この間、「謝るということ」という記事を書いたら、うまやどさんが、
「謝るということ許すということ」という記事を書いてくれました。
うまやどさんの記事から、一部引用します。
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山折哲雄が、講演で、
「仏教には、許すことが教えの中に位置づけられている。
しかし、儒教にはない。
中国も韓国も、仏教を捨ててしまって、
儒教に戻っている。
儒教は、許すということがないから、
謝ることは、子々孫々、末代まで、
その恨みを晴らせ
という意味になる」
と言っていた。
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私の「謝るということ」という記事は、私の単なる個人的な考えを元に
書いていたので、仏教や儒教などを持ち出され、理路整然と言われると、
私はすぐに揺らいでしまいます。。。
でもいいんです、きっかけを頂いて、考えてみました。
うまやどさんのところに書いたコメントを転載します。
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私は私が感じたままで書いたことですが、儒教を例に出してこのように
説明されると、う~ん、とうなってしまいました。私の考えがあまかった
のかな・・・と。
で、今日一日あちこち調べまわっていました。
儒教の教えをいろいろ見てまわりましたが、「許し」という言葉は確かに、
見掛けなかったです。
wikiでは、「仁、義、礼、智、信」でしたが、手元にある漢和辞典には、
「忠、恕、孝、悌、礼、義、仁」となっていて、「恕」は、訓読みが
「ゆるす」で、「ゆるす、おもいやり、哀れむ」の意味なんです。
それに「仁」の概念のベースには、「許し」も入っていると私は思うの
ですが・・・。
こういうことは書きたくありませんが、「恨の国」と言われています
からね。。。 儒教の概念がいつの間にか曲解されて伝えられている
可能性ありますよね。。。
2010/8/18(水) 午前 7:09 [ ひろみ ]
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きちんと歴史を理解していない状態での私の個人的な考えなのですが・・・。
>「徳」によって納めるはずの中華皇帝はなぜ、
>革命によって、破壊的暴力と殺戮によって帝位につくのか、
>このあたりに根本的な矛盾があるんです。
結局全てはこの矛盾に尽きるのではないでしょうか。。。
日韓併合や太平洋戦争による被害にしても本当の怒りや恨みは、現在の
日本ではなく、当時の朝鮮や中国の為政者に向けられるべきものですが、
当時の為政者が表にいないから矛先が目の前に存在する日本へ向けられて
いるとしか思えません。単なる言いがかりにしか聞こえません。
でもだからと言って、私達も同じトーンで返したところで、何の解決にも
ならないなら、こちらが大人になって誠実に対し大目にみるしかないのか
な・・・と。時間はかかるけれど、分かってくれるはず・・・という感じで。
(やっぱり甘いかな・・・?)
2010/8/18(水) 午後 6:00 [ ひろみ ]
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参考までに。
漢和辞典に「ゆるす」の同訓の漢字が列挙されていましたので、
書き写しておきます。
「許:キョ」同意してききいれる。「許可」
「赦:シャ」罪をゆるす。「恩赦」
「宥:ユウ」過失を大目にみる。「宥恕」
「恕:ジョ」思いやりを持ってゆるす。「寛恕」
「免:メン」罪を解除する。「放免」
「釈:シャク」罪を許して解き放つ。「釈放」
「縦:ショウ」罪を見逃して自由にさせる。
「原:ゲン」実状を調べて罪にしない。「原雪」
「聴:チョウ」相手の望みを聞き入れる。「聴許」
「允:イン」承認する。「允許」
「容:ヨウ」大目に見て、聞き入れる。「許容」
>「恕」は、現代中国語ではどうなってるんでしょうね。一度調べてみます。
私は現代中国語はわからないので、よろしくお願いします。
もしできれば、現代朝鮮語も。
2010/8/18(水) 午後 6:02 [ ひろみ ]
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その後、ブッチさんも参加されていているので、是非、コメント欄も含めて
うまやどさんの「謝るということ許すということ」の記事を読んでください。
わたしは、どうしても対立をすること、否定することに違和感を感じるので、
つい、曖昧に収めてしまおう、許してしまおう、何とか皆で協力して解決して
いこう、和を大切にしたい、という部分が強いので、頑なに自分の主張だけを
言って聞く耳を持たなかったり、相手を非難し続けるという行為や態度は
理解が出来ないのです。。。
そうはいっても私も意地っ張りなところがあり、中学・高校時代は父とよく
議論してました。
最後には喧嘩に発展し、「親に口答えするとは何事だ~!出て行け~!」と
言われても、口答えしたことに関しては謝ったとしても、自分の考えが間違って
いなかったらその部分に関しては絶対に謝りませんでした。
今考えたら、そんなに頑なに突っ張らなくても・・・と思いますが、あの頃は
若かったんですよね。。。
今でもやっぱり、自分が間違っていると気づいたり、相手に迷惑をかけたと
分かったら、素直に謝りますが、そうでないと、謝ることは難しいです。。。
このように自分自身と、他の人々の行動や態度、考え方を観察していて、
何となく分かるのは、和解に近づくことができない傾向が或る人達というのは、
自分では気づいていなくても、心に大きな傷を持っている人が多いのではない
かということです。
そして、自らの自尊心を守るために、自らの間違いを認めたくないから、
他者への攻撃をしてしまうのではないかと感じます。
たとえば、子供時代に親からの愛情を十分に受けることができなかったとか、
友達との関係を上手く築くことができなかったとか、人間関係にどこか歪な
経験を持っているような気がします。
十分に愛され、十分に許され、十分に生きてきた人は、自分自身に満足して
いるから、相手を受け入れる度量があり、許したり謝ったりできるのではないか
と思うのですが、いかがでしょうか。。。
前に「寛容の世界」の記事や「友愛」の記事、「家族って・・・」の記事でも
私が考えるこれからの世界について考えていますので、良かったらお読みください。。。
ちょっと話は変わりますが、最近、ホ・オポノポノを実践し理解を深める中で、
私の考えや感じ方もどんどん変わってきていてます。
以前に比べて、怒りの感情など強い負の衝動が表面にほとんど出なくなって
きました。反対に、楽しいこと、嬉しいことには、以前よりも活き活きと感じる
ことができているような気がします。
明るい未来のために活動されている方の記事の紹介です。
◆つむじ風さんの、【あらためて、玉音放送-原文、訳文、現代語訳-】
◆吉野の宮司さんの、【日本というお母さんは、難産して母体を損なったが】
◆うまやどさんの、【明治維新の負の遺産 GHQがー、とは言ってられない】
◆慈魁さんの、【家族の在り方】
◆ぽにょさんの、【尊重と対話と調和 】
◆サブリナさんの、【医事代理人・竹本美恵子行政書士と! 】
◆小西康弘さんの、【自分自身を信頼するとはどういうことか】
◆うろうろドクターさんの、【条件の厳しい地域枠は「定員割れ」するのでしょうね…】
◆Black doctorさんの、【病院機能評価に向けての無謀!な努力】
◆ふるやさんの、【サ・ルー・サ8/18:バイブレーションの上昇がもたらす地球と身体の変容 】
◆タマさんの、【二重契約 (8/17) 】
◆水玉さんの、【一つ目が猫になった (8/16)】 【怖い川 (8/17)】
写真は上から
1枚目:日曜日の午後、レティーロ公園へ散歩して写した池。
ちょうど夕日が水面に映って、きらきらしてました。
2枚目:レティーロ公園でユーカリの枝を拾いました。
この間の強風で折れたようですが、実もついてました。
家に持ち帰り、とりあえず花瓶の水に挿しています。
昼間にはあまり香りを感じないのですが、夜になると、
ユーカリの香りが広がって癒されます。
寝る時には寝室において自然のアロマテラピー。
3枚目:16日(月)の北側の空の夕焼け。
19/05/2010
晴れ。
ちょこっと、宣伝です・・・「イベリコ・フェルミンの広場」
ひろみさんの記事、響きました。例の一件の苦悩をおもいこころ痛みます。あなたは美しい。逆に、自己と神を重ねる人々に驚くばかり..。
ところで、シベリア抑留を経験した詩人,石原吉郎にこんな詩があります。
「残り火」
そのひとところだけ ふみ消しておけ
そういう ゆるしかたもある
そういう ゆるしかたもある ということを
はるかにとおく 思いしらすために
踏むには値せぬひとところを
やわらかな踵でふみ消してから
谺(こだま)となって立ち去るがいい
うなだれた記憶がゆっくりと
蒼白な面を起こすのは
立ち去って行く その うしろからだ
許す、理解できるような建設的な議論になるといいですね。
個人、家族、地域~国とそれぞれ取り組む大まかな課題があるのでしょうね。
調和とは妥協ではないと思います。
個人が輝きつつ全体も輝くということではないかと思いたいです。
その為には、許す、理解することはとても重要なポイントだと思います。
自分の考えを主張しても調和のとれる世界なんて、本当に素敵でしょうね。
地球上での命の営みは循環によって成り立っているように、許す、理解することはその循環の一片で必要不可欠ではないでしょうか・・・
この地球の仕組みを優一乱しているのが人間。
最近はアセンションに向けて終末思想的な傾向がありますが、時間内に人間が完全に地球循環に所属するとすれば、どのくらいの時間なのでしょうね。
許す、理解する以外にもまだまだ課題がありそうです。
怒りに対して、
嫌悪に対して、
愛で対応することだけが、癒すことができるのでは、と思ってます。
怒りは周りをまきこんで、その重苦しい波動が結局自分を苦しめます。後悔します。愛の波動は、自分も周りも平和にしますよね。私はそれがいいです。
でも社会に対しては、善意だけで成り立たない、のは残念ながらそう思います。「謝る」とは、賠償、屈服することで、「優しい」という言葉がない国(そうなんですか、知らなかった)や、強大で真心の通じない相手には、厳しく相対するのも必要だと思います。
ブッチさんの「非道を許さず、人を赦す」こうでありたいと思います。
+それからまた逢えて うれしいです
お昼に私が書いたコメントは,まったく個人的な事柄でした。
ひろみさんに起きた災難に対する,ワタシ個人の感想でした。
失礼しました。
本題です。
うまやどさんの記事から、山折哲雄先生の講演
「中国も韓国も仏教を捨ててしまって儒教に戻っている。
儒教は、許すということがないから、
謝ることは、子々孫々末代まで、その恨みを晴らせ
という意味になる」
怖い事です。・・・でもこれは本当でしょう。
日本人には理解できない思考回路があるみたい
そのような相手に謝るなんて,
たいへんなまちがいをしたものですね。
「謝る」とは,「外交のセカイ」に於いては,
日本人のもっている感覚とは別次元の脅威の感覚がある事を、
熟知して、行使してもらいたいですね。
『謝る=危険な行為』
管総理のした事は日本をさらに貶めたのではないかと、
危惧しています。
(プラス・その日暮らしの毎日さんお元気でしょうか?)
のほほん主婦のひとりごとです(汗)
毎日暑いですが、お元気でしたか?うちは子供がおたふくカゼにかかってしまって‥。可哀相やら、かわいいやら‥(フグみたいなんですもん)
軽くすんだみたいでよかったです。
民主党の国民に知らされていない法案もチェックしなければいけませんが、
世界中の異常気象も大変気になりますね。
★ミドリのバンビさん、うまやどさんの(オノコロさん)のところで「逝きし世の面影」の話題だったので、ミドリのバンビさんがおっしゃってたなぁ~と思ってコメント欄を下の方に行ったら、コメントを拝見て、私はなんだか嬉しかったです。
「残り火」素敵な詩を教えてくださってありがとうございます。
中国・韓国・北朝鮮の方々が完全に儒教を忘れてしまっているわけでは無いと思いますから、あきらめることなく働きかけるしかないんじゃないかと思っています。政府対応は毅然として欲しい部分もありますが、火に油を注ぐように挑発するよりは、やんわりと何とか和解にもって行けるように努力して欲しいと思っています。
★echuさん、とにかくまずは冷静に理解するために状況をきちんと把握し分析する必要があると思います。日本では戦後教育の中で太平洋戦争についての歴史教育が不十分でありませんでした。反対に中国・韓国・北朝鮮では、日本を侵略国としてこれまたかなり捻じ曲げた歴史教育をしてきたようですし、その辺りをまず、解きほぐすことが大切なのではないでしょうか。
戦後65年経って悲しみ痛みが少しずつ癒えてきたからこそやっと冷静な判断が出来るのだと思います。辛い事実と向き合うこともたくさんあると思いますが、未来へ進むためには、やらなくてはいけないハードルなのだと思います。その時に怒りや悲しみに溺れるのではなく、冷静に対処したいですね。。。
★あかりさん、私も同じように考えているのですが、記事に書いたうまやどさんやその他の方から、「そんなに甘くない」というようなことを言われます。愛をもってというのはただ優しく甘やかすだけではありませんよね。毅然とした態度を取ることも時にはあります。その時でも怒りの感情に任せることなく、愛をベースに持った上で対応したいですよね。。。民主党が反日勢力の味方だという噂は聞いていますが、そのような法案が通らないようにきちんとチェックすれば阻止できることですから、私達が関心を常に持っていればとりあえず回避できるとおもいます。異常気象はね、私達にはどうにもできませんよね。地球のなすがままに任せるしかありません。その時はその時・・・。ただ、気象操作という噂もありますから、そちらの場合は誰が何のためにやっているのか調査して対応しないといけないでしょうが、本当のところ、どうなんでしょう・・・?私達一般人に手におえる話でないような気もしますし・・・。
おたふくかぜ、軽くすんでよかったですね!うちの3匹はまだです。確かワクチン(!)は打ってたと思いますが・・・。
ほんと、その日暮らしの毎日さん、どうされているんでしょうね。また、ひょっこりいらっしゃるんじゃないでしょうか・・・。
みなさん、コメント本当にありがとうございました。
ブッチさんのブログの「戦争と平和」についての記事のリストです。
http://blogs.yahoo.co.jp/toruikebuchi1960/folder/811754.html?m=l
ブッチさんのベースの考え:
「憎しみに対して憎しみをもって臨むのならば、憎しみが止むことはない。憎しみに対して、憎しみを抱かないことで、憎しみは止む。これは、永遠の真理である」(ゴータマ・ブッダ「ダンマパダ」より)
「柔和な者は幸いである。彼らは地を受け継ぐであろう」
「憐れみ深い者は幸いである。彼らは憐みを受けるであろう」
「平和をつくる者は幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう」
(イエス・キリスト「山上の垂訓」より)
私もね、主人にあまい、とよく言われます。でも最後の希望というか、誰の心にも愛はある、と信じていたいですよね。
ここのところの政局をみて、さすがののほほん主婦でも、気になり、日本の将来を真剣に考え、活動されている方々の記事をよく読むようになりました。(ひろみさんのおかげでもありますね)
それで民主党の闇法案の一つ「人権擁護法案」について、投稿したいと思います。私は知って愕然としました。
すごく簡単に言うと、人権擁護委員二万人によって作られ(特定の団体構成員から選任されるとか、国籍を問わないとか、選定が不透明)人権委員が差別と判断したら、(基準が曖昧)罰則を課すことができ、抑止機関がない。たとえ冤罪でも謝罪する必要はない。
例えば外交問題で、正当な批判でさえも、差別として弾圧される恐れがある。
ネットがねらわれ、情報が入らなくなるといわれています。言論、表現の自由は深刻な危機に直面します。人権委員に強い権力が与えられ、政府が好き勝手できるわけです。
そんな法律可決するわけない、と思っても、可決するかされないかは、国民でなく、党員がします。国民に公表せず、こっそり通過させるつもりなのです。実際通ってしまったものもあるのです。秋に可決するかも、といわれているので、今声をあげなくては時間がない、と思うのです。
まだいろいろとお勉強中なので、事実だけお伝えします。
せめて日本人同士が日本を守るため、お互いを理解しあい、一丸となっていたいな、と思います。
ただ、それが本当に法案として国会で審議されているのか、また通ってしまったのか、全く審議されていないのか、などそのあたりを私も把握していないので、記事に書くことを躊躇しているんです。
単なる噂話なのか、本当に驚異なのか状況を判断するにはブログ情報の真偽を確かめる術がないのです。
もう少しあちこち見てみて、折りを見て書こうとおもっています。
もし他にも気づいたことがあれば、またお知らせ下さい。
ツィッター始めてみましたよ。リストからフォローしてみました。HNは,同じです。初心者だけどそのうち馴れると思います。どうぞよろしく。
確かにツィッターは、辻占のよう・・。言葉の交差点,使い方次第でおもしろいですね。