近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

弥生人の謎・ロマン “絵画土器”に秘められたストーリーとは!

2007年08月09日 | 歴史
もう一つ弥生時代のロマンをお届けする。
弥生時代の“絵画土器”は近畿地方をはじめ、山陽地方などでも数多く発見されている。
近畿地方の絵画土器は、奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡、東大阪市の瓜生堂遺跡、茨木市の東奈良遺跡、大阪市の森小路遺跡、橿原市の坪井・大福遺跡などに代表される。

土器に描かれた弥生の絵画は、描かれた対象・テーマ・ストーリーなどから以下の3カテゴリーに大別される。

稲作文明の導入による生活様式・食文化などの大変革を後世に伝えようとする「タイムカプセル」としての役割を意図しているモノ、日常生活風景の写実的描写及び
思想・呪いなどの教えを伝える手段。
以下各々について写真を交えながら想い巡らしてみる。

1、縄文晩期から弥生時代初頭にかけて伝わってきたとされる、水田農耕と鉄・銅製用具は、日本列島に大変革をもたらした。

鉄製農耕具による稲作の普及は、収穫量の飛躍的増大により食糧の安定確保と共に、老若男女の仕事の分業化・専門工人の出現・身分の階層化・社会の仕組みやムラの構造など社会的大変革を招来したと云える。

 一方で水田農耕は、食糧の安定確保とは裏腹に、天変地変によっては食糧難・飢饉に遭遇するなど、生死にかかわる重大な生活局面を合わせ持っていた。

それだけに水田耕作にかかわる身近な生物、カエル・アメンボウ・水鳥・カマキリ・トンボ・亀・魚などが絵画モチーフに取り上げられ、豊穣祈願の対象として描かれ、ムラ祭りに供せられたと考えられる。



写真は、茨木市東奈良遺跡の絵画土器。
ハッキリと見えないが、トンボ・魚・シカなどが描かれた絵画土器。
稲作文明がもたらした経済・社会・政治的一大変革を後世に伝承しようとした祈願が、絵画土器制作に込められていると云える。
約600年間に及ぶ弥生時代は、米作りと共に発展し、豊作を願う祭祀は今日の秋祭りに通じる。

2、日常生活を通じて観た・想った・身近に居た物・事の一コマ一コマをカメラに収めるようにストレートに表現した。

家や高床式建物・倉庫、動物性蛋白源として不可欠なシカ・イノシシや狩猟には欠かせないイヌなどの動物、交通手段に使った舟、狩をしている様子や祭り事をしている様子など人々の暮らしに関係の深い出来事・事象が描かれている。

以下写真の通り、弥生時代を通じて当時の人々の生活に密着した様々な姿が絵画土器に再現されていることが分かる。



写真は、唐古・鍵遺跡から発見された、“ヒノミヤグラ”のような建物、楼閣風の高層建築に2つの屋根と渦巻状の棟飾りに3羽の鳥が見える。



写真は、唐古・鍵遺跡から出土した人物と建物の絵画土器。



写真は、唐古・鍵遺跡からは130点余りの絵画土器が発見され、全国の三分の一の量に当たると云う、遺跡現場の再現光景。



写真は、東大阪瓜生堂遺跡から出土した背中に矢が刺さったままのシカを描いた絵画土器。

3、人面の様相変化や空想の動物である龍などを描くことにより思想・教えを伝えようとしたと考えられる。 文字のない当時、日常のローカルなしゃべり言葉を絵で表現したと見られる。











写真は上から、倉敷市上東遺跡出土の思想を表現した絵画土器、大阪池上曽根遺跡出土の龍を描いた土器、同八尾南遺跡出土の龍を描いた土器、鳥取県青谷上寺地遺跡出土のサメを描いた土器片及び函館市臼尻遺跡出土のシカを描いた縄文土器。

最上段の写真は、4コマを漫画風に線刻で表現し、入れ墨をした呪術者・悪霊・竜・カマキリと見られている。

呪術者が災いをもたらす悪霊を退治し、神である龍に祈り、その結果カマキリに象徴される豊穣と多産がもたらされるという願いが込められていると解釈されている。又“龍信仰・サメ信仰”が信じられていたとも見られる。

災害・疾病・地域争いなどを伴い、経済社会が複雑化し、食糧難にあえぎ、地域紛争に疲弊するほどに、思想・祈りに救いを求めた証と考えられる。
絵画土器を通じて弥生時代の変遷が読み取れる。



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