経営者フォーラム 東京ランド株式会社

借金たっぷり真っ赤な赤字企業でも破産も倒産も夜逃げも無用です。一人で悩んでいないで私たちに相談してください。

実務家通信21号

2017年06月23日 | うんちく・小ネタ
ある詩「弱いから」
私は弱い人間だから
ふつうの人といっしょでは
とても骨が折れるんです
みんなといっしょでは
とてもついてゆけません
わたしはのろまだから
同じことをやるにも
ひと(他人)より
はるかに手間がかかるんです
私は気が小さいから
まわりのことが
非常に気になるんです
わたしは怠け屋だから
いくつになっても
おっかない師匠が
必要なんです
わたしが
どうしようもない人間だから
安心できる
観音さまが必要なんです
いつでも
どこでも
どんな場合でも
わたしをじっと見ていてくれる
仏さまが必要なんです
足立老師・・・言葉は三つだけでいいんだ
誰かが訪ねて来たら・・・「ああ、そう」「ああ、そう」と話を聞きなさい。
とことん話を聞いて、嬉しい話だったら、最後に・・・「よかったね」
辛い話だったら・・・「困ったね、大変だったね」
の三つだけでいい。
それ以外のことは言うなと。
この話を心理学の先生に話したら「これはカウンセリングの究極だ」とさ!!!
心に残った自然体で生きるために潜在意識に刷り込むべき詩と言葉
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借金コロガシ 第8章 団結力と信用力で地獄から復活

2017年05月20日 | 著書
日本バブルが崩壊したのは、1990 年(平成2 年)4 月の2 日です。国会図書
館で4 月3 日の新聞を見てもらえば、4 月の2 日にどんな大事件が起こったの
かわかります。当日の株式欄はほぼ真っ白です。全ての株式取引所で投げ売り
に次ぐ投げ売りで、取引が成立しなかったのです。この日より日本はデフレ経
済に突入しました。
土地建物の取引も不動産業者の投げ売りに次ぐ投げ売りで、取引が成立出来
ませんでした。土地建物の取引は相対取引で、株式市場のようなマーケットが
ありませんから、新聞紙上には本日の相場の動きとして掲載されることはあり
ません。不動産業者だけが同業者の動きをキャッチし、その動向を見極めなが
ら、買うか、売るか、見送るかを決断します。この判断を間違えると身の破滅
です。ですから、中小企業の経営者のセンサー機能は極めて発達しています。
さもないと、破産、倒産、閉店、廃業となります。
1990 年3 月の総量規制は、バブル経済を造った不動産業者とそれに関連する
建築業者潰しを目的とした大蔵省の政策でした。地上げ業者と共にバブル関連
業者のすべてを潰しておかなければ、全国民が家を持てなくなる、みんな「家
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なき子」になってしまうとの危惧から、春には総量規制を発動し、秋には公定
歩合を大幅に引き上げたのです。
国民の名を前面を出していますが、本音は自身達が官舎から出られなくなっ
てしまうと危惧していたからです。バブルの生成を図ったのは、政府大蔵省、
バブルの崩壊を図ったのも、政府大蔵省でした。自分のまいた種で自分が困っ
てしまったのです。
でも政府大蔵官僚には、今日に至るまで、謝罪の言葉は全くありません。彼
らには無謬の神話があるからです。戦前の軍事官僚と同じです。日本には「神
風が吹くから敗れるハズはない」と本心から思い、国民に信じさせたのと同様
です。国民を無知のまま捨て起き、バカな政治家に代って権力を自由に操れた
からです。
この無謬の神話に取りつかれたバブル崩壊大作戦によってお取り潰しにな
った不動産業者、関連の建築業者はどれだけいるのかデータはありませんし、
見当もつきません。ほとんどは潰れたまま、20 年近く経過した今日まで、再起
できないでいます。だから不景気のままなのです。
その原因はバブル崩壊を指揮したエリート官僚たちの無謬の神話にあった
のです。ペーパー野郎たちの犯罪です。どれだけの人が貧困にあえぎ、どれだ
け多くの人が命をなくしていったのでしょう。官僚達の犯罪でデフレの悲劇は
20 年たった今もまだ続いています。
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<用語解説:無謬(むびゅう)の神話>
エリート官僚たちはけっして失敗を認めません。子供のころからペーパーテス
トでは常に満点の彼等は、自分は満点の人間だ、と思うようになってしまいまし
た。満点人間が失敗などするはずがないと信じ切っているのです
不動産バブルの崩壊で買い手のいなくなった不動産相場は、急落に次ぐ暴落
です。この暴落の最中、日本銀行は公定歩合と市中金利を急騰させたのです。
あたかも気息延々の死に体の業者の首を締めあげたのです。業者はみんな大量
死です。
不動産業者も建築業者も殆どの者は、株式投資もやっていました。バブル崩
壊で株式も大暴落しましたから、こちらでも大損害です。つまり、右、左とダ
ブルパンチを浴びたのです。バブルパンチとなりました。そして殆どの者はノ
ックアウトされました。ノックアウトされたまま死に至った者数知れず、死者
は生き還りません。この時のダメージは今日まで続き、未だ復活できておりま
せん。自殺者はウナギ登りのままです。
復活できたものは、全く別の道を歩んだ人々です。国の支援を受けたIT 産
業ぐらいでしょう。しかし、それもIT バブルの崩壊で多くの企業は消えてい
きました。どうやら全てのバブルは崩壊する運命にあるようです。
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さて、これからは、突然バブル崩壊(当時はこのフレーズはまだありません
でした)のストレートパンチを浴びた我が身と我が家族の物語です。
当初いったい何が起こっているのか、報道はありませんし、何がどうなって
いるのか、まるでわかりませんでした。新聞もテレビも全く報道がありません。
しかし、銀行からの融資はピタリと止まるし、マンションの売れ行きもピタリ
と止まりました。買い手の資金手当てができなくなったからです。銀行は、不
動産物件には誰にも全く融資しなくなったのです。
仕事はすっかり無くなりました。しかし、しばらくは今までの蓄えで食いつ
なぐことはできていました。しかし新規の収入は全くなくなっていたのです。
不安がつのり、次の一手を模索しても、なかなかアイディアが出てきません。
そんな折、私のオフィスの近くの会社が、続々とバブル崩壊の煽りを受けて、
会社規模を縮小する会社が次々と出てきたのです。テナントが次々と退却する
ものですから家賃相場が下落に次ぐ暴落です。
周辺のビルはテナント募集の広告だらけになりました。バブル景気最盛期の
頃、我がオフィスのある市ヶ谷周辺の家賃相場は、1 坪当たり4 万円から5 万
円でした。それが、バブル崩壊後1 年ぐらいで1 坪当たり2 万円台から1 万円
台に暴落してしまったのです。
この暴落現象を、私はチャンスと捕えました。ピンチはチャンスなのです。
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安くなった物件の資料を作成し、チラシを周囲に配布したのです。私のオフィ
スの周囲は賃貸ビルとマンションが林立しています。ポストが数十個とか、百
数十個とかも、まとまってありますから、チラシはすぐ品切れになってしまい
ました。そこで、このポスティング作戦に女房、子供も参加させようと考えま
した。
日曜祭日の休日の朝早く暗いうちから、リュックサックにチラシをぎっしり
詰め、両親もリュックサックと両手に紙袋姿で、一家5 人で出撃したのです。
父親と保育園児のチーム、母親と小学校低学年児童2 人の2 チームで、幹線道
路の左右に分かれ、ポスティングを開始したのです。
驚いたことに、子供たちは喜んで駆け足で、まるでゲームをやるかのように、
夢中でチラシをポストに投げ込んでいくのです。渋々やるかと思っていました
ので、これには感心しました。子供は仕事をするのが好きなのです。それが生
きる為のDNA なのでしょう。そして、お客様から反応があり、契約に結び付く
と、一家そろって回転寿司で労いました。今となっては楽しい思い出です。バ
ブル崩壊をこんなに楽しんだ一家は、そうはいないでしょう。ピンチを抜ける
一致団結作戦でした。
しかしバブル崩壊で転売業は全面停止ですし、このころの借金はまだ6 億円
ありました。なんとか稼いでこの難局を突破しなければなりません。自分には
何ができるか思慮したところ、私には大きな財産が2つあることに気がつきま
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した。それは、人脈と安い物件の仕入れルートだったのです。
大学在学当時から色々な活動をし、卒業後も商売以外に様々な活動をしてい
たものですから、人脈が大きなものになっていました。この「人脈が金脈」に
なっていたのです。意図していなかったもので、これには驚きました。
「中島さ~ん、なんか安いマンションありませんか~?」と、買い手が続々
とやってきました。皆、物件相場が暴落していると知っていたからです。私も
暴落物件の品を揃えておきました。驚いたことに、まとめ買いするお客様も現
れたのです。一部上場企業のオーナー社長です。
「水は高きより低きに流れるが、金は高きからより高きに流れる」とはよく
言い当てたもので、この時大量に仕入れたオーナー社長は元々、大資産家であ
ったのが、バブル崩壊をキッカケに、ますます資産を増やしてしまいました。
金持ちになる秘訣は物の安い時に大量に値切って仕入れることです。でも決し
て仕入れで焦ってはいけません。
なんと私はバブルが崩壊しても直ぐに立ち直って、仲介業務で大儲けしてい
たのです。今にして思うと、何がそうさせたのか思いを巡らすと、やはり「信
用」なのかと結論付けられます。
「中島さんが勧めるなら、それでいいヨ」と買ってくれるのも、信頼があれ
ばこそ、なのでしょう。この大儲けで、一家5 人と世話になった税理士夫妻、
合計7 人で海外旅行をしたのもこのころのことです。バブル崩壊後約3 年で危
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機は突破しましたが、6億円の借金はまだ時効とならず、残ったままでした。
バブル生成とその崩壊の事実を、歴史に残しておく必要があると感じた私が、
「平成の敗戦」とのタイトルで執筆していたのもこのころです。でも、出版社
は全く無名の私にこのビックタイトルを許してはくれませんでした。題名は
「逆転の借金経済学」(徳間書店1996/07/30 出版)になってしまいました。3
年程をかけた労作です。
バブル経済で大成功をおさめ、バブル崩壊で大借金を背負い、地獄の底を這
いずりながら、逆転勝利で復活できたのは、いったい何なのだろうと思うこと
があります。それは、「団結」と「信用」であると思い至るようになりました。
物心がつく頃から、母親には「人様に笑われるような人間になってはいけな
い」「人様には絶対迷惑かけてはいけない」くどいほど言われ続け、それが道
徳とか倫理なのかなと思いつつ、そのくどさには殆ど僻々としていました。し
かし母が亡くなって10 年以上経った今思うと、人様に笑われるなとか、迷惑
をかけるなというしつけは、単なる道徳でも倫理でもなく、地獄に落ちた時の
「復活のキーワード」だったのです。
私が大学卒業の際、卒業後も就職せずに独立自尊で生きていく旨を話したと
ころ、父親はたった一言「金を積むより信用を積め」とたった一言、言ったの
です。結局のところ、両親の2 言で私は地獄を脱出できました。家族の団結と
世間様の信用のおかげでピンチを生きながらえることがでたのです。
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実務家通信20号

2017年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム
ファクタリングという高利の罠
資金が不足してしまうとつい借入に頼る経営者が多いですね。高利貸しは巧みなわなを仕掛けてきます。こんな工夫が出来るなら考えをまともな方へ使えばよいのにと思ってしまうこの頃です。儲けたいという思考が工夫を生み出すのだと思います。
世の中を良くしたいとか困っている方の役に立ちたいとかに対する思考を持ってもらえれば罠に陥る経営者はいなくなるのにと・・・
以前は「高利」=「闇金」と思っていましたが、「ファクタリング」という名目で金利を謳わず数万円の手数料で売掛債権を現金が出来ると謳っていますが、利息に換算すると「闇金並みの高利」なのです。闇金と違い法人登記もしてありHPも懇切丁寧にファクタリング詳細を説明しています。どうしても!!!
ファクタリングを使う時は利率計算を心がけてください。
「計算方法」簡単です。
売る債権の金額を「A」とします。入金される金額を「B」とします。入金される日から売った債権の決済日までの期間を「C」とします。B÷(C÷(A-B))×365)=年利%
検証)
Aを1,200,000円、Bを980,000円、Cを31日とします。
1,200,000-980,000=220,000 ※名目手数料=利息
220,000÷31≒7,097 ※日割り手数料=日割り利息
7,097×365日=2,590,405 ※年間手数料=年間金利
2,590,405÷980,000≒2.64=年296% ※年利
気を付けよう焦る心と甘い罠
家族の債務を完済したある大スターの言葉
「おばちゃんのおかげです。おばあちゃんはぼくが子供のころから何かあると、おまえはいま試されているんだ。と言っていました。また、荷物が重いのではない、自分の力が足りないのだ、とも言われました。この二つの言葉がぼくを支えてくれたのだと思う。」
人生の3つの坂
「上り坂」、「下り坂」、そして「まさか」
だるまのように生きる
「病を治すことをやめ、病で自分の直す」ことに全力を尽くして十五年、ついに結核を完治した。「どこに投げ出されても、だるまは転がっていく。そして、踏み止まったところですっくり立ち上がる。その重心が重く、低いところにあるからである。人もそうである。どんなところに投げ出されてもよい。行き詰る。止まったところで直ぐ立ち上がる人にならねばならない。そのためには心に徳を積み上げて行かねばならない。力に満ちた、低い、豊かな魂の人にならねばならない」
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第 7 章 消えた6 億円の借金

2017年05月03日 | 著書
「勝って閉じる道もあれば、負けて開く道もある。」小大名の悲哀を何度も
経験した戦国の武将、真田幸村の一族には、こんな言い伝えがあるそうです。
この章は、私の「勝ち戦」と「負け戦」の体験談です。
日本バブルの最中、私が中古マンション問屋業で大儲けしていたことは、前
述のとおりです。大儲けしていると銀行からは大変丁寧に扱われます。ゴルフ
接待や、銀行の迎賓館での接待など、接待漬けにされます。そんな折、銀行の
支店長から、こんな依頼をされたのです。
「社長さん、ご融資したものをすぐ返済されては困るんですよ。当行は金利
を頂くのが目的ですから。」ドンドン借りても返すナと言うのです。今考える
と信じられないような事を銀行の支店長は言っていたのです。
バブルのころは、仕入れた物件をリフォームして売り出すと、1 週間もしな
いうちに売れてしまいます。回転が良いのはマンション転がし業者にとっては
大変良いのですが、すぐ貸金を返済されては金利を稼げない銀行にとっては最
悪の融資先なのです。借りた金を返してもらっては困ると言うのです。
そこで支店長と私は知恵を出し合いました。お互いに良い方法を考えたので
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す。マンションが転売できても銀行からの融資金を返済しない方法です。元金
を返さないで金利だけを断続的に払い続ける方法です。新しい時代には新しい
方法を考える。それが経営です。
銀行には「通知預金」というものがあります。通知預金には金利が付きませ
ん。それを承知で各物件の売却代金は6 ヶ月間以上、預け入れることにしたの
です。その代りに、融資を受ける際、銀行は当方の仕入れ物件であるマンショ
ンに抵当権を設定しないことにしました。日本のどの銀行も、中小企業に融資
をする際は、社長を保証人にした上、物件を担保に取ります。
支店長と私の合意はムダな経費を削減する為です。ムダを省くことは経営の
原点です。そのマンションを担保に入れる代わりに、所有権移転に必要な書類
を、銀行に差し入れることにしたのです。登記済証(権利書)はもちろんのこ
と、所有権移転のための印鑑証明書、白紙委任状、資格証明書(法人の場合は
会社謄本)、評価証明書、などです。
自社名義に「所有権移転」をしないとなると、いろんな費用が浮いてきます。
① 登記料(登録免許税) 物件の固定資産評価証明額により決まる
② 抵当権設定費用(融資金額による)
③ 司法書士の報酬(売買金額によって異なる)
④ 不動産取得税(取得の約半年後課税される)
⑤ 固定資産税・都市計画税・印紙税(所有権発生時より課税)
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⑥ その他、保証料・事務手数料・火災保険料など
不動産は、売っても、買っても、持っていても、税金の塊なのです。所有権
移転に関わる全ての書類を銀行に預けておくと、銀行はいつでも当該不動産を
自己名義にすることができますから銀行は安心です。しかも、売却代金は通知
預金に入っていますから、もっと安心です。しかも6 カ月以上は貸付金利が入
ってきます。ですから銀行にとって融資金は全額保全した上、その金利を取れ
るから2 重に実利があります。
銀行とのこの紳士協定(上記を記した念書は銀行に差入れた)は、私の会社
にとっても実利があったのです。先ほど述べた①から⑥までの費用のほとんど
を払わなくても済んだからです。転売に関わる仕入れコストが要らないのです。
商売の要諦は仕入れにあります。コスト削減にあります。
この手法を「中間省略」といいます。業者間で転売繰り返しても同じ手法を
とっていたのです。全てのムダを省く、それが経営です。
読者の多くの方はこれを脱税ではないか、と思うでしょう。しかし、これは
脱税ではありません。経費がかからない分利益が増えますから、後からしっか
り法人税がやってくるからです。でも、法人税が掛からない手法もあります。
転売しないで賃貸物件にしておけばいいのです。賃料収入以外の転売利益は出
ません。売らないで貸しておくと転売益に対する法人税はやってきません。表
面的な利益を上げないで、資産を増やしておくこともイザという時の為の経営
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術です。
ただ、この手法も限界があります。物件を取得したとき受け取った印鑑証明
書の有効期間は3 か月間なので、期限切れの前に新しいものと差し替えなけれ
ばなりません。その更新の手法もありますが読者の皆さんが不動産屋になるわ
けではないので、書かないでおきましょう。本には書けないことがたくさんあ
るのです。
これまでのお話は、バブル景気のころ私が無茶苦茶に儲かっていて、複数の
都市銀行からチヤホヤされていたころの実話です。20 年経った今ではもう昔話
になってしまいました。
儲けてさえいれば銀行は、もっと借りろ、もっと借りろ、と言ってきます。
事業資金(弊社の場合は物件の仕入れ資金や、内装代金)は、110%融資(関連
諸費用も融資対象でした)ですから、軍資金は全く必要ありません。
でも、銀行からしつこく、もっと借りてください、と懇願されるのです。何
に使ってもいいから、と言う銀行員の隣には必ず系列の証券マンが座っていま
した。ゴルフ会員権屋もいました。天使顔した銀行員が狼をつれて来たのです。
あまりしつこくお願いされるので、都市銀行3 行から法人で1 億円ずつ、個
人で1 億円ずつ、合計6 億円の借金をしてしまったのです。バブル崩壊直前の
ことです。これが大失敗であったと気が付いたのはその翌年のことです。この
借金地獄の底で呻吟していたころ、悩みの中から新世界が生まれたのは信じら
62
れない事でした。
この頃は、都心のマンションは「億ション」から「10 億ション」になってお
り、高騰に次ぐ暴騰に危機感をいだいた私は、マンション転がしを止めていま
した。と言うより買える物件が無くなってしまったのです。ですからとっても
暇だったのです。あまり暇で金があると銀行と悪魔が近寄ってきます。
私の基準では、サラリーマンから買って内装後、サラリーマンに売れる価格
帯をターゲットにしていました。売却価格をなるべく5000 万円以下に設定し
たいと思っていましたが、物件価格はどんどん値上がりし、億ション、10 億シ
ョンになってしまったのです。もう仕入れる物件はありません。つまり、仕事
がなくなってしまいました。仕事がなくなったら無理して仕事を続けないこと
です。仕事を止めることも損しない為の秘訣です。
金はたっぷりあるが、仕事は全く無い。今思えば、大変危険な状況になっ
ていたのです。朝出社して新聞を隅々まで読み、昼寝しても、暇で暇でしょ
うがない状況になりました。そのころは40 歳代前半でして、有り余る体力
の発散場所がなかったのです。
そんなとき悪魔が囁きました。「あんまり暇だから株でもやってみようか。」
もうすぐ日経平均が4 万円にとどくという頃のことです。日経平均が5 万円、
10 万円になるのもそんなに先のことではないと、マスコミも株式評論家も予
言していたころのお話です。
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もうすぐバブルが崩壊するよとか、株価が大暴落するよとか、誰も予言し
ていませんでした。誰一人として言っていませんでした。
いつの世も先のことは誰も解らないのです。この当時バブルという言葉が
ありませんでした。バブルという用語がマスコミに登場したのは、バブル崩
壊後3 年もたってからなのです。これを私は「空白の3 年間」と呼んでいま
す。この3 年の間に、凄いことが起こっていました。バブルなるフレーズが
この世に登場するまでの3 年間をマスコミは現場を知らないから報道しませ
んでした。報道しないから国民誰一人として知りませんでした。
この3 年間で銀行が大豹変したのです。
崩壊するまでのバブル時代の5 年間、ジャブジャブ融資するだけでなく、
土地持ちの資産家にはお願いしてまで借りていただいていた銀行員は、「貸
し剥がし屋」に変身してしまったのです。バブル崩壊後、地価も株価もゴル
フ会員権も大暴落しました。
担保物件が大暴落すると、銀行は融資金の回収係に変身したのです。お客
様が銀行に差し入れていた担保の価値の大暴落を招いた結果責任を全部お
客様に押し付けたのです。担保の大暴落を招いた銀行は一切我関せず責任を
取りませんでした。それどころか、銀行の言うこと(担保物件の任意売却)
に応じないお客には、「差押えだ」「競売だ」と脅し始めました。天使が悪魔
に豹変したのです。
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銀行は天使役だった支店長も担当者も転勤させ、取り立て屋に向いている
行員を前面に出したのです。狼役は私にもやってきました。「持っているマ
ンションを全部売って金返せ。」と言ってきたのです。顔つきも、態度も、
ほとんどヤクザ同然です。金を貸すときは仏面、返せというときは般若面で
す。
銀行には大きく分けて二つの業務があります。「融資と回収」です。世の
中が平常の時は、同一人物が兼務していますが、異常時には分離します。銀
行は長年の経験で、たまに異常時がやってくるのを知っていたのです。
私は貸し剥がしにあったこの時、初めて、「銀行の裏の顔」を見ました。
銀行はこういうときのために、ヤクザみたいな男も雇っているのだと知った
のです。それ以来、銀行員を「ネクタイをしたヤクザ」と言うようになった
のです。
銀行員だけでなく、この長々続く大不況で、日本中にメシが食えない男た
ちが大発生し、東京や大阪などの都会には、刺青を入れていないヤクザや詐
欺師がウヨウヨいます。法律用語を駆使するヤクザや、権力を多用するヤク
ザがウヨウヨいます。コンサルタントを名乗る詐欺師もウヨウヨいます。気
をつけなければ、この世は渡れません。この世は鬼ばかりなのです。
バブル景気で大儲けしていた5 年間は天国のようでした。バブル崩壊して
からの3 年間は地獄のようでした。私は30 歳台から40 歳台バブルの5 年と
65
崩壊の3 年の合計の8 年間で「天国と地獄」を経験したのです。不動産業と
その関連業者にとって1990 年(平成2 年)はバブル崩壊で、天国から真っ
逆さまに地獄へ墜落した年でした。
自分は「勝ち組」から「負け組」に転落してしまったことを実感したのは、
銀行から、6 億の借金を返せ返せ、と言われた時です。貧乏になると銀行は
スグ冷たくなります。金持ちは大切にされ、貧乏人は虫ケラの如く扱われる
との現場を実体験で知ったのです。
マンションの担保価値は日を追って目減りしている最中、マンションを売
って、「貸した金を返せ。」と銀行はしつこく言うのです。この頃、金利だけ
でも毎月300 万円くらい銀行に返済していました。この返済だけでもキツク
なっていたのです。
私はバブル崩壊の1 年半前には、マンション転がしを止めていましたから、
仕入れ準備金としての「通知預金」は空っぽになっていました、そこに出さ
れた大蔵省の「総量規制」のおかげで銀行融資は完全ストップとなり豊富な
軍資金は底をついていたのです。商売は一切できません。早晩行きづまるこ
とは誰の目にも明らかです。
なにせ6 億円の借金があるのです。毎月300 万円の返済ができなくなる日
が、すぐそこにやってくることは明らかです。このころ悩みに悩みました。
一生分悩みました、これからどうなるのだろう。この商売はもう出来なくな
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くなるだろう、そうなったらは俺は何をすればいいのだろう?
深く考えた結果、「自分がブラックリストに載ってしまうことは仕方がな
い。本業はもうダメだから銀行から借りた借金はもう返せないのだから、返
さないことにしよう。自分には不動産の経験と金融の知識があるのだから、
それを駆使して、競売と借金の時効の合わせ技で、この難局を突破しよう。」
と決断しました。地獄で生き残る技を考えていたのです。
この決断をした頃、本を出版しました。「逆転の借金経済学」(徳間書店)
です。バブル経済とその崩壊を、そのど真ん中にいた私が、歴史の証人とし
てこの事件を書き残しておこうと思ったのです。日本中が負け戦の真っただ
中のことでした。負け戦には負け戦なりの戦法があります。生き残り戦術で
す。
この本は思いのほか売れ、全国の図書館にも配本されたようで、借金で悩
む人々が全国から相談にやってきたのです。私は相談者に対し、「親子兄弟
なるべく大勢で来てください、夫婦はもちろんのこと、なるべく保証人さん
も一緒に来てください。関係者一同心をひとつにして困難を突破しなければ
ならないからです。」と借金相談のスタート時点から言いました。身内で責
任のなすり付け合いや、仲間割れをしている場合ではないのです。
借金相談から経営相談まで、もう相談者は1 万人を超えているでしょう。
私はマンション転がし以外でも、学生の頃から約20 種類の商売をやってき
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たし、商売以外でも色々なことをやってきました。このことを書くだけで本
1 冊分になるでしょう。実は次の本のタイトルはもう決まっているのです。
「雇われない生き方と、雇わない経営」です。
高杉晋作の辞世の句が「面白き こともなき世を 面白く」と知った大学
生のころから、わが人生を面白くしようと日々実践した結果、いろいろな商
売、いろいろな活動をし、大変多くの人と巡り合いました。数えてはいない
が、約1 万人の人に出会ったことでしょう。大変面白い半生でした。ですか
ら何時死んでも悔いはありません。
その中でも、天国から地獄へ直滑行で転落したバブル崩壊の体験は、人生
最大のイベントだったのです。競売と借金の時効の合わせ技でこの6 億円の
借金を消して、その体験談を出版したところ、全国から相談者が続々とやっ
てきたのです。この章の最初に記した真田一族の言い伝え、「勝って閉じる
道もあれば、負けて開く道もある。」とは、まさにこのことを言い当ててい
るのでしょう。私に地獄からの生還する道が開けたのです。
金の猛毒である借金を消滅させる手法を相談者に伝授し、中小企業の経営
者には、銀行に依存しなくても経営を継続する手法を実務から指導する経営
コンサルタントとして生きていく道が開けたのです。
相談者から、「バブルが崩壊したのはなぜですか?」と、よく質問されま
す。「それは政府と官僚がペーパー人間で占拠されていたからです。」と言っ
68
ても質問者は殆んど理解できません。政府、官僚、マスコミなど、社会の上
層部を、ペーパーテストにだけ強く、会社経営実務の経験のない空虚な人間
に占拠されていたからです。政府、官僚だけでなく、アホな3 羽ガラスも政
府の扇動隊だったのです。
新聞も政府の広報誌だと思った方が間違いないでしょう。テレビはバカ製
造マシーンテレビと言った方が正確かもしれません。これらの媒体を通じて
国民大衆を洗脳して、富を収奪する勢力が居ることは、どうやら本当かもし
れません。
日本のバブル崩壊やサブプライムローン、リーマンショックユーロ暴落な
どの経済現象を見ていると、何が洗脳する媒体で誰が収奪されているのか、
誰が加害者で誰が被害者なのか疑念は深まるばかりです。
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サービサーを説得して保証人を守った中野さん

2017年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

「ありがとう、と言われた離婚」
健康食品販売を行っていた中野さんは唯一の大口取引先の破綻をきっかけとして資金繰りが出来なくなり、必死の努力の甲斐も無く、それを挽回することが出来ませんでした。そして、とうとう、不渡りを出さざるを得ないところまで追い詰められました。あがいて、なんとか立ち直ろうとする過程で、家族のお金はすべて取り崩し使ってしまって、蓄えは底をついています。親知人など借りられるところからはすべて借り尽くしています。人はどんどん離れていきます。

そんな時「あなた、お話があるんですけれど。」と妻が改まって離婚の話を切り出してきました。「養育費もなにもいらないから、離婚してください。どうかお願いします。」

中野さんは衝撃を受けつつも、しかしこんな状態自分で仕出かしたんだから止むを得ない、だから、「いいよ。」と、男らしく言って離婚届に判をしました。

すると妻は「離婚してくれてホントにありがとう。」と言うのです。
「ありがとう」だなんて・・・〇×△。
妻から離婚してくれといわれ落ち込んでいるその気持ちに追い討ちを掛けるように可愛がっていた子も「悲しそうな顔せず出て行きました・・・とほほほ。」
「私、『ありがとう』と言ってもらえて本当によかったと思っています。『ありがとう』という言葉はいまだに胸にキューンときますが!
中野さんは笑顔でそんな悲惨な思い出を振り返ります。
中野さんの話から元の奥さんに対する深い感謝の思いを感じました。奥さんとの離婚もまた中野さんが実務家として再起の行動を起こすために必要な試練だったことが今はわかっているのです。

しかし彼は何でも自分でやらないときがすまない職人肌の人間で、頑張ればなんとかなるはずだと信念の中野さんはただひたすらに頑張りました。そして頑張れば頑張るほど蟻地獄にはまっていく自分を自覚できないまま、心労のため暴飲暴食の結果体を壊し、ついに倒れてしまいました。
中野さんは入院生活の中で、もう頑張ることができない体になった自分の境遇を素直に受け入れ自然体で生きる決意をします。自分はもう家族も知人も家族などすべてを失ってしまった、と。そのときはじめて残された時間。せめて迷惑をかけた人たちに恩返しをして死んでいきたいと心から思うことができるようになり禿坊主になったのです!

「思い悩むより行動」為せばなる 為さねばな何ごとも
そして保証人になってくれた方に迷惑を掛けないためにはどうしたら良いのか、と考え行動に移しました。人のことを心配するような状況ではまったく無く、本人が自己破産しても良いような状況でしたが、自己破産すれば保証人と親兄弟親戚に迷惑がかかるからと、解決策を求め学び続けました。

中野さんに残っているのは借金まみれの抵当権付きの自宅不動産だけでした。抵当権者は上位が最近まで少額返済していた某銀行。更にその下に債権譲渡されたサービサーの抵当権が付いていました。債権譲渡の抵当権は無剰余状態でした。無剰余というのは下位抵当権者には不動産を処理したところで配当が0のことです。つまりはお金の回収は出来ないという状態のことです。

しかし、このサービサーに債権譲渡された債権には連帯保証人が付いていたのです。中野さんの債権譲渡までは下位抵当権銀行と高額で売却できると交渉していたので保証人に請求が及びませんでした。このままいけばサービサーは連帯保証人から回収を図るでしょう。その人たちに大変な迷惑がかかります。連帯保証人というのは借金の人質なのです。返済できると確信していたので中野さんは連帯保証人にさせてしまったのです。絶対に迷惑を掛けてはいけない中野さんは、そう考えたのでした。

現在では以前の様な第三者連帯保証制度は廃止され、「連帯保証人もガイドライン」が整い問題は減ってきていますが、それでも長年経営していれば家族が連帯保証人として人質に取られているのが現状で更に相続財産には「連帯保証債務」は含まれます。

なんとしても保証人を救いたいと願う気持ちに動かされ、中野さんは、法律や契約は交渉によって凌駕できるものであるということ、それには必要な法律知識に関して詳細に学びしました。そして中野さんは銀行とサービサーを自分で説得する方法を選びました。

事業が行き詰まり完全に資金がショートしてしまった中野さんは既に支払いを止めていますから銀行は相手にしてくれません。そんな状況でも銀行に出かけて行き交渉する勇気が解決へと導きました。

しかし中野さんは勇気を振り絞って銀行に出かけていき、「競売だと連帯保証人に迷惑がかかるので任意売却で手放したい」と説得しました。
その代わり最低でも1番抵当権銀行に納得してもらえる価格で売って見せると言ったのです。さらに「下位の抵当権のサービサーに500万円返済させてください。」とお願いしたのでした。
ワンポイントレッスン :このようにこちらから提案することはとても大切です。怯えていないでどんどん提案し交渉していく。思い悩むより、まず試しに行動してみましょう。このことにより道が開けることが多いということを覚えておいてください。

競売しかないと考えていた銀行は中野さんの申出を受け入れてくれました。
銀行がもしこのまま競売手続きを取れば法的に処理をしていくのですから、サービサーに抵当をはずしてもらう必要はありませんし競売落札金をすべて回収できるのに銀行は中野さんの熱意を受け入れてくれたのでした。

しかし、どっちにしても中野さんにお金が入ってくるわけではありません。銀行がすべて回収してしまいます。では中野さんはなぜそのような提案を銀行にしたのでしょうか。
本当の彼の狙いは別のところにありました。サービサーに500万円返済することが重要
だったのです。

そのお金を、サービサーに返済することによって、連帯保証債務をチャラにしてもらおうと考えたのです。サービサーは債権という商品を債権金額より安く買っていますから交渉次第で残った債権を放棄してもらえるのです。

銀行から500万円をサービサーに返済させてくれという中野さんの提案も虫が良すぎるところもあったかもしれません。しかし、だめもとで受け入れられなくてもいいじゃないですかと腹をくくり交渉をすることが重要なのです。契約は絶対ではないのです。交渉実務で稀有役の問題を乗り越えた経験のある方にはお分かりだと思うのですが、契約書よりも「交渉」の方が力がある。これが真実です。何ごとも交渉の余地はあるのです。そして、実際銀行交渉はうまく行ったのです。

北朝鮮と米国との平和交渉も上手く行って欲しいものです。

ただ、世の中そう甘くはありません。サービサーもさすがに簡単位はチャラにしてはくれませんでした。しかし、中野さんの交渉は実を結びました。銀行から誠意によって500万円を支払へたことによって、残債を放棄してくれたのでした。つまり、他人〔ここでは銀行〕のお金の500万円で、数千万円の残債金額分の返済効果があったのです。中野さんにとってみれば負担の大きさは雲泥に違います。

しかし、「必ずやり遂げる」と自分で潜在意識まで到達するほどに思い込んだ「執念
」が「絶望」の壁を打ち壊し想いを成就させたのです。「絶望」とは脳が勝手に作り上げた妄想だったのです。中野さんは貴重な体験をしたのです。
この話には後日談があります。

中野さんは言います。
「世の中には絶対というやり方とはありません。それどころか世の中は常に変化しています。法律が変わったり、経済状況が変わったりしたら、それに合わせた柔軟な行動をとっていかなくてはなりません。その隙間にこそ、人間ががんじがらめにされている法律、規則、制度、また、様々な契約行為を「破るのではなく創意工夫し、人として真っ当な判断基準で乗り越えること」にチャンスが潜んでいるのです。
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