Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

今年の紫陽花

2006-06-30 | Japan 日常生活の冒険


昨年は紫陽花を観に鎌倉に出かけたりしましたが、今年は引っ越ししたりして忙しくて、近場で咲いている花を観て楽しんでいます。
えー、既に半月近くケータイ入力でブログを書いてまして、最近はトラベルブログといえない話題が続き、更新も滞りがちですが、あと何分かでいよいよ七月到来、もうすぐ我が家に「光」も繋がって快適ネット環境で「さくさく」と行くようになるので、ともたび、ブログ頑張りまーす。

MaxMara 再び

2006-06-27 | Japan 日常生活の冒険
相変わらずスパム・トラックバックの嵐が続いていますが、フルブラウザ携帯からこれを消すのって結構たいへんなんです。

そういえば、四月にこのブログで特集して顰蹙を買った「かなまら祭り」の記事に、三つのアドレスだけが書かれたコメントが入ってました。こういうのって、どうせスパム・コメントに違いない。と放ってあったんですが、ある日気になって覗いてみたらビックリ。



こ、これって「MaxMara」、まさしく「かなまら祭り」で担がれた三体の御輿のうちのひとつ、浅草橋の女装クラブ「エリザベス会館」から奉納された「エリザベス神輿」ではないでしょうか。

でも二番目三番目のアドレスの写真をよーく見ると、御輿の担ぎ手は女装した男性ではなく褌姿の女性になっています。有識者P氏に相談してみたところ、この写真は企画モノの成人向けビデオの宣伝写真らしく、コメントの書き手はこちらが如何に反応するかをみて楽しんでいるのではないか。つまり一種のセクハラらしいことが判明しました。

まあ、この程度ならどぅってことないし、ブログのネタにもなったことだし、コメントしてくれた方には、一言、ありがとう。と言っておきます。で、「かなまら祭り」の御神体「エリザベス御輿」がビデオ関係者に貸し出されたのかどうかはいまだ謎のままであります。確かめる気もないけど。

P氏曰く、写真のアドレスの末尾数字を変えると、続きの写真も見ることができるそうで、見たくはないけど、お好きな方はどうぞ。

「スティール・ボール・ラン」と「どろろ」

2006-06-24 | 漫画... 「デスノート」と「ジョジョ」など
昨日、自分の脊髄感覚について書いたのですが、そういえば、ウルトラジャンプ連載中の荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」では、主人公ジョジョがイエス・キリストの脊椎を手に入れました。例によってジョジョは脊椎を自分の体内に取り込んで新たな能力を手に入れるわけですが、異物を体に入れるわけですから、眩暈がして気分が悪くなってしまいます。

あ、こういうシーンってどこかで見たことあるなぁ。と思ったんですが、それは手塚治虫の時代劇漫画「どろろ」でした。四十八匹の妖怪によって体の殆どのパーツを奪われた究極の不具者、百鬼丸が、妖怪を倒すごとに体のパーツを取り戻していくという筋立で、取り戻されたパーツが再び百鬼丸の体に取り込まれ同化されるとき、彼は決まってもがき苦しむのです。百鬼丸の場合は、体に同化されるのは異物ではなく、かつて自分自身の一部だったわけですが、どこかエロティックなものを感じました。

前にブログで「スティール・ボール・ラン」は、下半身不随の身体障害者と死刑執行人が主人公というコミック史上たいへん珍しい設定であることを指摘し、「どろろ」の百鬼丸についても触れましたが、迂闊にも、体の一部を体内に取り込むという点で共通性があることは見逃していました。

「どろろ」のストーリーは、まさしく障害を抱えたヒーロー百鬼丸の復讐劇なのですが、彼の復讐の道行きに同行するどろろという子供の名がタイトルに選ばれています。百鬼丸は真の主人公に違いないのですが、人物設定が少年漫画としては非日常的であまりに重く陰惨なので、手塚は、明るい性格で若い読者が親しみの持てるどろろを配して、主人公を敢えて二人にしたのだと思います。目的が違うかもしれませんが、結果的に主人公が二人に落ち着いたのは「どろろ」と「スティール・ボール・ラン」の共通点でもあります。

荒木は長大なる「ジョジョ」サーガに多くの女性を登場させていますが、ジョリーンなど男性と互角に戦え、容貌以外はほぼ男性といってよいタイプが多かったと思います。男女間のロマンスに至っては、第一部・第二部で、少年漫画にお馴染み、申し訳程度に語られただけで、以降は殆ど取り上げられてもいません。掲載誌が少年ジャンプだったため限界があったのかもしれませんが、第六部まで荒木は「キャラの立った」女性を描けていないといえます。

思えば「ジョジョ」第三部の前半、香港からの船旅に、家出少女が(承太郎にすぐに見破られますが)「男装の少女」として登場します。彼女は危機を救ってくれた承太郎に淡い思いを寄せつつ、その後も承太郎の旅に従います。シンガポールでも重要な役割を果たし、一度別れた後にパキスタンでも再登場しています。てっきり彼女を準主人公に格上げするのかと思いましたが、結局名前も明らかにされず物語の舞台から降ろされてしまいます。彼女が準主人公としてうまく描かれていれば、「ジョジョ」は一味違ったストーリー展開になったのではないかと思います。

「スティール・ボール・ラン」の掲載誌が、読者対象年齢の高いウルトラジャンプに移されたことをきっかけに、荒木は今度こそ制約なしに「キャラの立つ」女性を描こうとしているように思えます。ひとりはルーシー・スティール、14歳にしてレースのプロモーターの妻であり、大統領の陰謀を知ってしまいます。もうひとりがホットパンツという意味ありげな名前の「男装の少女」。この二人が今後のストーリー展開上で重要な役割を担うのではないかと思います。

「どろろ」を印象深くしているのは、男の子と思われていたどろろが実は女の子だった、つまり「男装の少女」だった事実が最終話で明かされることです。手塚は「リボンの騎士」などでも「男装の少女」を取り上げ、倒錯的なエロスをも醸し出す「偽りの性」を描いていることは有名です。注目すべきは、荒木が「スティール・ボール・ラン」で、ホットパンツという「男装の少女」を登場させたことです。手塚賞受賞でキャリアをスタートした荒木の描くホットパンツとは、もしかすると手塚へのオマージュなのかもしれません。

蛇足ですが、話題の「DEATH NOTE」に続いて、なんと「どろろ」も実写版で映画化され、「どろろ DORORO」来年頭に公開されるそうです。配役はというと、百鬼丸が妻夫木君というのは、身長が足りないところは目をつむりまあ許してあげます(ホントは首の長い色白のハーフ顔が似合うと思います)が、子供のどろろが柴咲コウというのはどうなんでしょう? 最初からどろろが女性なのが丸分かりだし、主人公通しは私生活でも優香を失恋させたくらいいい仲と聞きます。柴咲コウがフェロモンを抑えつつ「男装の少女」を演技してくれることを希望します。ホントは小学生高学年の子役がどろろを演じた方がいいと思いますが。

「歴史の嘘を見破る 日中近代史の争点35」

2006-06-21 | Asia 「圓」な旅
カリスマ指導者であった小平没後、社会主義革命を経験した当事者たちが政治の場から退出し、中国は求心力を失ってしまいます。さらに資本主義の導入が中国全土にさまざまな社会格差を産み、国内経済に歪みが生じてしまいます。体制維持の危機を感じ取った新世代の中国首脳たちは、古今東西、世の権力者の常套手段であったように、人心を外に向けることで危機を乗り越えようとしました。生け贄に選ばれたのが日本。彼らは民衆に対して、日本を「悪者」に仕立て中国をその「被害者」として、極端な誇張や嘘までが含まれる歴史教育を行うのです。

一方、日本においては、マスコミの影響で、中国の動きに同調するかの如き自虐的な歴史観が幅をきかせています。教科書が国定の中国や韓国、北朝鮮と違い、本来いろいろな歴史解釈ができ、比較できる筈の日本なのですが、歴史に疎い人たちは、テレビや新聞を通じて流されるマゾヒズム史観によって、知らず知らずの間に洗脳され、自国に自信が持てなくなり、愛国心を害ねているのです。

今回読んだ文春新書「歴史の嘘を見破る」は、中国発の誇張され嘘の含まれた歴史認識を正し、日本人の中にわだかまる得体の知れない後ろめたさから心を解き放ってくれる一冊ではないかと思います。願わくば続刊として「歴史の嘘を見破る 日韓近代史の争点」も出版して欲しいものです。

自国の都合の悪い点は封じ込め、都合のよい点は白髪三千丈で誇張、歴史を捏造し、反対意見は妄言として耳を貸さないという態度は、中国と韓国・北朝鮮に共通しています。本書でも指摘されていましたが、これらの国には前時代的な「中華思想」が染みついており、自国がいつも中心でなければ気が済まないという傾向が強いようです。本来、「中華」「小中華」でなければならない彼らにとって、「東夷」の小国にすぎない日本に戦争で負け、或いは併合された歴史は忘れることのできない屈辱です。彼らは、自らの手で勝ち取ったとはいえないにしろ、第二次大戦後、敗戦国日本から自由を取り戻し、一度は溜飲を下げることができました。人心を集結し挙国一致で「東夷」の「悪者」を懲らしめることができたことで、再び中華の自負を取り戻せたのです。しかし敗戦国であった筈の日本の経済はいつしか不死鳥の如く復活し、彼らは今もその後塵を拝しているのが現実です。

「本来負ける筈のない日本に負けている。そんな自国が許せない。日本は何か狡いことをしている。そうに違いない」

WBCで日本に負けた韓国の反応を思い出しました。

「狡猾な日本を糾弾しなければならない」

こうして食い違いがだんだん大きくなってきたのだと思います。

「DEATH NOTE」その後

2006-06-14 | 漫画... 「デスノート」と「ジョジョ」など


フアネスに続いて渋谷駅の看板です。映画「DEATH NOTE」。ノートに名前を書かれた人が死んでしまう。という奇想天外なコミックの実写版映画。その公開が間近に迫っていますが、自分の中での「DEATH NOTE」は少年ジャンプでの連載終了とともに終わってしまいました。連載中は次回の展開を一刻も早く知りたいあまり、禁断の「早売りジャンプ」にまで手を染めていた、いけない Tomotubby でしたが、連載が終わると現金なもので、いい歳(少なくとも「少年」でも「少女」でもない)こいて永らく続けてきたジャンプ購読の習慣まで捨ててしまったのでありました。

「DEATH NOTE」はいまだに続編というか、第三部を期待する声もありますが、ノートを使用するにあたっての既出の制約が多すぎて、新しい展開を作り出すことはもう無理ではないかと思います。「DEATH NOTE」に関わる掲示板においても、およそ考え付くであろう全てのストーリー予想が披露されていましたので、さしもの大場つぐみといえど、それらに被らない斬新なストーリーを生み出すことはできないでしょう。

いっそのこと、人間界を経験し死神界に戻った死神リュークに「DEATH NOTE」に代わる新しいツールを開発させる設定にしてみてはどうでしょう。名付けて「DEATH MAIL」。送られてきた電子メール添付ファイルを開くと殺人ウィルスに感染して死んでしまうというもので、ノートに代わる死のツールはケータイ。受信されたメール添付ファイルを如何にして開かせ、殺人ウィルスを発現させるプログラムを如何にして起動させるか。虚々実々の駆け引きが再び行われるというものです。

ブログ界にどこからともなく送られてくる死のトラックバック「DEATH TRACKBACK」というのも面白いかもしれません。今月になってから毎日しつこくスパム・トラックバックを送ってくるそこのあなた!!。いい加減にしないと「DEATH TRACKBACK」送りつけるからね!!

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アジアに出回る「デスノート」…8か国・地域で公開決定
at 2006 05/26 01:24 編集

1400万部突破の超人気コミックを実写化した6月17日公開の「デスノート」(金子修介監督)が、アジア8つの国・地域でも劇場公開されることが確実になった。カンヌのマーケットでは欧米を含む50社以上からオファーが殺到。うち香港の大手配給・製作会社「ゴールデン・ハーベスト」社などと交渉がまとまった。

「デスノート」に世界のバイヤーが飛びついた。香港、台湾、韓国、タイの4か国・地域からは計約40社が製作元の日テレのブースに連日のように足を運んだ。完成前で、試写も行っていない日本映画に、ここまで買い付けが殺到するのは異例のことだ。

「デスノート」のコミックはアジア各国で翻訳され人気を集めている。映画版は俳優・藤原竜也(24)が、名前を書かれた人間は死ぬというノートを手にした主人公「夜神月(やがみライト)」を、夜神を追う天才捜査官「L」役を松山ケンイチ(21)が演じ、6月、10月と前後編にわたって公開される。

5分のプロモ映像を見た各国のバイヤーは「原作の雰囲気が損なわれてない」「『L』が似ていてよかった」と口をそろえており、原作のイメージ通りの映像が買い付けを後押ししたようだ。

交渉がまとまった「ゴールデン・ハーベスト」社はジャッキー・チェンの作品を手掛ける一方で、台湾にも配給している香港の大手製作配給会社。金額は公表されていないが、日テレ側が当初提示した2倍近い額で「デスノート」前後編を獲得した。このほか、タイとの交渉がまとまり、韓国は2社まで絞られている。この4つの国・地域を含め、フィリピン、マレーシア、インドネシア、シンガポールでも劇場公開される予定。早ければ夏にもアジア8か国・地域で前編が上映される。ドイツ、フランス、イタリアなど欧州各国のバイヤーからも問い合わせが相次いでおり、最終的には世界15か国程度で劇場公開されることになりそうだ。

(スポーツ報知) - 5月25日8時0分更新

6/12日 引越し後にみた夢

2006-06-13 | 夢日記
夜更けに独りでタクシーに乗っている私。理由は思い出せないが、既に引き払ってきた旧宅へ向かっている。

車は寝静まった静かな街を走る。こんな時間に、蛻の殻のあの部屋にいったい何をしに行くのだろう。必要に迫られていた筈だが、それが何だったのか思い出せない。

やがて前方の暗闇から、思い出の染み込んだ、切ない街の輪郭が見えてくる。私は踏み込んではならない場所に迷い込んだのかもしれない。漠然と、もう後戻りができないという気がした。

【Pet の部屋】本当にあった恐ろしい電話番号の話

2006-06-12 | Japan 日常生活の冒険
前回、電話番号の語呂合わせに関して他愛の無い話が紹介されていたが、たかが語呂合わせと侮ってはいけない。今回満を持して登場した Pet が、語呂合わせの招いた不幸な話を紹介しよう。

場所は東京都下の片隅。私鉄沿線の駅近くの裏道であった。Pet はたまに行くスーパーで買い物をした帰りに、そこに新規開店した和食の店を見つけたのだった。花で飾られた店を覗くと、天麩羅やおつくりがメインメニューのようで、仕出しもするとのことである。しかし店構えからしても客単価が高そうなこの店は、街には不釣り合いのように思えた。何しろ店の前には中古ゲームソフトを売る怪しげな玩具店があり、いつも小学生で賑わっているのであった。

店先には塩が円錐状に積んであった。この店がどんな料理を出すのか、少し興味を覚えた Pet は暖簾をくぐり、食事をすることにした。結果からいうと、この街の水準からするとかなり美味しい部類であった。店内を巡って客に挨拶をしていた店主は、どこかの料理屋で板前修業をして、夢叶ってこの度独立を果たしたという風であった。

Pet には食事をしながら気になったことがあった。テーブルに置かれた灰皿に添えられたマッチの箱に店名とともに大きく記された店の電話番号が、悪名高き「91-1794」だったのである。よりによって「91-1794」にしなくてもよいのに。先程のはりきった店主の笑顔を思い浮べながら Pet は思った。

「91-1794」は、ご存知だとは思うが、一般に「悔い、人亡くし」である。飲食店の場合は「食い人無くし」とも読めるではないか。極めて不吉な番号である。Pet は、お勘定の際にお節介だと思ったが、意を決して店主にこの語呂合わせについて語ってみた。当然ではあるが、露骨に嫌な顔をされた。塩を撒かれても仕方がない雰囲気であった。

その後、店に足を運ぶことはなかったが、駅近くで目にする看板には不吉な番号がそのまま書かかれていた。そして案の定、一年足らずで店は閉められてしまった。もともと立地に問題があったから、電話番号の語呂合わせのせいだけではないと思うが、後味の悪い結果ではあった。

Goodbye OdaQ Line Ⅲ (ヨサク?) (KEITAI Photo Ⅷ)

2006-06-10 | Japan 日常生活の冒険
前回に続いての私事ですが、引越後も暫くADSLに繋がらないというか、繋いで貰えないことが判明しました。なんとかしてよ~。とプロバイダの人に泣き付いた処、それならダイヤルアップという裏技があると聞き、早速やり方を教えて貰った次第です。しかし、昔の人は、みんなこんなこと(まで)してインターネットに繋いでいたのかって、ちと尊敬してしまいました。

ただ尊敬したから実行するかというとそんなことは決してなく、面倒くさそうだし電話料金もかかりそうなので、ブログのアップは暫くの間ケータイ入力で行うことにしました。

閑話休題。ちょい面白物件です。



「桐タンス  439-5335」

↑これだけでは、面白くも何ともないんですけど、電話番号をよぉく見ると、局番「439」の上だけ「ヨサク」と書いてあります。所謂、語呂合せです。いい語呂合せを思いついたから、ルビふってみました。というノリでしょうか? それとも主人は桐タンスを作りながら、ヘイヘイホ~♪とか口ずさんでいるのでしょうか?

でも「439」はいいとして、続く「5335」は何て読むんでしょ? ひょっとして語呂合せ考え付く前に力尽きてしまったのか? そんなことで、いい桐タンスが作れるのかい? 突っ込みを入れたくなりました。

さらに容赦なく突っ込みを入れると、東京では何年か前に電話番号が11桁に変更されています。このとき局番は3桁から4桁になっていまして、局番の「439」は「3439」に替わっているのです。このとき、局番が「439」だった千人足らずの中には、「ヨサク」の語呂合せが使えなくなることに憤慨した人もいたことでしょう。何を隠そう、Tomotubby もその一人でした。カミングアウト(笑)

Goodbye OdaQ Line Ⅱ(告) (KEITAI Photo Ⅶ)

2006-06-08 | Japan 日常生活の冒険
私事ですが、引越に際して早々とパソコンを梱包してしまったので、ケータイでブログの原稿をしたためる毎日です。従って、記事にコメントを頂いている皆様へお返事することもままならず、誠にすみませぬ。故意に放ってあるわけではないので、赦してたもれ。

閑話休題。面白物件発見。



「告
石綿□の私道に付
車輌 通行・停車・駐車 禁止」

アスベストの放置された道があるのか?と、ぎょっとしましたが、□の後ろに「家」の字があることが判り、これは「石綿家」の所有する道なんだ。と納得。では、どうしてわざわざ「家」を隠すのでしょう?