JEC狭山福音教会(大阪狭山市)の聖書・キリスト教・例話コラム

大阪狭山市にあるJEC狭山福音教会(プロテスタントキリスト教会)の牧会スタッフによる聖書・キリスト教・例話コラム。

メッセージコラム#2015年4月29日(川崎 豊信師)

2015-05-03 18:01:57 | キリスト教
失望の態度か希望の態度か


人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなを外に出し、ただその子どもの父と母、それにご自分の供の者たちだけを伴って、子どものいる所へ入って行かれた。そして、その子どもの手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。(訳して言えば、「少女よ。あなたに言う。起きなさい」という意味である。)
マルコ5:40~41


タイタニック号と共に沈んだハーバー牧師

 1912年4月10日、乗員乗客約2200人を乗せて処女航海に出航した英国船籍タイタニック号は、12日午後11時15分、氷山に衝突、真夜中の凍りつくような海に沈んだ。救命ボートは1200名分しかない上に、全てが使えたわけではなく、ボートに乗れたのは僅か1/3で、1500名余りが犠牲になった。
 今回の米国旅行中に立ち寄った博物館でのタイタニック展に、タイタニックの事実が書かれているとして最も信頼されている本の著者がサイン会を行っていた。わたしが知りたかったのは、映画「タイタニック」に登場した楽団が、本当に最期まで演奏を続け、讃美歌も弾いたのか、ということである。この本によると、確かに、楽団長のウオーレス・ハートレー氏は、乗客たちがパニックにならないよう演奏を続けた。映画では最後に、讃美歌320番「主よ、みもとに」が演奏される。果たして、楽団長ハートレーは、これが愛唱讃美歌であり、自分の葬式には演奏してほしいと言っていたという。どうやら真実のようである。
 氷山に衝突してから2時間40分後、タイタニックの船体は真っ二つに割れ、海中に沈む。
この時、1500名余りが氷点下二度の海に投げ出され、その殆どが低体温症で亡くなった。
その中に英国人牧師ジョン・ハーバー(39歳)がいた。彼は救命胴衣で浮いている間、海上を漂う一人々のところへ次から次へと行き「あなたは救われていますか」とイエス様の福音を宣教した。そして、救命胴衣を着けていない男性がいたので、自分の救命胴衣を渡し、「主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば救われます」と言い残して、冷たい海に沈んでいった。
 この男性は、海に投げ出された1528名の内の、救助された僅か6名の一人となり、キリストを受け入れたという。
ジョン・ハーバーは、1872年スコットランドのクリスチャン・ホームに生まれ13歳で受洗、17歳のときには製粉所で働く傍ら、街頭で説教を始めた。
後に教会を始めるが、最初25名で始まったこの教会は、13年後には、500名の会員数へと成長した。彼は1912年、シカゴの教会で3、4ヶ月間、伝道集会の説教をするため、6歳の娘ニーナと共にタイタニック号に乗ったのだった。船が沈み始めると、娘だけを救命ボートに乗せた。そして「また会えるからね」とだけ娘に言い残し立ち去る。その目には涙が光っていた。妻は3年前に病死しているので、ニーナちゃんは孤児となってしまうからである。
 それでも「婦人と子ども、そしてまだ(魂が)救われていない人たちは救命ボートに乗ってください」と叫び、自分は聞く耳のある者には福音を宣べ伝え、海に投げ出されてからも宣教し続けたのだった。
御翼より


 沈みゆくタイタニック号にいた人々には、2つの態度があった。自分本位になるか、主に信頼して他人を助けるかである。神を信じる人の態度と神を信じない人の態度が2つに分かれたのである。
 マルコ5章41節でキリストは「タリタ、クミ」(娘に言う。起きなさい)と死んだ娘に言った。
 この節の大きな特徴は対比の物語である。その対比とは→①失望と希望の対比である。人々は言った。「なぜ、このうえ先生を煩わすことがありましょう」と。イエスは言われた。「恐れないで、ただ信じ続けなさい。」。
 一つの所では語られるのは失望であり、もうひとつのものは希望の声である。 ②無制限な苦悩と冷静な落ち着きの対比。彼らは苦悩の発作で泣きわめき涙を流した。イエスは霊性に落ち着いて自制を保っておられた。
 イエスには神に対する確信と信頼があった。人間の最悪の災難には、神と共に対処することによって、人は勇気をもって立ち向かうことが出来るのだ。