Tomotubby’s Travel Blog

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蛇と龍 (モン・サン・ミッシェル)

2005-07-08 | Europe ところどころ
一方、大天使ミカエルが退治する悪魔の化身である龍も、時には蛇形となって現れます。これは旧約聖書創世記で、狡猾な蛇の誘惑によってアダムとイヴが神に背いて原罪を犯したことと関連があるようです。

主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で、呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」(旧約聖書創世記)

神エホバは、人類を惑わした蛇、つまり悪魔サタンが、未来永劫、人類の敵となること、女性の忌み嫌う対象となること、そしてサタンの頭を打ち砕く救世主、イエス・キリストが現れて人類を救うことをここで預言しているのです。



そして、この預言は新約聖書ヨハネ黙示録第12章において大天使ミカエルの登場する話となって再び繰り返されるのです。

また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身篭っていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな龍である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。龍の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、龍は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。

さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、龍に戦いを挑んだのである。龍とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な龍、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。

わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。このゆえに、もろもろの天と、その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである」

龍は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。しかし、大地は女を助け、口を開けて、龍が口から吐き出した川を飲み干した。龍は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。そして、龍は海辺の砂の上に立った。
(新約聖書ヨハネ黙示録)

「全人類を惑わす」存在である龍は「年を経た蛇」であり、「悪魔」や「サタン」と呼ばれるものとして、ここでも、人類の、特に女性の敵なのです。その執拗な追跡は、キリスト教徒を迫害したローマ帝国を喩えたものなのでしょうか。この一節は、17世紀の詩人ジョン・ミルトンが叙事詩「失楽園」に膨らませ、神に挑んだ「悪魔」を堕天使「ルシファー」に変え、天界でのミカエルとの壮大なる対決を描きます。「明けの明星」をその名にしたルシファーはミカエルと瓜二つだったともいわれ、力も互角、勝敗を分けたのは神より授かりし聖なる剣の力だったといいます。


モン・サン・ミッシェルにある古い聖ミカエルの木像。左手には秤を持っています

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