昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[舟のない港](十)

2016-03-12 12:21:43 | 小説
 重苦しい空気が、また男を襲った。
振り払うように時計を見た。五時四十分過ぎを指している。
ほんの数分のことではあったけれども、長い時間に感じた。
かつてあれ程に欲しかった時間が、今は煩わしい。

 待合室から外に目を向けると、朝焼けの雲が眩しく光っている。
そしてその下にあるディーゼル機関車の洗練されたスマートさが、皮肉に感じられて仕方がない。
SL機関車と同じく馬車馬のように猛烈に働き続け、たった一つのミスで全ての歯車が狂ってしまった男には、輝くばかりのエリートが腹立たしい。
そしてその歯車の狂いの為に、一人の女性の人生までをも変えさせてしまった自分が、更に腹立たしい。

 尽くされれば尽くされる程、男の心の中にある神聖な部屋に土足で入り込まれるようで、男の心は苛立った。激しい罵り合いも一度や二度ではなかった。
そして必ずといっていいほど、その後二人は獣になった。
それが度重なるにつれ、獣になりたいが為に罵り合うのではないか、そんな錯覚をおこし始めた。

「これでいいのよ」
 女からのその言葉を信じながらの生活は、二人にとって、時に禁断の快楽であり、また地獄でもあった。
今、男はそんな生活と決別して、本当の生活=実りある生活を手に入れる為に、そう、舟のない港に舟を入れるべく旅立った。

「Such is life,will once more !」

 と、高らかに誇らしく叫び、かびの生えた情熱を再び燃やそうとしていた。
しかし男に、羅針盤はない。
東か南か、何処に行けばそれが手に入るのかわからない。
わからないが故に、ぬるま湯の生活から今、旅立っている。


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