけだから・・・。

昨年11月14日、夫が他界した後に書いたもの。
この数日のこと。(2011-11-17)
運命・・・(2011-11-19)
未来創り・・・(2011-11-21)
大空を舞って・・・(2011-11-23)


写真について・・・
1枚め、昨日の朝、エルミタ(庵)の丘で見た朝日。
2本の栗の木の間から・・・。
2枚め、光の矢。。。
3枚め、朝靄にかすむ、山々と村の家々の屋根。
4枚め、近くのオスタルの花壇。
5枚め、昨年11月12日の夕方に夫の病室から見た天使の梯子1
6枚め、昨年11月12日の夕方に夫の病室から見た天使の梯子2
7枚め、昨年11月13日の夜明け
8枚め、昨年11月13日の日の出



23/10/2012

一昨日、オリオン座流星群が最大だったけど、曇りで見えず。
今朝は夜明け前にオリオン座はきれいに見えたけれど、流れ星は見えず。。。
明日の夜明け前もチャレンジ~♪

9.9(裏の重陽)
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