Tomotubby’s Travel Blog

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ミスター・パイクはトップレス・チョゴリの夢をみるか? (2)

2007-01-17 | 好韓嫌韓・厭鮮
朝鮮戦争以前、ソウルの街で少年時代を暮らし、シャーマニズムとも交流していたナムジュン・パイク。その後は、戦火を避けて家族とともに日本に渡り、東京大学文学部美学・美術史学科で学び、卒業後はドイツへ留学、20世紀音楽を学び、フルクサス運動にも加わります。

彼が美術シーンで注目されるようになったのは1964年、前年、阿部修也の協力を得て作られたロボット「K-456」を連れて、ニューヨークに居を移してからです。パイクはこの年の8月、「K-456」を用いたパフォーマンス「ロボット・オペラ」をニューヨークで行います。「ロボット・オペラ」はまた、美人チェリスト、シャーロット・ムアマンと初共演したパフォーマンスでもありました。ムアマンは、これ以降、パイクのパフォーマンスにおいてなくてはならない存在、重要なパートナーとなります。


シャーロット・ムアマンとナムジュン・パイク

二人が共演した主要なパフォーマンスを挙げると、

「成人向けチェロソナタNo.1」(1965):ムアマンがバッハ「無伴奏チェロ組曲」の一節を弾き、演奏をやめて衣服を一枚脱ぎ、再び演奏、中断、脱衣を繰り返し、最後にはヌードになるというもの。

「サン=サーンスの主題による変奏曲」(1965):ガウン、時にはプラスチック製のシースルーな衣装を身につけたムアマンがサン=サーンス「白鳥」を弾き、途中で演奏をやめて傍らに置いたドラム缶の水風呂に入り、ずぶ濡れになったまま演奏を続けるというもの。

「オペラ・セクストロニック」(1966):「成人向けチェロソナタNo.1」と同様のものらしい。1967年、NYフィルムメーカーズ・シネマテークで演奏時には、トップレス状態のムアマンが下半身の衣装を脱ごうとしたとき、NY市警によって中止を命じられた。

「生きた彫刻のためのTVブラ」(1969):トップレス姿のムアマンが両胸に画像の映るTVモニターのブラジャーをつけてチェロを演奏することで、生きた彫刻になるというもの。

TVチェロとヴィデオテープのための協奏曲」(1971):「TVブラ」と同様に三機のTVモニターで「TVチェロ」を作り、ムアマンが演奏する。モニターにも「TVチェロ」を奏でるムアマンが映し出されている。


「TVチェロ」

これらのパフォーマンスを行うことで、シャーロット・ムアマンは「トップレス・チェリスト」と呼ばれるようになりました。

つづく


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