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3匹の子豚との日々 =DIAS CON MIS TRES CERDITOS=

スペインSpainのサラマンカSalamancaのラ・アルベルカLa Albercaから不定期につづります。

闘牛秘話(5)~お金の使い方

2010-08-27 05:14:24 | Opinion de Toro
丑年生まれのトロです。

スペインの闘牛協会が協力して外国で闘牛を開催したのは、日本が
最初だったようで、その後外国で闘牛を開催したという話は聞いた事が
ありません。
ロシアとか韓国からオファーがあったそうですが、実現しなかったようです。
日本では、我々が闘牛を開催した後、動物愛護の法律が更に厳しくなり、
都道府県での動物愛護の条例も厳しい規制が敷かれ、スペイン式の闘牛開催は
不可能になってしまいました。
そんな訳で日本での闘牛は我々が最初で最後になってしまいました。

闘牛が始まる時、ファンファーレと太鼓が鳴り響き、パッソドブレと言う
リズム曲に合わせ、闘牛士は先頭に立ち、闘牛場内を行進して、プレシデ
ンシア(闘牛進行を仕切る総責任者)に向かい、闘牛士は「これからこの場を
借りて闘牛を行いますのでお許しください」と挨拶をして、闘牛場を一周して
退場します。
そのプレシデンシアはスポンサー会社の会長で、数年前にスペイン旅行中、
闘牛服をオーダーメードで作ったそうで、せっかく作ったので日本で闘牛を
開催したい、自分も闘牛開催の晴れの日に、トラヘ・デ・ルセス(光る服、
晴れ着)の闘牛服を着たい、日本で闘牛を開催するのは最初だと言うことも
気に入ったそうで、入社式に闘牛をして新入社員の家族を招待しようという
企画になったそうです。

闘牛の前の晩、牛さんの背中にマジック・テープの雌側の工業用の幅の広い
テープを四列か五列並べて、靴を修理する時に使う、ゴム接着剤を背中に
塗ってその上に貼りました。
接着剤は色が黄色い色で目立つから、と黒の靴墨をその上に塗りごまかしました。
遠くから見たら、背中にそのようなものが張り付いているとは、殆どの人は
気が付かなかったようでした。

ホテルで座布団に闘牛に貼ったと同じマジック・テープを付けて、バンデリー
ジャ(飾る銛、旗棒)が上手く付くか何度も試し、この方法が成功すると確信は
していたものの、動く牛さんには実際やってみないと判らなかったので本番
まで上手くいくかどうかが不安でした。

スペインから船便で持ってきた簡易闘牛場は、代々木競技場に土砂をトラック
50台で運び、20cmの厚さにローラーなどを使って、プレスした上に、
設置しました。
スペインでは闘牛場が動かないように固定するのは、40センチくらいの
太い鉄釘を打つ訳ですが、代々木競技場はその釘を打てないため、要所要所の
柱の支えにドラム缶を置き、牛さんが闘牛場の壁に突進しても動かないように
設置しました。
ドラム缶に水をいっぱいに入れたので、重さは1トン近くにはなり、十分支え
になると確信していましたが、闘牛の日に牛さんが突進してみないと判らず
これもまた本番まで不安材料の一つでした。

闘牛士はそれぞれ1頭の牛さんと戦うのですが、2人の闘牛士が出演するため、
闘牛は2頭必要になり、闘牛士が闘って、最後に背中にエスパダ(サーベル剣)を
上手く、とどめを刺せるか否か、一番の見所である、オーラ・デ・ヴェルダ
(真実の時)牛が勝つか人間が勝つか、天のみぞ知るクライマックスを経て、
闘牛は終了します。

日本では殺すどころか牛から血の一滴も出せない闘牛ですから、マジック
テープ付きバンデリージャを牛さんの背中に貼った、マジック・テープの
場所を目掛けて刺して、闘牛を終わせましたが、牛さんはピンピン生きて
いますから、闘牛場から退場してもらい次の闘牛用に別の牛さんを登場させ
ますので、牛さんを入れ替えないといけないのです。

どうやって牛さんを退場させるか、人間が追ったり、棒を持って叩いて退場
させればと考えますが、そのようなことをすると牛は攻撃されたと思い、
突進してきます。このため人間が牛さんを追う行為は危険すぎて出来ないので、
訓練された去勢牛を放し、少したむろする時間を与えて、頃合を見つけ、
メキシコから付いて来た牧童がその去勢牛に合図をすると、去勢牛に付いて
一緒に退場させ、牛の入る箱の近くの柵まで誘導させ、闘牛の牛を箱に
入れるようということになりました。
この去勢牛の仕事も実際闘牛をやってみないと、上手くいくか判りませんでした。

闘牛の開催中、闘牛が壁に数回当たった時、闘牛場はぐらぐら揺れて、私は
その壁1枚隔てた外側通路にいました。
ドラム缶に水をいっぱいに入れたので、1トン近くの重さにはなり十分支えに
なると思いましたが、実際牛が体当たりをしたので、ぐらぐら揺れ、壁が
外れたら、と心配で早く無事に闘牛が終われと念じていました。

マジックテープ付き旗棒銛は、上手く闘牛の背中に付いても、牛が暴れて、
すぐに落ちないか、心配でしたが、上手く付いて、果たして一本も落ちず、
本当の闘牛の時に旗棒銛が肩に刺さったような臨場感が出ました。
旗棒銛は、銛を背中に刺し、闘牛の動きを鈍らす為の物ですが、動物に危害を
加えてはいけないので、ピカドールの馬上から槍で背中を刺してハンディーを
負わせる行為も出来なかったし、更に動きを鈍らせる為の旗棒銛を打たれる事も
なかったので、牛さんのコンディョンは最高潮ではなかったでしょうか。

その体重450kgの獰猛な牛が闘牛士の持つカポーテ(マント)目掛けて
突進していきます。
良くまあハンディーを負わしていない闘牛に、闘牛士は命がけで、上手に捌き、
流石、何度も修羅場を乗り越えて来た闘牛士と感動しました。

最後は剣でとどめをを刺しますが、それも出来ないので、マジックテープ付き
バンデリージャ(旗棒銛)を剣のつもりで、とどめを刺した形で闘牛は終わりました。
闘牛中に闘牛士が角に刺された時に、どうしようと救急車の事を考えながら、
ハラハラしながら、無事故で終わって欲しいと心の中で念じていました。

2人の闘牛士は無事に怪我も無く退場した時は、「やっと終わった!!」闘牛
協会の元闘牛士と闘牛場のフェンスの外側で感激と安堵とで、抱合って喜び、
2人の目から涙がこぼれ落ちました。

心配していた闘牛の牛さんの退場は、去勢牛が上手に働き、難なく元の箱に
2頭を収容することが出来ました。
苦労した甲斐があって、事故も無く無事闘牛を終わることが出来ました。

スポンサー会社の会長、そして闘牛士達は、闘牛の最高の名誉である儀式、
サリーダ・デ・オンブロ(肩車での退場)で闘牛場のプエルタ・グランデ(大門)を
拍手喝采の中、退場して闘牛祭りは終わりました。

その後は、フラメンコの素晴らしいショーを観て、招待された人達はスペイン色
いっぱいのイベントに満喫したのではなかったのではないでしょうか。

入社式が終わり、スポンサー会社の会長に挨拶に行った時に、会長が雑談で、
今回のスペインの闘牛及びフラメンコのイベントには数億円の費用がかかった、
金は使いようだと話され、「もしもその同じ金額をテレビのゴールデンアワーに
会社のCM宣伝をしても、殆ど効果は無い、どうせ使うなら、闘牛をすることで、
殆どの日本のテレビ及び新聞のメディアが無料で宣伝してくれる。
闘牛が終わっても、事あるごとに、テレビや新聞が入社式に日本初の闘牛を
やった会社と、会社のイメージが悪く伝わるか、良く伝わるかそれは判らないが、
会社の名前は皆さんに覚えてもらえる、」と言われ、「なるほどな」と金の
生きた使い方を教わった気がしました。

闘牛の後、殺されなかった牛さんたちはどうしたかって、最初は飼っていても
しょうがないので、場に相談したそうですが、メキシコから入国した際
生きた牛で、場で処分する許可を通関時に申請していなかったので、
許可書が無い牛は殺せないと言うことで、「闘牛の牛が欲しい人は無料で
提供しますから持っていってください」と集ったら、神戸で世界の牛を集めて
飼っている牧場から連絡があり、雄牛と雌牛を何頭か引き取ったそうです。
残りは沖縄から欲しい人が現れて、残りの牛を引き取ったそうです。
あれから十年以上経ちましたが、特に追跡調査をしていないので、闘牛の牛の
子孫は残っているかは定かではありません。

以上

長々とつまらない話にお付き合い頂き有難うございました。
カタルーニアで闘牛禁止の法案が可決とニュースが出て、つい最近、ビルバオ
(バスク地方)でも闘牛反対運動が起こっています。

殺生は善くないと捉えれば、宗教上、又はモラルなど色々と論じられますが、
闘牛という文化のピラミッドの頂点の部分を捉え批判して、その下の部分は
何も論じられてないのが残念です。

闘牛の牛を飼うことは、広大な自然林の牧場が必要になり、乳牛を飼う牧場とは
形態が違い、闘牛の牛は人と極力接しないように飼育されています。
ですから、その自然林の牧場では、小動物などの宝庫であり、闘牛と言う文化を
否定してしまったら、その自然林の牧場は必要なくなり、農地にでもなったら、
自然の生態系が破壊されてしまいます。

牧場で働く人、闘牛を専門に運ぶ運送屋(特別な鉄檻の付いたトラック)、闘牛を
売買する人、闘牛衣装を縫う人、闘牛に関わる革製品職人(鞍、靴、鞄、手綱)
帽子屋、闘牛場で働く人、闘牛士のお付きの人、運転手など数え切れないくらい
大勢の人が闘牛に関する仕事に従事しています。

牛が可哀想だからとか、気分で、浅はかな考えで、物事を捉えられては、
たまったものではありません。動物愛護を押し付け、闘牛は悪としてしまったら、
その言葉のために、何千人もの人が職を失い、広大な土地は破壊されて生態系が
壊されてしまうでしょう。

闘牛の牛は食肉用として育てられた牛ではない、目的は闘牛場で有終の美を
飾り、人間と戦って、死んでゆき、その勇敢な牛の名前や頭部が剥製になって
残ります。

場で屠畜される食肉用牛は闘牛場で死ぬ牛より惨めなのではないかと
思ったりもします。有無も言わさずに、電気ショックとか、ハンマーで眉間を
一打ち、仮死状態の牛の片足をコンベアーの鎖にかけられ逆さ吊り、どっちが
むごいのでしょうか良く判りません。
闘牛を、文化と捉えるか、野蛮な行為と捉えるか、どっちなのでしょうか?






前の記事を読み返したい方のために・・・。
闘牛秘話(1)~本質を見る
闘牛秘話(2)~烏合の衆
闘牛秘話(3)~何の為のミーティング?
闘牛秘話(4)~血を流さない闘牛
闘牛秘話(5)~お金の使い方
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4 コメント

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残念です (ゆうた)
2010-08-27 11:49:05
いつも興味深く拝読させていただいております。初めてのコメントですが、闘牛の話は(1)から順に読ませていただきました。闘牛と云う文化にはテレビ等でしか触れたことがありませんでしたので、舞台裏の話などが良く判りました。他国の文化を否定するつもりは毛頭ありませんが、「牛が可哀想だからとか、気分で、浅はかな考えで、物事を捉えられは、・・・」、「闘牛場で有終の美を飾り、人間と戦って、死んでゆき、その勇敢な牛の名前や頭部が剥製になって残ります」などは何と言ってよいのか、考え方としてとても残念におもいました。牛がそうなっても良い合理的な理由って一体どういうことなんでしょうかね。
ゆうたさんへ (トロ)
2010-08-27 18:29:48
残念ですとは?見解の相違と、その国の文化をどう理解するかでしょう。
ゆうたさんのコメントは、日本人の90%くらいの応えでしょう。
日本の方とお話しますと闘牛の牛と乳牛と一緒のように考えているようですね。乳牛を闘牛場でなぶり殺しをしたら問題でしょう。
闘牛の牛は、戦うために育てられた牛です。
動物が可哀想だからと、外国人が他人の国の文化をとやかく言うことではないのではないでしょうか。
スペインでは闘牛を芸術ととらえている人もいれば、文化だと言う人も、野蛮行為だと言う人もいます。
牛と闘う闘牛士は、鋭い角にかかって命を落とさないように闘牛学校に行き、訓練を続け、体を鍛えています。
闘牛と言う舞台で、色々な人達の人生がありますし、牛も闘牛場という舞台で命を終えます。
ゆうたさん、相手が牛だから問題なのですか?
人間同士がボクシング、キックボクシング、プロレス、打ち所が悪く死ぬことが多々あります。
牛は駄目で人間同士は良いのですか?
可哀想だから、闘牛は止めろと言う論理は、闘牛の後にて表に出ない人々やその家族の営みを殺す事にもなり、それの方がもっとむごいのではないでしょうか。
私は熱狂的闘牛ファンではありません。
スペインに30年以上住み闘牛場に仕事としては行きましたが、自分から進んではいきませんでした。
だからと言って、闘牛を否定もしません。
トロ拝
日本の動物愛護協会へ…、光るメス〓 (モカ犬)
2013-03-28 10:32:58
愛護協会云々と、言っても、それは、本州のみであって…、沖縄地方では、イベント行事として、未だかつて、開催されていますが、沖縄県地区での、闘牛は、イベント行事として、特に許されているのでしょうか?
モカ犬さんへ (ひろみ)
2013-03-28 18:43:54
古い記事、それも他界した夫が書き残したものを掘り起こしてくださいまして、ありがとうございます。

思い出話になりますが、そう、1999年の4月1日に東京の代々木で日本初、そして、最後の、スペインの闘牛が開催されたんです。。。
だから、今日、この記事にコメントを書いてくださって、久しぶりに、この記事を読み返し、あの頃のことを思い出してしまいました。。。

沖縄は、日本の中でも、闘牛があったり、豚のお肉を余すところなく食べる習慣があったり、スペインというか地中海世界に近い部分があるような気がします。
土佐には闘犬がありますし、他の地域でも闘鶏など動物同士を闘わせるイベントがありますよね。

日本の中で沖縄が特別に許されているのかどうかは知りませんが、動物愛護協会の人たちって、グリーンピースの人たちもそうですが、抗議活動をすることが目的になっているような気がするんです。
本当の意味で動物愛護をするなら、抗議活動よりも飼い主に捨てられて殺されるペット達の救出活動など、実際の行動のほうが本物の動物愛護だと私は思います。

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