狭山福音教会の聖書ショートメッセージ・レジメ・コラム・例話(キリスト教 )

大阪狭山市にあるプロテスタントキリスト教会。JEC狭山福音教会の牧師による聖書ショートメッセージ・コラム(説教 例話)。

メッセージコラム#1707-3(川崎 豊信師)

2017-10-21 14:14:40 | キリスト教

聖書:Ⅰサムエル6:1~12

題:「しるしを現わす神」

 

l  9月22日(祝・木)にチャリティーコンサートサヤマが当教会で持たれた

l  「主よどうぞ祝福して下さい」としるしを求めて祈った。神のみむねであること、将来的展開があることを求めて祈ったのである。

l  すると不思議なことに①コミュニティで記事として取り上げてもらった ②直撃と思われていた台風が予定より早く通り過ぎた ③前日にシルバー人材の人が急遽、教会の雑草狩りを完了してくれた

l  この3つの奇跡を通して、このイベントは確かに祝福されると思ったのである。主はしるしをもって励まして下さるのだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~アウトライン~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

A ペリシテ人が神の箱を送り返す計画をしたこと(1~6節)

-至高の神を中心に置こう-

 

B ペリシテ人が神の箱を雌牛に引かせて送り返したこと(7~12節)

-しるしを現わす神-

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A ペリシテ人が神の箱を送り返す計画をしたこと(1~6節)

 

6:1 【主】の箱は七か月もペリシテ人の野にあった。

 6:2 ペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び寄せて言った。「【主】の箱を、どうしたらよいだろう。どのようにして、それをもとの所に送り返せるか、教えてもらいたい。」

 6:3 すると彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。彼に対して償いをしなければなりません。そうすれば、あなたがたはいやされましょう。なぜ、神の手があなたがたから去らないかがわかるでしょう。」

 6:4 人々は言った。「私たちのする償いとは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数によって、五つの金の腫物、すなわち五つの金のねずみです。あなたがたみなと、あなたがたの領主へのわざわいは同じであったからです。

 6:5 あなたがたの腫物の像、すなわちこの地を荒らしたねずみの像を作り、イスラエルの神に栄光を帰するなら、たぶん、あなたがたと、あなたがたの神々と、この国とに下される神の手は、軽くなるでしょう。

 6:6 なぜ、あなたがたは、エジプト人とパロが心をかたくなにしたように、心をかたくなにするのですか。神が彼らをひどいめに会わせたときに、彼らは、イスラエルを自由にして、彼らを去らせたではありませんか。

 

l  6:3この罪のささげ物にはどんなご利益があると考えられていたのだろうか。これは災厄に対し、カナンの祭儀において通常行われる対応であった。ペリシテ人は、問題は自らが信じる神々の怒りによってもたらされると考えていた。彼らは契約の箱を持ち去った罪を認め、イスラエルの神をなだめるためにできることをすべてしようとしたのだ。占い師(6:2)はおそらく、ペリシテ人が主なる神をなだめられるだろうと思う贈り物を選ぶ手助けをしたのだろう。しかしそのささげ物は、神の律法に指定された罪のささげ物(レビ5:14「罪過のささげもの→「傷のない雄羊一頭、聖所のシェケルで数シェケルの銀に当たるとあなたが評価したものを取って」,6:7,7:1-10)とは異なる腫れ物や鼠の像などであった。神が望まれる方法で仕えるのでなく、神を認める自分なりの方法を考え出すのは何とたやすいことだろう。EX→ゴスペルグループがかくある中で、神を賛美するのではなく、ヒューマニズムを賛美するのを聞いてがっかりする。神が望まれるのはくだかれた心、悔いた魂である。人間賛美ではなく救いをくださった神賛美こそがふさわしいのである。主をしっかりと信じようではないか。

 

(中心的メッセージA)

6:4ペリシテ人はヘブル人の神の存在を認めたが、それは多くの神々のl柱としてだけであった。多くの人がこのような方法で神を「崇拝」している。彼らは神を、幸せな人生に必要な一要素に過ぎないと見なしている。しかし神は人生の一要素ではなく、いのちそのものの源であられる。あなたは神の御恵みを良い人生の一要素に過ぎないと考える「ペリシテ人」ではないだろうか。

 

参照聖句→使16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

 

(例話A)

l  私の友人の知り合いは、ヒンドゥー教の導師グルであるらしい。

l  いろんな偶像のコレクターであって、天草四郎の持っていたマリヤ像もコレクションしている。

l  いろんな不思議な能力があるらしいが、罪の救いがない。脅されることも多いので友人は距離を取りたいようであった。

l  神々をコレクションするのではなく、至高の神イエスを知り信じていただきたいと思う。主イエスを信じるなら生活がシンプルになる。

 

(例話A)

l  私が神を信じたのは21才の時、多くある神に、一つを重ねるような気持ちで信じたのである。

l  ところが、信仰生活に従って、偶像の神が剥がれていったのである。まず気持ち悪くなったので印鑑やお守りは処分した。悪魔礼拝のLPを処分した。

l  最後に困ったのは、自分の夢が偶像になっていたからだ。「ドリームスカムツルー」神の和菓子屋をつくるという夢が取り去られた。これはつらいことだった。

l  しかし神はあらたに「人を取る漁師になりなさい」という道を見せてくれた。神が私の中心になった瞬間であった。

 

B ペリシテ人が神の箱を雌牛に引かせて送り出したこと(7~12節)

 

6:7 それで今、一台の新しい車を仕立て、くびきをつけたことのない、乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、その雌牛を車につなぎ、子牛は引き離して牛小屋に戻しなさい。

 6:8 また【主】の箱を取ってその車に載せなさい。償いとして返す金の品物を鞍袋に入れ、そのかたわらに置き、それを行くがままにさせなければならない。

 6:9 あなたがたは、箱がその国への道をベテ・シェメシュに上って行けば、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのは、あの箱だと思わなければならない。もし、行かなければ、その手は私たちを打たず、それは私たちに偶然起こったことだと知ろう。」

 6:10 人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、それを車につないだ。子牛は牛小屋に閉じ込めた。

 6:11 そして【主】の箱を車に載せ、また金のねずみ、すなわち腫物の像を入れた鞍袋を載せた。

 6:12 すると雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一筋の大路をまっすぐに進み、鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、そのあとについて行った。

 

l  9節→〈ベテ・シェメシュ〉は「太陽の家」の意。エクロンから最も近いイスラエルの町であったのだろう。

l  12節→契約の箱の移動エリの息子たちは契約の箱をシロからエベン・エゼルとアフェクの戦場に持って来た。ペリシテ人は契約の箱を奪い、アシュドデ、ガテ、エクロンに運んだが、疫病が起こったのでイスラエルに戻した。最終的には雌牛の車に乗せられてベテ・シエメシュに運ばれ、キルヤテ・エアリム(「もろもろの林の町」の意)にあるエルアザルの家に運ばれた。

 

(中心的メッセージB)

6:12 ペリシテの祭司や占い師は、最近起こった災難のすべてを引き起こした方が本当に神かどうか試す方法を考え出した。子牛を産んだばかりの牝牛2匹を台車につなぎ、イスラエルの国境に向かって契約の箱を運ばせたのである。母牛が育てている最中の子牛から離れて行くには、母性本能に逆らわなければならない。自然の摂理を超えた力を持っておられる神だけがそのようなことを実現できるはずだ。神は牝牛をイスラエルへ送られたが、それはペリシテ人のテストに合格するためではなく、ご自分の全能をお示しになるためだった。

 

(例話B)

A しるしを求めてもOK(士 6:36~40)(Ⅱ列王 20:8 ヒゼキヤ)

    「助けを求めるのは弱いからだと言われる。しかしそうではなく実は強いからである。  …神学者 マックス デプリー 」

B しるしを求める動機は主の栄光のため(出4:1~8)

しるしと主への試みの違いは、しるしは真摯な求めであり、試みはゲーム的な求めであると思う(マタイ4章→「主を試みてはならないと書いてある」)

C しるしを求めるのは行動のため(ヤコブ4:17)

 

参照聖句→士師6:36~ギデオンは神に申し上げた。「もしあなたが仰せられたように、私の手でイスラエルを救おうとされるなら、 6:37 今、私は打ち場に刈り取った一頭分の羊の毛を置きます。もしその羊の毛の上にだけ露が降りていて、土全体がかわいていたら、あなたがおことばのとおりに私の手でイスラエルを救われることが、私にわかります。」 6:38 すると、そのようになった。ギデオンが翌日、朝早く、その羊の毛を押しつけて、その羊の毛から露を絞ると、鉢いっぱいになるほど水が出た。6:39 ギデオンは神に言った。「私に向かって御怒りを燃やさないでください。私にもう一回言わせてください。どうぞ、この羊の毛でもう一回だけ試みさせてください。今度はこの羊の毛だけがかわいていて、土全体には露が降りるようにしてください。」6:40 それで、神はその夜、そのようにされた。すなわち、その羊の毛の上だけがかわいていて、土全体には露が降りていた。

 

参照聖句→出4:1~モーセは答えて申し上げた。「ですが、彼らは私を信ぜず、また私の声に耳を傾けないでしょう。『【主】はあなたに現れなかった』と言うでしょうから。」4:2 【主】は彼に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」彼は答えた。「杖です。」4:3 すると仰せられた。「それを地に投げよ。」彼がそれを地に投げると、杖は蛇になった。モーセはそれから身を引いた。4:4 【主】はまた、モーセに仰せられた。「手を伸ばして、その尾をつかめ。」彼が手を伸ばしてそれを握ったとき、それは手の中で杖になった。

 

参照聖句→ヤコブ4:17 こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。

 

(結論)

A ペリシテ人が神の箱を送り返す計画をしたこと(1~6節)

-至高の神を中心に置こう-

 

B ペリシテ人が神の箱を雌牛に引かせて送り返したこと(7~12節)

-しるしを現わす神-

 

 

(その他の例話)

クリスチャンコメディアンのケン・デイビイスは「神からのしるしを待つ人」と題して次のような話をした。

あるクリスチャンがバスに乗った。そのバスにお客はなく、彼は一番後ろに座った。座ると祈りだした。「主よ。もしあなたが私に伝道することをお望みでしたら何かしるしを与えてください」。

すると次のバス停で一人の人が乗り込んできてクリスチャンの隣に座った。その人は言った。「イエスキリストについて知りたいのですが、何かご存知ですか?」

 

クリスチャンは心の中で弁解しながら主に祈った。「主よ。この隣に座った乗客に伝道するのが御心でしたら、バスの運転手をアルマジロに変えてください。」

 

私たちはこのように、アルマジロの祈りをすることはないでしょうか?

このクリスチャンは心から主に従う心の準備ができていなかったのです。あなたもこの人のように弁解して次から次へ祈るでしょうか。主に心から従う心備えをしましょう。

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