狭山福音教会の聖書ショートメッセージ・レジメ・コラム・例話(キリスト教 )

大阪狭山市にあるプロテスタントキリスト教会。JEC狭山福音教会の牧師による聖書ショートメッセージ・コラム(説教 例話)。

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メッセージコラム#1707-4(川崎 豊信師)

2017-10-21 14:16:21 | キリスト教

聖書:Ⅰサムエル7:6~13

題:「エベン・エゼル(救いの石)」

 

l  10月22日(土)服部緑地で第7回キッズ・ファミリー・フェスタがあり、4人で行った。

l  雨にもかかわらず盛況(全2000席…千人位?)であった。出店、トーンチャイム、ダンス、コーラス、ミュージカル「ヨセフの物語」、バイブルメッセージなど目白押し。

l  スタッフの方々の「献身(コミットメント)」に驚いた。その結果として勝利がある。いろんな教団を越え、集まってきていた。いい雰囲気。なぜか?一致があるから。

l  貫くのは、「十字架と復活を祝い知らせる」というコンセプトで一致している。つまりキリストの十字架と復活を記念して集まっているという点

 

本日は「献身」、その結果の「勝利」、そして「記念」を残したことである。

 

~~~~~~~~~~~~~~~アウトライン~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

A サムエルがミツパで全身全霊の献身を現わしたこと(6~9節)

―献身する-

B サムエルが石を置きエベン・エゼルと名付けたこと(10~13節)

―記念する-

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

A サムエルがミツパで全身全霊の献身を現わしたこと(6~9節)

―献身する-

 

7:6 彼らはミツパに集まり、水を汲んで【主】の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは【主】に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。

7:7 イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人。が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに攻め上った。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。

 7:8 そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、【主】に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」

 7:9 サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして【主】にささげた。サムエルはイスラエルのために【主】に叫んだ。それで【主】は彼に答えられた。

 

l  6節→ミツパ(エルサレムの北7.6Km、「物見やぐら」の意)はイスラエル国民にとって特別な意味を持っていた。サムエルが指導者に任命された(Iサムエル7:6)、イスラエル最初の王サウルが披露され人々に与えられた(10:17以下)のはここであった。エベンエゼルはこの近く。エベンエゼルはかつての敗北の地(4:1)。

l  6節→「主の前に」地面に水を注ぐという行為は、罪を悔い改め、偶像から立ち返り、神のみに従うという決意を示していた(水は当時パレスチナでは一番、貴重であった)。バアルはエルの息子(バアルの子はダゴン)で、カナン人の最高神であると信じられていた。バアルは「雷と雨の神」、したがって農耕を支配すると考えられていた。アシュタロテは「愛と戦争の女神」(バビロニヤではイシュタル、ギリシヤではアスタルテまたはアフロディテと呼ばれた)で、多産を象徴していた。カナン人は、バアルとアシュタロテの性的結合により大地が魔術的に活力を取り戻し肥沃になると信じていた。

l  7節→ペリシテ人((フィリスチア 【パレスチナ】 と呼ばれるようになった)。エーゲ海からの外来人。南に住み着いた。

l  8節→サムエルはイスラエルに連綿と続いた士師(指導者)たちの最後の後継者であった。士師は政治的かつ宗教的な指導者であった。神はイスラエルの真の指導者であられたが、士師は民に対する神の代弁者、全土における正義の管理者となるべき存在であった。イスラエルの士師の中には、神ではなく自分自身の判断に頼る者がいたが、サムエルは神への従順と献身により、イスラエルの歴史で最も偉大な士師の1人となった。

l  9節→〈叫んだ〉はサムエルの祈りの激しさを示す。彼は、旧約中でも代表的な祈祷者である(詩99:6)。サムエルの名は、「シャマー・エル(主に聞く者)」の意。

 

 

(中心的メッセージA)

9節→〈焼き尽くす全焼のいけにえ:オーラーカーリール〉は、「全焼のいけにえ」(ヘ:オーラー)に「全体」(へ:カーリール)が付いた句で、丸ごと全部を焼く供物であり、全身全霊の献身と忠誠を表す←申命記13:16。

偶像を悔い改めること、そして、全き献身の表明が勝利をもたらした。

 

参照聖句→ロマ12:1~「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

 

(例話A)

l  私は22歳で洗礼を受けた。礼拝をしっかり守った。什一献金もした。

l  しかし主は、あなたの夢を私にささげなさいと言った。あなたの王座に私をしっかりと迎えなさいと言った。

l  ささげた時に、何かが大幅に変わった。私の人生が変わったのである。180度変わった。

l  仕事は、同じような仕事であっても主の栄光を現わす動機となった。するといろんな奉仕をするようになり、いろんな所へ行くようになり、いろんな人とさらに出会うようになった。

 

(例話A)

「人は救われて、信仰者となる。次に礼拝者となる。そして弟子となる。そして次に宣教者になる。」 リックウォレン 米 牧師

 

「人間の献身が、喜んでイエス・キリストに全く自らのいのちを明け渡すという点にまで到達したとき、神の御霊は彼の自己中心の問題をいやしてくださる。

 彼が゛キリストにとどまる″ことと、゛御霊によって歩む″こととを途中でやめてしまうなら、彼は以前の行動に戻るのである」 

ティム・ラヘイ 米 牧師 カウンセラー

 

「ここに一人の男がいたとしよう。彼の求めに応じて若い女性が、土地もその他も何でも持っているものを恋人であるその男にささげたとすれば、彼はその女性をどう思うだろうか。それで満足するだろうか。いいえ、少しも満足しない。

 彼はその女性の財産を求めているのではない。彼女自身を求めているのだ。それ以外のものでは満足できない。このことはイエス・キリストについても言える」 

オズワルド・J・スミス(-1986.2) カナダ 牧師 文書伝道者

 

B サムエルが石を置きエベン・エゼルと名付けたこと(10~13節)

―記念する-

 

7:10 サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、【主】はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。

 7:11 イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。

 7:12 そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで【主】が私たちを助けてくださった」と言った。

 7:13 こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、【主】の手がペリシテ人を防いでいた。

 

l  10節→「彼らはイスラエル人に打ち負かされた」→イスラエル人はペリシテ人との間に大きな問題を抱えていたが(大祭司エリの時代…4:1でイスラエルはペリシテに大敗北を帰した)、神が彼らを救い出された。雷を用いてペリシテ人を脅かしたとは、バアルは雷の神であることの皮肉(アイロニー)かと思う。

 

(中心的メッセージB)

12節→ペリシテ人への勝利に応えて、イスラエルの民は神の大いなる救いと解放を記念して、大きな石碑(エベン・エゼルは「助けの石」の意)を建てた。困難のとき、私たちは現在の問題を乗り越えるため、過去に起こった決定的な転換点を思い出す必要がある。記念するものがあれば、神が過去になさった勝利を思い出し、現在に必要な確信と強さを得る手掛かりとなることがある。

 

(例話B)

なぜ記念(新生、洗礼、礼拝、聖餐、什一、誕生日、結婚、召天…)をするのか?

 

①    過去の感謝を忘れないため 詩篇103:1~5

②    現在への証しのため ロマ1:19~20

③    未来への証しのため  詩145:18~21

 

詩 103:1~「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」

 

ロマ1:19~「それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。1:20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」

 

詩145:18~「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに【主】は近くあられる。145:19 また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。145:20 すべて主を愛する者は【主】が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。 145:21 私の口が【主】の誉れを語り、すべて肉なる者が聖なる御名を世々限りなくほめたたえますように。」

 

(結論)

A サムエルがミツパで全身全霊の献身を現わしたこと(6~9節)

―献身する-

B サムエルが石を置きエベン・エゼルと名付けたこと(10~13節)

―記念する-

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