Tomotubby’s Travel Blog

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二十四孝「嘗糞憂心」 (@_@;)

2005-08-04 | Asia 「圓」な旅
二十四孝の世界は、現代では想像を絶するというか「ありえない」ものが多いです。

乳姑不怠」にしても、入れ歯や流動食が備わった現代では考えられないし、舅ならまだしも、今日日の姑さんが、よりによってお嫁さんの自家生産した母乳を毎日飲むとは思えません。Tomotubby なら乳牛飼いますね。

爲母埋児」の場合も、現代なら、子供を殺して埋めたら「尊属殺人」だし、埋めようとしただけでも「殺人未遂」じゃないですか。それから、この話は仏教も伝わってない後漢時代のことですから、餓えた家族が敢えて子供を殺して、単に埋めただけとは思えませんね。間違いなくみんなで食べてますね(きっぱり)。「爲母喰児」が現実だったのではないでしょうか。水滸伝の宋の時代でも、肉饅頭の具にしたりするのは日常茶飯事だったと聞きます。
そういえば、現共産党政権下でも、1958年に始まる悪名高き「大躍進」政策の結果、5000万人が餓死したといいます。つい最近の半世紀前というのに、日本の人口の半数に近い中国人民が餓えて死んでいったわけです。ここだけの話ですが、そのとき広範囲で cannibalism が行われていたと聞きます。

二十四孝中で、もっと「ありえない」話をご紹介。

「嘗糞憂心」

題名からして、もう「やめてくれ」です。どこかの巨大仏の胎内に孝行息子に関わる展示があって、想像を絶する物凄い話が書かれていたことを、宮田珠己さんが話していたのを思い出しました。きっとこれです。

「糞をなめて心憂える」

話は南斉の時代。南斉とは、南北朝時代、5世紀末に江南にあった国です。その時代の人、庾黔婁が「孝」の人でした。字面が「痔瘻」に似ているのは気のせいでしょうか。彼は出世して孱凌縣の県知事になりましたが、赴任してすぐ、心臓がどきどきして冷や汗が流れたので、これは家でなにか良からぬことが起こっていると感じ、官を辞して家に帰ってしまいます。予想通り父親が二日病気を患っていて、医者が言うには「病状を知るには、病人の便を嘗めてみるとよい。その味が苦ければ望みがある」。庾が便を嘗めてみたところ甘かったため、彼は大変心配して、その夜、北斗七星に向かって頭を下げ、父親の身代りになって死んでもよいと祈ったということです。



南齊時代,庾黔婁官拜孱凌縣之知縣,到縣就任未及旬日,忽然心驚流汗,心知家裡有事,即棄官返家,果然父親患染疾病二日,醫師告以:「欲知病情,嘗糞即知,若苦則有望」。黔婁嘗糞結果味甜,因而内心甚憂,當夜叩頭拜禱北辰祈求代替其父死。

「嘗糞」という行為は、「苦ければ健康、甘ければ病気」と診断する民間医療として中国で行われていたようですが、庾黔婁の故事と結びついて、親の自家生産したものを嘗めることが「孝行」を象徴する行為となったようです。上の絵を見るに、父親の横になった寝台の傍らに便壷のようなものが置かれています。おそらく庾黔婁は壷から便を採取して、匂いが気にならないよう香を焚いて「嘗糞」を行っていたのでしょう。

日本でも90年代に「飲尿」によって健康を診断・維持するのが一部で流行しましたが、飲んでいたのは自分の尿で、他人の尿を飲むことはなかったのではないかと思います。当時 Tomotubby は、訪問先のトイレにコップがおいてあるのを見つけたことがありますが、そのときはさすがに引きましたね。(@_@;)

朝鮮半島では、古来、良きにつけ悪しきにつけ中国の制度・習慣を尊重して取り入れてきました。そして儒教を国教として「孝」の精神が重んじられたお国柄故か、李氏朝鮮(1392年~1910年)の時代になっても、「嘗糞」という奇妙な習慣は生き続けていたようです。4代国王世宗が命じて編纂させた「三綱行実図」にも親の便を嘗める孝養伝説が載せられているそうです。

こんな習慣、日本に普及しなくてホントに良かったですね。


のむだけ。(本文と写真は特に関係はありません)

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2 コメント

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Unknown (護摩吉)
2007-02-23 01:26:45
初めまして。記事の性格上、下ネタですが失礼します。
人糞が甘ければ死病というくだりでで死んだ祖母の病気を思い出しました。連日の嘔吐が下痢末期のような甘い匂いがしたので病院に連れて行ったところ、腸閉塞で手遅れの状態でした。文字通り腸が詰まり口から逆流するという恐ろしい死様でしたが、胆汁で黒苦く汚染され大腸で吸水される以前の便は、まるっきり甘い匂いの吐しゃ物にしか見えませんでした。
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病気の甘い兆候 (tomotubby)
2007-02-23 02:31:28
本来、排泄物は、栄養を吸収し終えたカスのようなものですから、それが甘いということは、消化機能不全に陥っているということなのでしょうね。尿に糖や蛋白が混じるのも、やはり病気の信号だし。
先人が嘗糞や飲尿を診断に使っていたのが事実ならば、最初に試した人は随分思い切ったことをしたものだと思います。
先日、ピロリ菌を見つけた方が、自分の体を実験台に使って、菌の含まれた胃液を飲んだという話を聞きましたが、長い歴史の中で見出だされ伝えられてきた医学は、数多くの思い切った決心と、その決心ゆえに生じた数多くの犠牲の上に成り立っているのだな。と感じた次第です。
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