狭山福音教会の聖書ショートメッセージ・レジメ・コラム・例話(キリスト教 )

大阪狭山市にあるプロテスタントキリスト教会。JEC狭山福音教会の牧師による聖書ショートメッセージ・コラム(説教 例話)。

メッセージコラム#1708-1(川崎 豊信師)

2017-10-21 14:18:26 | キリスト教

聖書:Ⅰサムエル8:1~12

題:「ナンバーワンよりオンリーワン」

 

(導入の例話)

昔、貧しいインディアンの老人の土地から石油が発見され、彼は一躍大金持ちになりました。早速キャデラックを買い、死ぬまで乗り回しましたが、一度も事故を起こしませんでした。なぜなら彼は、百馬力のエンジンを持つ車を二頭の馬に引かせて歩いていたからです。→人まねをするならバカなことをしてしまう。

 

(導入の例話)

ヴィクトル・セリブリアコフ(フランスの発明家、主として1870年代に重航空機の研究を行なった)は十五歳の時、学校の教師によって「劣等生」のレッテルをはられました。彼はそれを信じたために何をやってもうまく行かず職を転々と変えました。

 

しかし、三十二歳の時IQテストを受けたところ、何とIQ161と出たのです。『キミは天才だ』と言われた彼は気が変ったように勉強し始め優れた発明家となりました。

何が彼を変えたのでしょう。それは自分に対する意識です。自分の中に眠っていた宝物に気が付き、それを掘り出して用いたのです。彼は、知識が増えたのではなく意識が変ったのです。→ナンバーワンではなくオンリーワンを発見した人。

 

~~~~~~~~~~~~~~~アウトライン~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

A サムエルの息子たちがよこしまな行いをしたこと(1~3節)

―子育て-

B イスラエルの民が王を切望したこと(10~13節)

―ナンバーワンではなくてオンリーワン-

 

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A サムエルの息子たちがよこしまな行いをしたこと(1~3節)

―子育て-

 

8:1 サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。

 8:2 長男の名はヨエル、次男の名はアビヤである。彼らはベエル・シェバで、さばきつかさであった。

 8:3 この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。

 

(中心的メッセージA)

3節→年老いたとき、サムエルは息子たちを自分の代わりにイスラエルの士師として任命した。しかし彼らはエリの息子たち(2:12)のように堕落していた。サムエルの息子たちがなぜ道を誤ったのかはわからないが、エリの息子たちが堕落した責任がエリにあったことは(2:29-34)わかっている。

サムエルが悪い親であったかどうかを知ることはできない。彼の子どもたちは十分成長し独立していた。私たちは子どもたちの犯した罪で自分を責めないように気をつけなければならない。しかし一方で、親としての務めは恐るべき責任であり、子どもたちの人生を形作ること以上に重要な仕事は他にない。

もし、あなたの成長した子どもたちが神に従っていなければ、あなたは彼らをもはや監督できないと悟るだろう。あなたの責任を離れたところで起こったことで、あなた自身を責めてはならない。しかしまだ子どもたちが養育中なら、あなたがしたり教えたりすることが、子どもたちに深く影響し、その生涯にわたって続くと心得よう。

 

参照聖句→箴22:6「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」

 

(例話A

ニック・ヴイチチ、ニック・ブイヂ(またはニック・ブイチチ、ニック・ボイチチ、英語: Nicholas James "Nick" Vujicic, セルビア語: Ник Вујичић, Nik Vujičić)は、1982年生まれのオーストラリアのキリスト教伝道師でモチベーション・スピーカー。テトラ・アメリア症候群を持って生まれ、四肢がない[1]。

 

手足がないことで幼少期を肉体的、精神的に大きな苦労とともに成長する。

その間、何度も絶望に襲われ自殺を考えた。それを思いとどまったのは両親の愛と両親への感謝からであった。

中学生の時にはクイーンズランドのランコーン州立高校のキャプテンに選出され、地元の慈善団体の資金調達イベントで働く。17歳で彼自身の祈りの会で講演をはじめ、後に彼自身の非営利団体を設立する[1]。大学で投資や経済の2つの学位を取得する。

自分自身の世話をすべて自分で行い、水泳、サーフィン、ボート、魚釣りなどありとあらゆるレジャーを楽しんでいる[2]。

ブイヂは35か国を訪問し、施設や学校などで講演を行っている。2012年2月12日には、アメリカ合衆国カリフォルニア州にて日本人女性(看護師、2千万円の借金を共に背負合った)と結婚した[3]。現在2児の父。

「家族はあなたを愛している」「あなたはオンリーワンの存在である」

 

(例話A)

「子どもたちは、学習者です。いつでもどこでも学んでいます。座る時にも、歩く時にも、走る時にも、立つ時にも、半ば居眠している時にも。目と耳、指、足、皮層、想像力、感覚を通して、感じや表現をつかみ、吸収します。彼らは私たちが学んでほしいと思っている時だけでなく、そう思っていない時にも学んでいるのです。」

ジョン・ドレッシャー牧師は著書『子どもに信仰を伝えるための20章』で述べている。人生で家庭以上に個人的な影響が強い場所はないのだ。そして子供の人格形成に最も強力な刺激を与えるのは、直接的、具体的なしつけではなく、お手本と、親が当たり前として持っている価値観である。

子どもたちはふだんの親のふるまいを通して神を知る。家庭はキリストへの信仰を養う土台なのだ。子どもはまず家庭において、何が重要であるかを感じ取り、これが彼らの人生とその意味についての最初の見方となる。

 

子どもは親の感情や態度を、生まれた時から、つまりことばを理解する以前から身につけはじめる。多くの研究家は、子どもが誕生する前においてさえ、親の感情や反応に応答していると語っている。すでに胎児の段階から、人生や霊的なこと、世俗的なことへの感情、さらに命や神、聖書、他人や物への態度を吸収するというのだ。子どもの人格形成に、感情は重要な役割を演じる。

もし、父親がスポーツ活動に熱中し、霊的なことにはほとんど関心を一水さず、めったに語らず、犠牲も払おうとしないならば、子どもは父親が、何をより大事にしているかを感じる。親たち自身が神との関係を育て、主にある喜びのうちに生活する必要がある.自分自身の霊性や情緒的な健康に注意を払うなら、子どもたちに与える影響はよいものになるのだ。親や教師たちが、神に関わる様々なことで抱く尊敬、興奮、喜びほど、彼らの印象に残るものはない。

 

B イスラエルの民が王を切望したこと(10~13節)

―ナンバーワンではなくてオンリーワン-

 

8:4 そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、

 8:5 彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」

 8:6 彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは【主】に祈った。

 8:7 【主】はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。

 8:8 わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。

 8:9 今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」

 8:10 そこでサムエルは、彼に王を求めるこの民に、【主】のことばを残らず話した。

 8:11 そして言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。

 8:12 自分のために彼らを千人隊の長、五十人隊の長として、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や、戦車の部品を作らせる。

 

l  4節→イスラエルが王を望んだのには、いくつか理由があった。①サムエルの息子たちはイスラエルの指導者としてふさわしくなかった。イスラエルの12部族にはそれぞれに指導者がおり領土があったため、協力して働くにあたって常に問題を抱えていた。②1人の王が部族をまとめ、1つの国、1つの軍隊とすることが望まれていた。③民は周辺諸国のようになることを望んだ。

これはまさに神が望まれなかったことだ。1 人の王を立てることで神が真の指導者であることを簡単に忘れてしまうためである。イスラエルが王を求めることは間違っていない。神はその可能性について、申命17:14-20で述べられた。

しかし現実には、民は指導者としての神を拒んでいたのだ。イスラエル人は神の代わりに法律、軍隊、人間による君主制を欲しがった。

敵に囲まれたカナンの地で自分たちを繁栄させることができるのは神の力だけであったにもかかわらず、彼らは国を人間の力で運営しようとしたのだ。

 

(中心的メッセージB)

9節→サムエルは王制が招くあらゆる否定的な結果について注意深く説明したが、イスラエル人は聞こうとしなかった。重大な決断をしなければならないときは、あなたの決断によって影響を受けるかもしれない全員に配慮し、良い点と悪い点を注意深く比較してみよう。何かを渇望しているとき、起こりうる問題に気づくのは難しい。だが、否定的な面を軽く見てはいけない。1つ1つの問題に対処する計画がなければ、後々それらは大きな災いを引き起こすだろう。

 

神様のお考えは私たちの理解を超えている場合がしばしばです。しかし、いずれは主のお考えが正しいことが分かります。それには時が必要です。中には天の御国に行ったとき、初めてわかることもたくさんあることでしょう。

でも、神様のお考えは必ず正しいのです。そして、必ず私たちに最善の実をもたらします。私たちに見えないことも、神には見えるからです。

 

参照聖句→イザ55:6 ~「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。55:7 悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──主の御告げ──55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」

 

(例話B)

 恐らく知っている人は少ないであろうこと、すなわち、福沢諭吉は聖書を尊んでいたということ、福沢諭吉は聖書の神を崇めていたということをここに示そうと思う。

 

あの有名な一節「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というのはアメリカ独立宣言からの引用です。そこには英語でこうあります「我々は以下のことがらを自明の真理としている。つまり、すべての人は、創造主によって等しく造られたものであり、他者に奪われてはならない、固有の権利を賦与されているということである。そして、それらの中には、生存と、自由の権利、そして幸福を追求する権利などが含まれている。」アメリカ独立宣言は聖書に基づいて書かれました。アメリカの創始者はクリスチャンだったのです。だから、創造主という言葉や、聖書の考え方が出てくるのです。

さて、福沢諭吉がいう「天」がなぜ、創造主であるとわかるのでしょうか。福沢諭吉がそう言ってるからです。

福沢諭吉は慶応義塾大学を創りました。そして、外国人の宣教師を日本に招いていました、西洋の学問を日本の学校で教えるためです。しかし、彼らの真の目的は宣教、すなわち、イエスキリストを伝えることにあったのです。しかし、日本の学校でそれは許されませんでした。しかも、彼らは外国人居住区、外国人居留区に押し込まれていたのです。

 

福沢諭吉は外国人を自分の家の敷地内で住まわせることにしました。福沢諭吉の家族は明治時代で最初にクリスチャンと共に生活したのです。また、明治時代で校内で公式に聖書を教えることを許可したのは慶応義塾大学でした。福沢諭吉には二人の息子(長男一太郎、次男捨次郎)がいました、二人ともクリスチャンです。福沢諭吉はこの二人の息子に宛てて人生指南書を書きました、「日々の教え」です。

 

(結論)

A サムエルの息子たちがよこしまな行いをしたこと(1~3節)

―子育て-

B イスラエルの民が王を切望したこと(10~13節)

―ナンバーワンではなくてオンリーワン-

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