Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

武田神社の紅葉 (ここオススメ)

2007-11-28 | Japan 非日常生活 遠征篇
宝物館で「風林火山」の旗の「本物」が展示されていると聞いてやって来ました。武田神社。神社になったのは大正時代らしく、元は武田家三代の屋敷があったそうです。その名も「躑躅が崎館」。恥ずかしながら「躑躅」の字が読めませんでした。「つつじ」と読むそうです。

宝物館に着いてみると、中はゼッケンをつけた人たちで超満員でした。当日開催されていたウォーキング大会の中継点になっているのでした。そこには「風林火山」の旗の「本物」はもちろんのこと、川中島で信玄と一騎打ちしたという上杉謙信の「毘」の旗の「本物」までが展示されていました。










数々の「本物」を観た後、神社の敷地内を散策しました。案内図にあった「御屋形様の散歩道」という名前に惹かれて期待もせずに歩いてみました。手付かずの雑木林というところでしょうか。とぼとぼ。

ところが w(°0°)w 御屋形様もびっくりするくらい、ここはなかなかのモミスポ、紅葉スポットなのでありました。行って良し、オススメです。見惚れました。何枚も写真を撮ったので、中央本線沿線の集客力アップの一助を担うべく、ブログに載せて宣伝することにします。




信玄の隠し湯

2007-11-27 | Japan 非日常生活 遠征篇
積翠寺の北には小高い山があって、そこには要害と呼ばれる武田家の山城があります。その麓には「信玄の隠し湯」に数えられる積翠寺温泉(鉱泉)が湧き出ています。

要害を背に南面すると、尾根と尾根の狭間に積翠寺の武田家家紋の入った屋根と大銀杏が見え、その向こうに甲府市街までが望めます。ここ、なかなかいい眺め。温泉旅館があって日帰り入浴も可能です。


要害から甲府市街を望む

信玄ゆかりの寺の紅葉

2007-11-26 | Japan 非日常生活 遠征篇
今まで寂しかった甲府駅の駅裏が再開発中で一変していました。駅の北側は何といっても武田信玄ゆかりの地。武田家三代、六十余年間の居館「躑躅が崎館」跡の武田神社や、武田家の墓所のある寺院など、武田家ゆかりの場所が点在しています。中央本線沿線の集客は、これらの観光資源をどう活かすかにかかっているような気がします。

ということで、最初に向かったのは信玄生誕の地、積翠寺。武田神社の裏手を北へ、なだらかな坂を上り詰めた手前、銀杏の樹の燃えるような黄色が目印と聞いてきましたが、葉は既にあらかた散っていました。その代わり、鄙びた寺の裏手、信玄が産湯につかったという井戸の脇に赤、黄、緑のグラデーションが色鮮やかな紅葉の樹を見つけました。

風林火山キャンペーンの終わるとき

2007-11-25 | Japan 非日常生活 遠征篇
長野新幹線開通以来、松本に行くにも長野経由で行く人が増えたし、高尾以西の中央本線沿線はどうも取り残されている印象が強いです。新宿の発着ホームも遠くになって乗り換えは不便だし、快速以外の中央線の存在自体が忘れ去られているのではないかと不安になります。

甲府で読んだ新聞記事にも暗いニュースが目につきました。例えば、サッカーご当地チームのヴァンフォーレ甲府がJ2に降格。甲府駅近くの舞鶴城公園で毎冬開催されてきたイベント「光のピュシス」が今年を最後に打切りになるらしいこと。

甲府駅近くでは、NHK大河ドラマ「風林火山」に合わせて、現在も「風林火山博」が開催され、多くの観光客を集めています。しかし、これとて、ドラマ終了に合わせて、あとわずかで閉幕を迎えるのです。

思えば、一連の「風林火山」キャンペーンは、武田信玄の生涯を辿り、甲府を起点として甲斐国を巡り、さらには信濃国南部から川中島に至るまで、観光客を集客、誘導するもの、いわば長野新幹線に対抗し、中央本線の復権を図るべき一大戦略だった筈。集客イベントが終わった後が、まさしく正念場となることでしょう。

昭和記念公園の銀杏

2007-11-24 | Japan 日常生活の冒険
昭和記念公園で黄色く色づいた銀杏並木を見よう。ということで立川へ。

でも、せっかく立川に来たんだからと、駅ナカ「ecute」を覗いて、南口「宝華らーめん」で油そばを食べてぐずぐずしていたら、三時を回ってしまいました。公園の閉園時間は四時半、急がねばならぬ。

このような展開は毎度のことですが、銀杏並木に到着した頃、晴天のもと夕陽が斜光となって銀杏の葉を透かし、とっても綺麗でした。たくさんいた来園者も帰りだす時間で混雑がなく、落ち着いた気分で過ぎていく季節を感じることができました。400円の入園料で一時間しか滞在できないのは、ちと勿体ない気がしましたが。

「立可尿」 どうでしょう?

2007-11-23 | 好韓嫌韓・厭鮮


北朝鮮が誇る「美女軍団」のかぶる奇妙な帽子について下着転用説があることは前述しました。「美女軍団」は韓国を訪問した際、スポーツ行事の応援目的で下着を帽子として用いたわけですが、「軍団」帰国後、下着事情のよくない北朝鮮では、帽子を改めて下着として使用したのかもしれません。

このような下着転用説とは別に、中国で独自開発された商品の売れ残り分を帽子に転用し、南朝鮮遠征時に粗相のないよう「美女軍団」全員に配給した。という説もあります。
↓これです。


「立可尿」 中国の誇る立ち小便キットだそうです。

あー、またお下品路線になってしまった。(-_-;

「美女軍団」の頭に載せられているもの

2007-11-22 | 好韓嫌韓・厭鮮
古代、中国から朝鮮半島を経由して伝えられた靴を、半島人が帽子と伝えたために日本人が勘違いして頭に被った。という珍説が、韓国内で人口に膾炙していることは前述しました。万葉集、茶の湯、着物、柔道、剣道等々、日本文化の大半は半島から伝えられたもの。と豪語する半島人までいて、あきれるだけでなく腹立たしさを覚えることも多いです。しかしよくよく考えれば、朝鮮半島を介して日本に伝えられたものは、朝鮮半島の宗主国であった中国が発祥のものが殆どです。日本が中国から学んだことが数多いことは事実ですが、果たして朝鮮半島から「直接」学んだことがどのくらいあるのか?甚だ疑問です。実際、朝鮮半島起源で日本に直接文化的影響を与えた事象が思い浮かばないのです。

一方、北朝鮮にとって、中国は今なお実質的な宗主国で、将軍さまといえ北京に足を向けては寝られません。中国は北朝鮮の生命線で、国境を越えて供給される物資なくして、北朝鮮の国民生活は成り立たないようです。



上の写真はいわゆる「美女軍団」です。彼女たちは共産主義国家にあるまじき特権階級の出身だそうで、清楚なチマチョゴリは別として、中国からの輸入品をいろいろと愛用しているに違いありません。





で、下が問題の写真です。「美女軍団」が頭に載せているのは何でしょう。これもやはり中国からの輸入品でしょうか。中国人に、これは流行している帽子だよ。とか騙されたのでしょうか。ワンポイントのフロントアップリケがとっても恥ずいです。



つづく

偽史倭人伝 おかしな帽子

2007-11-21 | 好韓嫌韓・厭鮮
古代、朝鮮半島を通じて中国の文物が日本に伝来した際、初めて靴を見た日本人(倭人)が、これは一体何に使うものか?と半島人(「朝鮮人」というと差別語といわれるし、かといって韓国も高麗も存在しない時代のことも含まれるので敢えて「半島人」と呼ぶことにした)に聞いた。半島人はからかい半分に、それは頭にかぶるものだ。と教えたところ、日本人は頭に靴を載せるようになり、烏帽子の原型となった。日本人はそのせいで永らく靴を履くことを知らず、足の一指と二指で鼻緒を挾むようにして履く草履や下駄の類を愛した。この形が牛や豚の蹄に似ていることから、半島人は日本人を「チョッパリ(쪽발이)」(蹄)と呼んで軽蔑してきた。朝鮮半島では今もこのような話がまことしやかに語られている。

漢字を日本に伝えたとして知られる渡来人、王仁(わに)博士は今や一個人としての存在すらが疑問視されているが、韓国に行くと何故か王仁博士の生家が史跡として存在し、王仁博士が日本人に漢字を教えている情景を見てきたかの如くに描かれている絵までが飾られている。もちろん最近になって「後付け」で創られたものに違いなく、北朝鮮の檀君墓や数々の金日成・正日遺跡と似たようなものである。さらに言えば強制連行や従軍慰安婦の問題も、もうすぐ70周年の南京大虐殺にしても「後付け」で創られた偽史のような気がしてならない。

いずれにしても、半島人たちは、溜飲を下げるために、日本文化の源流がことごとく朝鮮半島にあり、朝鮮半島が後進国・日本にそれらを伝えた(教えてやった)ことにしたいのであろう。漢字についていえば、半島では一度は捨て去った文字ではあるのだが。

朝鮮半島にしても、宗主国であった中国から、数々の中華の文化を学び取り入れてきた筈である。実は、ごく最近、中国で別の用途に開発されたものが、朝鮮半島で帽子として使われている例を発見した。これについては次回報告することとしたい。

なお、「チョッパリ」と馬鹿にされてきた日本の履物文化ではあるが、日本発「ビーチサンダル」が世界中で愛用されていることは意外にもあまり知られてはいない。最近、テレビで紹介されていて知った。

つづく

後楽園の日亜化学

2007-11-20 | Japan 日常生活の冒険
徳島県阿南市からやってきたイルミネーションを後楽園で観ました。
まさしく人工の美。赤、黄、緑より波長の短い青、白が加わっただけで、今まで見たことのなかった色調が出せるようになり、今まで安っぽい色合いと馬鹿にしていたLED光に無限の可能性を感じるようになりました。



ベネチアン・グラスを思い出してしまいました。
地元企業で、中村修二氏の特許報酬請求の裁判でも話題になった日亜化学工業で作られたもののようです。
こういうのは、青色LEDができなければ実現不可能だったろうから、阿南市にとっても日亜化学様様でしょう。