ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

地方国立大学に想定される厳しいシナリオ(その4)

2013年01月27日 | 高等教育

 さて、前回のブログに引き続いて、いよいよ「大学改革実行プラン」の中身に入っていきたいと思います。

 前回もお話しましたように、「大学改革実行プラン」にはたくさんのことが書かれているのですが、ほとんどを省略し、僕が最重要と感じた箇所だけを選んで説明をします。

 下のスライドにお示しするページには、これからの大雑把なスケジュールが書かれています。この中で「大学ビジョンの策定」は今年度内、そして「国立大学改革プラン」の策定は来年度の半ば頃までに策定されるようです。

 そして、現在、国立大学のミッションの再定義のために、教員養成、医学、工学で、各大学のヒアリングが文部科学省で行われています。

 下半分には「改革の目指す具体的目標・成果の例」として、4つのことが示されています。この中では、3番目の「世界で戦えるリサーチ・ユニバーシティを10年後に倍増」と4番目の「全国の地域圏で、大学が地域再生の主要な役割を果たすセンター」つまり「COC(Center of Community)構想」に注目しています。

 

 

 この「大学改革実行プラン」は、「強い文教・科学技術」の重要性に理解を示しつつも、予算削減と大学の「選択と集中」を強力に推し進めようとする財務省と、過度の「選択と集中」の弊害にも一定の理解を示す文部科学省(特に旧文部)とのせめぎ合いの産物であるような気がします。

 それは、「世界で戦えるリサーチ・ユニバーシティを10年後に倍増」という文章の中の「倍増」という言葉にも表れていると思いますし、COCという概念を設けて、地方大学にもその存在意義を与えたことに表れていると思います。

 ただ、今回出されている概算要求を見ると、リサーチ・ユニバーシティの対象は20大学となっており、トップ30を世界最高水準にすることをうたった遠山プランよりも後退(選択と集中がより先鋭化)している感を受けます。また、COCの予算額は、リサーチ・ユニバーシティー関係に比べるとずいぶん見劣りがする予算規模にとどまっています。

 次に僕が注目したのは、国立大学の「基盤的経費の重点的配分」について記載したページです。ここには、地方大学にとってかなり厳しいことが書かれていると感じます。

 基盤的な運営費交付金は、毎年1%削減され続けてきました。主として教職員の人件費としての位置づけから、余力の小さい地方国立大学では、計画的な教職員の削減を行い、すでに限界に近づいている大学もあります。教育対研究の比率が50対50の大学で、教員を10%削減すると、教育の負担は減らないので、研究機能が20%低下することは、今までの僕のブログでも何度かお話しましたね。地方国立大学での論文数の低迷や、若手研究者の減少は、まさに、この基盤的な運営費交付金の削減によるところが大きいと考えられます。

 ところが、財務省は基盤的経費をバラマキと認識しており、重点配分やメリハリをつけるべきであるという認識です。今までの基盤的運営費交付金1%という削減率が継続されるだけでも、地方国立大学の機能はどんどん低下していき、早晩X dayを迎える大学が出てくると推測されますが、この基盤的経費を重点化してメリハリをつけるということは、X dayを迎えつつある大学・学部・学科・専攻等を今すぐにでも潰してしまえと言っているに等しいと感じます。

 

 今、国立大学のミッションの再定義をするために、文科省が分野別に各大学のヒアリングを行っているわけですが、その際に、人材育成の観点および研究成果の観点から、各大学の「強み」のある学科・専攻を明らかにするように要請をしています。そして、上のスライドからすると、基盤的運営費交付金を、学長がリーダーシップを発揮して、「強み」のある学科・専攻等にメリハリある重点配分をすることになっています。

 一方、トップ大学と同等のレベルではない学科・専攻に対しては、学長は学内予算を削減することが求められます。今までは、教員を削減する場合は、各学部均等に削減人数を割り当ててきたわけですが、今後は、削減する学部と削減しない学部が生じるこということでしょう。

 今までのように、学長が大学内の学部に対する予算を均等に削減していたのでは、部分的に「強み」をもっている地方大学のせっかくの「強み」も弱体化させてしまうことになりかねませんでした。学長が「強み」のある学科・専攻に学内予算を重点配分すれば、地方大学の貴重な「強み」は守られることにつながります。

 そして、学長が「強み」のある学科・専攻へ重点配分したかどうかについては文科省が評価をし、していない大学には運営費交付金をさらに削減して、大学全体としてじり貧にさせる、ということなのでしょう。

 それにしても、僕が学長をした経験からは、学部・学科・専攻等に、最初から重点配分をすること(特定の学部予算を大幅削減すること)は、きわめて難しいことです。三重大学の学長に就任した時に、さっそく、各学部のさまざまな指標を計算して、学内予算配分の見直しを画策したのですが、研究成果にしても理系と文系とは比較しようがないし、各種の指標についてもさまざまな解釈があって紛糾します。地域貢献にしても、各学部とも必死に行っていますし、就職率についても、各学部とも100%近いわけですから、差をつけようがないのです。

 結局、法人化前からの予算配分比率を踏襲し、各学部の予算を均等に削減し、それで浮かした予算を学長裁量経費として重点化に使ったわけです。この「均等削減+重点化」という手法は、比較的実行しやすく、ほんとんどの学長が、この方式で重点化をしたと考えられます。国も、今まで国立大学の基盤的運営費交付金を均等削減しつつ、それで浮かした予算を競争的資金として重点配分してきました。(そのおかげで、大学間格差が拡大したわけです。)今後は、国の方も、基盤的経費を均等削減ではなく、重点削減をするということなので、大学間格差はさらに急速に拡大することになりますね。

 地方国立大学の学長は、たいへんつらい仕事をしなくてはなりませんね。神田主計官との鼎談では、僕は学長は特定の学部をつぶすことはできず、国がやってもらわないとできないと話したのですが、どうも、そのいやな仕事を学長がやらされるようですね。そして、彼らが考える「学長のリーダーシップ」とは、それができるかできないか、ということのようです。

 ただ、各大学の「強み」を有する学科・専攻の選定は様々な客観的指標でもって、また、大学と文科省が話し合って決めるとなっており、学長さん一人だけで決めるわけではないので、多少は気が楽かも。

 それでは、改革プランに書かれていることが文字通り実行された場合の地方国立大学のシナリオを考えてみましょう。

 まず、国立大学の基盤的な運営費交付金は、さまざまな理由から今後も削減され続けると考えられます。

 

 下の図は国立大学の運営費交付金総額の推移を示しています。平成25年度概算要求でも減額の要求となっています。(25年度は国家公務員並み給与削減の影響が大きい)

 ちなみに私立大学の経常費補助は、平成19年度から減額になっていますが、最近は回復基調にあります。

 

 

 次に、一握りのリサーチ・ユニバーシティについては、今後も手厚く守られるものと想定されます。特に最近の日本の大学の世界ランキングの低下は、トップ大学へのさらなる選択と集中がなされる理由になると思われます。今回の安倍政権で産業競争力会議の議員に選ばれた竹中平蔵氏の提出資料にも「世界トップ100大学に10校」と書かれています。(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai1/siryou6-5.pdf)

 

 余力の小さな地方国立大学や単科大学は、いったいどうなるのでしょうか?僕には、あまり良いシナリオは描けません。

 まず、従来と同じように、基盤的運営費交付金は削減され続けますから、教職員の計画的削減が続きます。

 そして、先ほどお話した、学部・学科・専攻における「強み」に応じた学内予算の配分がなされ、選択されなかった学部・学科・専攻では、予算削減のために、まず、研究する余裕がなくなると考えられます。

 

 

  つまり、大学内で、研究機能が維持できる学部と維持できない学部ができることになります。同時に、学部内でも、各教員に平等な研究費や研究時間の配分を確保することが困難となり、研究活動が可能な教員と、教育に専念する教員の分化が進むと考えられます。

 このような政策に対して、地域に助けを求めることができるかというと、2007年と2010年のように、極端な予算の削減政策が打ち出された場合は地域から全国的な運動を展開しやすいのですが、今回の「大学改革実行プラン」に対しては、反対運動は起こしにくいと思われます。

 ただし、COCなどで魅力的な地域貢献策を打ち出して、それを地方自治体や地方の議員さんを介して中央にアピールするということはできるかもしれませんし、ぜひともそうするべきでしょう。

 地方大学でも、大学内に、世界と戦える研究・教育拠点(大学院)やリサーチセンターを造ることができれば、それを重点化の対象として国にアピールすることができるかもしれません。しかし、地方国立大学単独では、なかなか難しいのではないかと感じます。複数の大学で連携や統合をすることにより、世界と戦える研究・教育拠点やCOCの拠点をつくれるかどうかが、生き残りの一つの方策になるのではないかと感じます。

 たとえば、三重大学ならば、僕が学長の時に造った「地域イノベーション学研究科」や「リサーチセンター」をさらに拡大・充実し、複数の大学で連携して、真に世界と戦える機関にすることが生き残り策の一つになるのではないかと思ったりします。

 上位校の世界ランキングを上げることしか念頭にない人々に対しては、科学技術政策の規模、つまり「質×量」が重要であること、過度の格差拡大が日本国としての競争力の低下をもたらしうること、地方大学は地域再生にとって大きな存在意義を有することなどを、客観的データに基づいて、粘り強く主張し続ける必要があると思います。

 ただし、上にお話したことが実行できる地方国立大学は、まだ救われる可能性があると思いますが、一部の大学は、改革しようにもすでにその余力がなく、COC予算を獲得しようにも地域貢献活動の実績もなく、連携・統合したくても、地理的、あるいはマッチング的に不可能な状況に置かれ、レイムダックになるのではないかと心配をしています。そして、「大学改革実行プラン」が求めている学長のリーダーシップ、つまり「強み」に応じた学内資源配分や組織の存廃が、教授会の反対にあって実行できないということになると、運営費交付金が大幅に削減され続ける大学となり、けっこう早いうちに、限りなき専門学校化が進むか、X dayを迎えることになるのではないかと思います。

 このようなことが、「大学改革実行プラン」が文字通り実行に移された場合に、僕が想定する地方国立大学にとっての厳しいシナリオです。

 僕のシナリオが間違っておれば幸いですし、レイムダックになる地方国立大学が出ないことを心から祈っています。

(このブログは豊田の個人的な感想であり、豊田の所属する機関の見解ではない。)

 

 

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1 コメント

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学内での選択と集中 (海外研究者)
2013-04-01 01:34:11
ご指摘の大学内での選択と集中と言うのは今後進めて行くべき課題の一つですが、学長のイニシアチブだけでなく、資金的なインセンティブも必要でしょう。

海外の大学ではworld rankingのtop30に入るような大学は別として、50-250位大学だと、ある分野ではtop univに十分伍する程強く、その分野だけは国から多く資金を得ていることが多いです。日本の地方大学でもすべての分野の研究を推進するのは無理にしても、(生物系の例に取ると新潟・金沢の神経、熊本の発生のように)ある分野に絞れば旧帝大と同程度の研究組織を作ることは可能でしょう。その仕組みを政策的に促す意味でも、21世紀COEのようなdepartment単位(10研究室程度)にfundingするような仕組みを再構築することは不可欠だと思います。GCOEやリーディング大学院のような総花的なものになると結局は旧帝大+アルファばかりに金が行き、地方大学は無力感を募らせるだけですが、21世紀COE程度の規模であれば地方大学でも十分に人を集めて勝負をすることは可能でしょう。また、資金があるので、引退間際、後の天下りではなく、若手を呼び寄せることも可能になり、組織の活性化にも十分貢献すると思います。

私自身の体験として、大学の規模は小さいものの、ある分野ではアクティビティが高い日本の某大学からテニュア独立准教授でオファーを貰いましたが、スタートアップの資金もありませんでした。研究体制を整えるために数年コツコツと資金を獲得するという事は考えられなかったので、残念ながらそのオファーは断らせて頂きました。COEがあった頃はそれなりのパッケージがあったようですが。。(逆に言えばCOEのような)

結局は海外で次の職を探し、professor titleは付かないものの、必要な機材をすべて購入してもらい、何とか自分の研究をスタートできる環境を整えることができました。

日本の大学もポジションをやるから文句を言わず受けろと言うスタンスでは人材を引き付けることが出来なくなっている現実に目を向けて欲しいと思うと共に、豊田先生のような方に大学側のイニシアチブをとって頂きたいと思います。
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