狭山福音教会の聖書ショートメッセージ・レジメ・コラム・例話(キリスト教 )

大阪狭山市にあるプロテスタントキリスト教会。JEC狭山福音教会の牧師による聖書ショートメッセージ・コラム(説教 例話)。

メッセージ@2009年11月29日(川崎 豊信)

2009-11-29 15:59:51 | 日記
日:2009年11月29日
聖書:ルカ1章5~20節
題:「霊と力に満ちる」     

 先日、KBIでシンポジウムが持たれた。講演は月井師(本郷台キリスト教会牧師)。題は「セルチャーチは日本の土壌に合うか」であった。
 結論は、日本的なセルチャーチ(ハイブリッド型)を構築すれば合うということだ。月井師の教会の運営方法が説明されたが、概要を一言で言うならば、「エリヤハウスによって心癒された教会員一人ひとりが万人祭司となって、セルチャーチを築きあげる」というものだ。
 この教会は、主任牧師の池田博牧師によって開拓された。現在3つのチャペルを持つ。ミッション3000という明確なビジョンを持つ。地域に貢献する4つのNPOを持つ。現在サッカー場とクラブハウスを有する8350坪の用地を買い、建築中である。
 この教会の働き人には、過去に傷のある人、盲目の人、障害のある人もいる。しかし共通していることは、イエスを信じた人が、変えられてエリヤの霊と力を持つ者になる。そして過去の恥はぬぐわれて神の証し人となっているということだ。
 本日の箇所では、ザカリヤとエリサベツという祭司の夫婦が出てくる。後に生まれる子はバプテスマのヨハネである。ヨハネはイエス・キリストよりも半年早く生まれた。またイエスの公生涯の先駆けとなって、ヨルダン川で悔い改めの洗礼を授け、イエスを信じるように説いたのだ。
 ザカリヤとエリサベツの箇所から、神の「霊と力に満ちる」にはどうすべきか学ぶことができる。ポイントは以下のようになる。

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A 神殿内の幻(5~17節)
-エリヤの霊と力を持つ者-

B ザカリヤの不信仰(18~20節)
-主は恥をぬぐってくださる-
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A 神殿内の幻(5~17節) -エリヤの霊と力を持つ者-

1:5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
1:6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。
1:7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
1:8 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、
1:9 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった。
1:10 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。
1:11 ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。
1:12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、
1:13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
1:14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
1:15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
1:16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
1:17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」

* 5節「アビヤの組の者でザカリヤ」→神殿で奉仕をするレビ人、祭司第24組の8組。「彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツ」→家系を重んじた祭司社会でも特別な名門。「ザカリヤ」→へ:「神は覚えておられた」の意。「エリサベツ」→へ:「わが神は誓い」。「ヨハネ」→へ:「神はいつくしみ深い」の意。
* 9節「くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたく」→朝夕神殿で香をたくのはくじ引きで行われていた。これは一生に一度しかできない光栄ある務めで、一度も出来ずに死ぬ祭司もいた。神殿内で祈り、出てきてからアロンの祝等「民数記6:24 『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。6:25 主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。6:26 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』6:27 彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」をもって会衆を祝福するのが常であった。
* 11節「ところが、主の使いが彼に現われて」→ガブリエル→「神の人」の意。その役割は神の計画を伝えることであった。
* 15節「ぶどう酒も強い酒も飲まず」→当時のぶどう酒は、アルコール度の弱いものであった。
* 17節「彼こそ」→バプテスマのヨハネのこと。ヨハネは民衆の心を父なる神に向けさせる。マラキ書4:6の預言の成就となる。マラキは紀元前400年頃に活動した旧約最後の預言者である。

(固定的メッセージA)
 17節を中心として、本日この箇所から学べる点は次である。ヨハネはエリヤの霊で満たされ神を示し、人々の心を神に向けさせる。こうして整えられた民を神の前に用意する。
 エリヤの霊とは預言者の霊である。今日のエリヤとは、神の霊が注がれた人々、つまり神につながる人々のことであると思う。
 私達が聖霊に満たされるならば、人の空しい心に神の救いを教え、目をイエスに向けさせることが出来る。祭司の長子であったヨハネは祭司(預言者的な)であった。
 神につながる者は、祭司である。これを万人祭司という。個性の違い(エペソ4:11)こそあれ、霊に満たされ誇りを持って、人に主の救いを示して行こう。

参照聖句→マラキ4:5~「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。4:6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

参照聖句→1ペテロ2:5~「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。2:6 なぜなら、聖書にこうあるからです。『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。』」

参照聖句→エペソ4:11「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」

(例話A)
 私は20才の時に信仰によって救われたが、救いの確信がなかった。よく聖書の学びをして立派でなければクリスチャンは失格だと思っていた。
さて私が通っていた教会には、三浦賢一くんという16才の青年がいた。彼は知恵遅れで、ペンキ屋の見習いをしていた(足場で頭を打って良く怪我をしていた)。その彼が「俺は神様がいるのが分かるから洗礼を受ける」といって洗礼を受けたのだ。聖書もよく読んではいなかったと思う。「イエス様が俺を救ってくれたから」と言ってうれしそうだった。
 勉強しなくてはクリスチャンになれないと思っていた私にとって、三浦君の洗礼は衝撃だった。この時に、三浦君から学んだことは、学ぶことも大事だが、祈って感じること、愚直に信じることが、大事だということだ。そして彼といると飾らなくて良いので気持ちが楽だった。
 その後、愚直に祈っているうちに、私も、主の臨在を礼拝やクリスチャンの友人の中で感じることが出来た。それが救いの確信となったのだ。
三浦君は祭司として私を導いてくれたのだ。三浦君のことは今でも忘れることができない。

B ザカリヤの不信仰(18~20節) -主は恥をぬぐってくださる-

1:18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
1:19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。
1:20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、おしになって、ものが言えなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」

* 20節「私のことばを信じなかったからです」→ザカリヤは老年で名門の祭司であったが、霊的不信仰であった。その結果おしとなった。しかしこの出来事は、ヨハネ誕生の奇跡として語り継がれるようになった。
* 20節「その時が来れば実現します」→主の言葉は空しく落ちることはない。時が来れば、語られた者の目の前で実現する。(イザヤ55:10~「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」、伝道者3:1「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」)

(固定的メッセージB)
 20節と25節でこの箇所から本日教えられることは、神は恥を取り除かれるということだ。信頼するものを守る。信頼するものから主の奇跡が起こるようにされるのだ。
 ザカリヤは神殿内で、一生に一度の仕事の最中に聾唖者となり、満足に祝祷を果たせなかった。一族の恥である。またザカリヤの妻エリサベツも、不妊であった。女のすえから生まれるメシアの到来を待望していたユダヤ社会で不妊は「恥」であった。
 こうして二重の恥が、ザカリヤ夫婦を覆っていた。しかし時満ちて幼子が産まれ、名をヨハネと付けた。この時にザカリヤの舌は解けた(ルカ1:57~)。2重の恥は取り除かれ、一部始終はユダヤ全体に語り告げられたのだ。
 神につながる者は神の栄光を現す。恥は用いられて、希望となる。信仰者には、一発逆転があるのだ。

(例話B)
チャールズ・ディケンズ(英国・1812~1870)の小説に、「クリスマス・キャロル」がある。主人公のスクルージは、聖書(ルカ19章)の登場人物である、ザアカイがモチーフであると言われる。
ザアカイの職業は、収税人頭であった。収税人は、ローマ帝国の手下としてユダヤ社会では蔑まれていた。またザアカイは、背が低かった。ザアカシは、金はあるが容姿は悪く、どうやら1人寂しく暮らしていたようである。ザアカイは恥をかきながら、しかし生活を変えることが出来ずにいた。
ある時に、イエス一行がエリコにやってきた。ザアカイは、イエスを一目でも見ようとイチジク桑に登っていた。すると道行くイエスと目が合い、声を掛けられたのだ。イエスは言った。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」。
 ザアカイは驚くやらうれしいやら、その晩は、イエスと弟子たちを家に招いて食事を共にした。
 イエスの愛のゆえに回心したザアカイは、その後、財産の半分を、貧しい人々にささげた。また不正な利益は4倍にして、取り立てた者に返した。
実はザアカイの恥は、こうしてぬぐわれたのだ。ザアカイの富は、貧しい者たちのために用いられた。ザアカイはイエスの証しを、大都市エリコの街でなした。多くの人がその話をして回心したと言われる。こうしてザアカイはイエスの弟子として、幸福な人生を送ったのだ。
 イエスを信じるものは、決して乾くことがないと聖書にる。その人の恥はぬぐわれる。恥は神の栄光に、神の奇跡に変えられるのだ。

参照聖句→ヨハネ4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

参照聖句→ルカ19:1~「それからイエスは、エリコにはいって、町をお通りになった。19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。

(結論)
 神を心に信じた者は、エリヤの霊と力に満ちることができる。エリヤの霊と力とは、聖霊の力である。また聖書の祭司となることが出来る。その人がどんなに弱くとも、身分と聖霊は付与されるのだ。また神を心に信じた者は、恥がぬぐわれる。そればかりか、その恥が神の栄光・奇跡へと変えられる。
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2 コメント

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テストコメント (かわさき)
2009-11-29 16:05:37
テストコメント
Unknown (fuwafuwa)
2009-12-06 10:12:48
ハレルヤ クリスマスおめでとう
お元気でメッセージなさってるお姿をそう想像して、毎回読ませてもらってます。
 

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