経営者フォーラム 東京ランド株式会社

借金たっぷり真っ赤な赤字企業でも破産も倒産も夜逃げも無用です。一人で悩んでいないで私たちに相談してください。

借金コロガシ 第 4 章 崩壊の原因を作った「覚える人々」

2016年10月28日 | 著書
バブル崩壊の原因を作ったのは、経済無策の政治家、経済官僚とその指示に
従った実行犯としての銀行にあるのです。そして、不良債権処理の現場を全く
報道しないマスコミにこそ、本当の責任があります。あるいは、報道しないよ
うにどこからか指示されているのかもしれません。この世は分からないことだ
らけなのです。
権力者が打ち出した「総量規制」が契機となって、その後長々と続く不景気、
破産、倒産、競売を招きました。その結果、自殺、失業、犯罪が激増しました。
どこかにこの世の不幸を喜ぶ悪魔がいるのかも知れません。
銀行からは「借金を返せないならば、土地を売って返しなさい。株を売って
返しなさい。生命保険を解約して返しなさい。子供を私立高校から公立高校に
転校させなさい」と強要されました。そして、土地は暴落、株価も暴落。命の
保証さえなくなった国民は銀行の脅迫から脱出する方法を考える人になって
いたのです。
マスコミはこれを未だに、某作家が表現した「失われた10年」を使ってい
ますが、もう「失われた20年」になるのです。マスコミの無能さは、これ一
つとっても理解できます。20 年経っても失われた原因が解らないのです。
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2009 年(平成21 年)正月、オバマ氏がアメリカ大統領に就任すると、その
直後、日本旧政権の首相も財務大臣も相次いで訪米し、オバマ大統領やガイト
ナー財務長官に面会し、「日本には不良債権問題を解決した経験があります。
おおいに参考にしてもらいたい。」と申し入れたところ、こう言われたのです。
「日本の経験は、反面教師として学ばさせていただきます。」
日本のマスコミはここまでしか報道していません。なぜ日本の不良債権処理
の経験は反面教師なのか、分析もその背景も真意も報道していません。たぶん
理解できなかったのでしょう。
彼らは全員「ペーパー人間」になってしまっているからです。教科書や参考
書を覚え、ペーパーテストで優秀な成績を修めたペーパー人間は記憶力が抜群
です。本に書かれていることはよく知っているが、書かれていないことはまる
で解りません。テストには出て来ないからです。
彼等は今現在起きていることや、これから起きることには大変苦手です。教
科書や参考書に書かれていないからです。過去には強いが未来には弱いのがペ
ーパー人間の特徴です。彼らは「過去の囚人」なのです。今現在起きているこ
としか新聞には書かれていないから、ニュースペーパーを書いている囚人(と
らわれびと)は現場を取材しても自分の目にしたことしか現場を知らないので
す。目に見えない本質を考えたり語るのは彼等の仕事ではありません。現象の
み追いかけるのが役割であり仕事なのです。
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困ったことに、この国の高学歴者のほとんどがペーパー人間になってしまい
ました。高級官僚は元より、学者、評論家、ジャーナリストの「3バカトリオ」
もペーパー野郎たちに独占されてしまったのです。ここにこそ、現代日本の悲
劇の原点があるのです。高学歴を得ることが将来を保証してくれるものと親か
ら洗脳されていたからです。今日の悲劇はここから始まりました。
バブル経済がスタートする前は、日本の中小零細企業の総数は、700 万社と
いわれていました。しかし、失われた20 年間で半減し、いまや350 万社にま
で減っているのです。全国各地の商店街はシャッター通りとなり、破産、倒産、
閉店、廃業で、失業者と生活保護世帯の激増を招いているのです。この大不況
の真の原因はどこにあったのでしょう。
犯罪と自殺者も激増し、生活不安と年金不安が蔓延し、老いも若きも夢と希
望をなくしてしまいました。収入も元気も減り続け、失業率と生活保護だけが
増え続けているのです。こんなヒドイ世の中にしたのは社会の指導者がペーパ
ー野郎に占拠されてしまったからです。
この原因は「不良債権処理の失敗」にあることを、日本の政府は気付いてい
ません。大変困ることに、学者、評論家、ジャーナリストの「3馬鹿トリオ」
も気付いていていません。何故なら、彼らは不良債権処理の現場を知らないか
らです。現場の実態を知らない者達がリーダー顔しているのです。
彼らにとって景気を回復するに当たって大切なことは、金融システムの保全
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だと信じています。それは銀行を守ることだと信じ切っています。大蔵官僚の
天下り先を確保しておくことになり、天下り官僚の老後の保善になり銀行さえ
守りきればわが身を守りきれるのです。
3 馬鹿トリオは「下取り官僚」と表現すべきところ、相変わらず「天下り」
と言うから官僚は「自分たちは天上人なのだ」と勘違いしてしまうのです。錯
覚人生を正そうとも思っていません。
官僚にとって我が身の保善こそ最大の関心事であって、お客様の保善ではあ
りません。ここでいうお客様とは、銀行の利用客であり融資先です。官僚にと
って本当のお客様とは下取りの先でなく、自分に給料を与えてくれる国民なの
だとは気付いていません。
いい仕事をしてお客様に喜ばれ、お代を頂くのが自由主義市場経済の原理原
則であり、経営の基本であると何度も書いてきました。
生産の現場、販売の現場に立った経験のない彼らは、お客様に喜ばれるとい
う発想も実感もありません。皆、ペーパー人間になってしまっているのです。
なにせ、ペーパーテストは得意技であるし、ペーパーを作って上司に提出する
仕事ばかりやっていたのです。経営実務の執行は自分の仕事ではないからです。
自由の国アメリカは、市場経済の原点を踏み外すことはありません。国民を
苦しめ、中小零細企業を潰し、生活苦に喘ぐ人々を自殺に追い込む日本の不良
債権処理の手法を「反面教師」として捉えているアメリカ政府、大統領および
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財務長官は、日本の実体を正確に把握しているのです。特にガイトナー財務長
官は駐日大使館に勤務していました。ですから、日本の不良債権処理という名
の銀行の都合優先のデフレ推進政策をよく知っています。
日本のことをよく知らないのは、生産と販売の現場を知らない官僚と「3馬
鹿トリオ」です。皆、経営経験のないペーパー野郎になってしまっているから
です。経済を知ったふりして語っても、経営は語れません。会社経営したこと
がないからです。高学歴の高級官僚は商売や農業を生業(なりわい)としてい
る低級人社会を理解できないのです。たぶん自分達は「エライ」人だと思って
いるのでしょう。おかげで庶民は「エライ目」に合っています。
この頃の業界で大騒動になったのは、「商事留置権」です。例の学者、評論
家、マスコミの3バカ大将たちは、現場を全く知りませんから、これについて
の評論も報道もありません。バブル崩壊の出発点となったこの騒動に触れてお
く必要があります。
今現在、アメリカやヨーロッパで、サブプライムローンやリーマンショック
の後の出口対策として、デフレスパイラルを招いた日本の体験を「反面教師」
としています。オバマ政権には日本の轍を踏まないようにしてほしいとの私の
意図から、商事留置権を少し回顧してみます。
商事留置権とは、銀行、デベロッパー(分譲会社)、建築会社の3 社による
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トラブルのことを言います。銀行が、売って返せ売って返せの貸金回収業務に
力を注いだ結果が、土地相場の大暴落となり、担保物件の担保割れ状況を招き
ました。銀行は自分が蒔いた種で自分が困ってしまったことは既に述べました。
例えば、デベロッパーが銀行から100 億円の融資を受けて、分譲用の土地を
取得したとします。その際、銀行はその土地に100 億円の抵当権を設定します。
融資した日に即、その物件に抵当権を設定するのが銀行のルールです。
デベロッパーはその土地に、建てビルなりマンション分譲なりの事業計画を
立てます。設計会社に設計を依頼し、建設会社に建築を発注します。そして建
設工事が始まります。
しかし完成前に、バブルが崩壊して、地下相場の急激な下落にあわてた銀行
は融資先に担保不動産を売却して返済するよう強要します。銀行は常に自分の
都合が最優先なのです。しかし、売って返せ売って返せの運動のせいで一番困
ったのは銀行自身です。顧客の都合など2 の次なのです。
これこそが銀行の「合成の誤謬」です。銀行は自分の利益の為に最大限の努
力をした結果が自分を最悪の状況に追い込んでしまったのです。担保価値が急
落し、建設のための追加融資ができなくなってしまったのです。デベロッパー
も建設業者も大変困りました。追加融資が受けられないとなると、建設工事は
ストップとなります。
工事が中断となると、デベロッパーも分譲できません。建設業者も請け負い
代金をもらえないとなると、デベロッパーに物件の引き渡しができません。銀
行は常に自分の利益最優先、自分のリスク回避最優先だからです。他人の都合
は後回しなのです。銀行から追加融資を受けられないデベロッパーは施主であ
る分譲会社にドアの鍵も引き渡せません。3 者3 様にニッチもサッチもいかな
い困った状況になってしまったのです。自分の都合最優先でまさしく自己矛盾
そのものです。
貸金回収に入った銀行は、貸金が回収できません。分譲できない多くのデベ
ロッパーは、倒産状況です。建築代金が貰えない多くのゼネコンもバタバタ倒
産していきました。融資先の倒産で不良債権が急増した銀行の破たんも相次ぎ
ました。
そして数え切れない程の銀行がこの世から消えてゆきました。バブルの毒が、
毒を造った銀行自身に回って来たのです。「カネは毒」カネの毒を精力的に振
りまいた銀行がその毒に当たってしまったのです。
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資金繰りお助け隊

2016年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム
ここに来て金融機関の環境が激変したようです。
己の健全性ばかり護るような指導を金融庁から受けていた銀行でしたが、金融庁は銀行に対して己の健全性を護ることより貸付先に対して下記の様に目を向けるような指導を始めました。

【金融庁から抜粋】
金融庁では、担保・保証に必要以上に依存しない融資を促進しています。
「この事業は絶対うまくいく自信がある。でも、担保がないと必要な資金を貸してもら
えないのではないだろうか…」
「新しく事業を立ち上げたいが、個人保証を提供することにはためらいがある…」
このような声に対応するため、金融庁では、金融機関が担保・保証に必要以上に依存する
ことなく、事業者に対し円滑に資金を供給するよう促しています。
事業者の皆様に、金融庁の取組みを知っていただくことで、金融機関と相談する際の
参考になれば幸いです。

C o n t e n t s
P 0 3 : 事業性評価に基づく融資等の促進 ※経営者評価と事業計画を重視した貸付判断になります。 
P 0 4 : 「経営者保証に関するガイドライン」の活用促進
P 0 5 : 「短期継続融資」を通じた運転資金融資の円滑化 ※毎月元本の返済が無い短期貸付「短コロ」と言うらしいです。の再開
P 0 6 : 個別融資に係る検査手法の見直し

つまり、リスケ中でも無担保でも事業性が良ければ借り入れ可能になります。

企業存続の環境が激変したのです。
地域創生で魅力ある事業を見つけ出せばリスケ中でも担保が無くても企業は経営者次第で生き残れるようになったのです。
返せなくなりそうなら、脳に汗をかき魅力ある事業を生み出して借りて返すを繰り返して再興して行く時代になったのです。

日本全国地域と機関により多種多様の貸付が存在しています。
経営者の皆様は懸命に自社に合う貸し付けを見つけ出し生き残りに掛けてみては如何でしょうか。
弊社は微力ながら「資金繰りお助け隊」としてお手伝いいたします。
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借金コロガシ 第 3 章 貸し剥がし屋になった銀行

2016年10月22日 | 著書
あまりの急激な不動産の値上がりに驚いた政府は、これでは公共事業もでき
なくなってしまう、一般国民は住宅を持つこともできなくなってしまうと、不
安になりました。そこでバブル潰しを意図した権力主義的な「大蔵通達」で、
バブル関連産業に対する融資の「総量を規制」をしたのです。そのため、銀行
融資はピタッと止まり、その結果地上げ屋は全滅したのです。バブル時代の終
焉です。
またしても大蔵省の「人為政策」です。不動産屋も建築屋も破産、倒産、夜
逃げ状態になりました。バブル産業全滅です。これがバブル産業だけにとどま
っていたらその後の問題は小さかったでしょうが、東京都心の土地の相場は、
銀行に返済ができない不動産屋の投げ売りに次ぐ投げ売りで、相場はバブル崩
壊後約3 年でピークの20 分の1 の大暴落を招いたのです。
ナント当初の3 年間、「バブル崩壊」という言葉さえマスコミに登場してい
なかったのです。今何が起こっているのか誰にも解からずボーとしている間に
株と土地の資産の値段だけが急落していったのです。
私の旧オフィスは千代田区五番町、市ヶ谷の駅から3 分のところにありまし
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た。バブルの初期に、筋向かいの一戸建ての売買で、非常に親しかった銀行か
ら依頼されて売買の仲介をしました。売買契約書に仲介業者の印鑑が必要だっ
たからです。銀行は法律で不動産の仲介業務はできません。ですから、契約書
を作った私は売買金額を知っています。ナント、1坪5000万円だったので
す。今ではその跡地にカーテンウォールのビルが建っています。このビルの土
地の事実上の地上げ屋は、私ではなく銀行だったのです。
我がオフィスのお隣には、身寄りのないおばあちゃんが一人で住んでいまし
た。バブルが崩壊して3 年ほど経って亡くなり、土地は相続人がいないので国
税庁の物になりました。国税庁は公売(値を付けて売り出す)に出したのです。
ちなみに裁判所が売りに出すのは競売です。
公売ですから売値は公表されますから坪単価は誰にでもわかります。当初1
坪350万円でしたが、誰一人として応札する者がいなかったのです。そこで
国税庁は、公売価格を値下げし1坪250万円にしたところ、生命保険会社の
マンション分譲を業としている孫会社が取得し、今ではワンルームマンション
が建っています。
このあたりのバブル以前の地価は1坪500万円前後でした。バブルの最中
は10倍に値上がりして5000万円になり、バブル崩壊後は20分の1の、
250万円になったのです。5年間で10倍になり、バブル崩壊後の3 年間で
20分の1になった具体的な実例です。ジェットコースター顔負けのアップダ
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ウンです。
大金持ちが大貧乏のドン底にたたき落とされたのです。天空高々と舞い上が
り、その後地面で叩きつけられたのです。これがバブルの生成と崩壊の実態な
のです。この暴騰暴落の中で一般庶民が生き残るのは至難の業です。
この大暴落でビルや土地を叩き売っても残債務を返済できない不動産業者
や商店主の不良債権が激増し、債権者である銀行と債務者双方の頭を悩ませた
のです。そして圧倒的に優越的な立場にある債権者(銀行)は債務者(借金家)
に迫りました。
「社長の持ち家も土地もビルも、全部売って、銀行返済に充当しなさい。」
「仮に全部売っても、残債務全額返済にならなくても、残債務は減少するの
ですから、その後の返済金額は減少しますから、返済が楽になりますよ。」
銀行員は貸付先を洗脳し始めました。債務者は、人生で初めての事態の出現
に悩んで悩んで、法律事務所を尋ねます。でも弁護士は「破産手続きをしてあ
げましょう。破産すると、家は無くなりますが、借金も無くなります。だから
楽になりますよ。」と言うばかりです。
破産して家も生活基盤も無くして楽になった人を、私は見たことがありませ
ん。楽になるどころか、何も無い悲惨な生活が始まるのです。家がなくなるだ
けでなく、夢も希望もない人生が始まるのです。特に保証債務に縛られている
保証人は悲劇です。当人は破産しても、保証人は解放されないからです。ここ
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が一世一代の考えどころです。
楽になりたかったら「銀行の罠、法律の呪縛」から我が身を解き放つことで
す。その為にはどうするか、研究のしどころです。さもなくば悲惨な人生が始
まり、幸せな生活とは縁遠い日々が始まってしまいます。
バブル崩壊から20年、まだ借金に縛られている人が多いから、大不況から
抜け出せないでいるのです。「売って返せ!売って返せ!」の銀行の要求に素
直に応じた借金家たちは、バブル崩壊までは銀行に、「銀行の言うことを聞い
ていれば、何かイイことがあるだろう。」と、金貸しの本性を知らされていな
い国民は銀行員に対し根拠のない信頼感を持ち続けていました。金貸しも金借
りもマジメな人がウリだったからです。マジメな人は疑う心を持ちません。
「バブル崩壊」というフレーズは、バブル崩壊後の平成5 年頃まではマスコ
ミに登場していませんでした。学者、評論家、マスコミも誰も、今何が起こっ
ているのか解っていなかったのです。何がどうなっているのか解らないのだか
ら、打つ手も解りません。本に書いてないことはベーパー野郎達には何もわか
りません。
バブル崩壊の平成2 年(1990 年)4 月から、平成5 年(1993 年)頃マスコミ
にバブル崩壊というフレーズが登場するまでの、「空白の3 年間」に何が起こ
っていたのかを知ることは、バブル崩壊の内容と仕掛け人(銀行)を知る上で
大変重要です。誰も何も解らなかったから空白だったのです。
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この時の内閣総理大臣は宮沢喜一です。この時の日銀総裁は三重野康です。
この二人にはふたつの共通項がありました。東大法学部出身だけでなく、ペー
パーテストに強いペーパー人間だったのです。マスコミから「経済の宮沢総裁」
「平成の鬼平、三重野日銀総裁」とふたつ名を付けられ、賞賛されていたので
す。ペーパー時代を代表する二人でした。
共通項のもうひとつはピントボケした二人の政策です。日経平均も全国の地
価も大暴落している最中に、本来なら4 月2 日に危機を感じて公定歩合を大幅
に引き下げるべきところ、ナント逆に、大幅に引き上げ、平成2 年8 月30 日(年
利) 6.25%に大幅上昇させたのです。このボタンの掛違いからバブル崩壊の悲
劇が始まったのです。
大火事の焼け野原に半年も遅れて到着した消防自動車のようなものです。焼
け出された人々に大量に冷水を浴びせて、大やけどの人々を死に至らしめたの
です。この二人のおかげで日本経済は壊滅しました。ペーパー野郎達の犯罪で
す。そしてその後遺症は20 年後の今日まで続いているのです。この間に自殺
した国民は合計60 万人以上にのぼります。
バブル崩壊で日本の資産市場が大暴落している時、金利を大幅に引き下げる
べきなのに、逆に大幅上昇の準備をしていたのです。そして5 ヶ月後に大幅上
昇させたのです。経済の現場で何が起こっているか全く知らなかった、経営の
現場を知らない政治家も高級官僚も権力という名の堤防に囲まれていたため
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現場が見えなかったのでしょう。
この世から、大時代的で権威を象徴する総理とか総裁なる用語を消し去るべ
きです。でもそのように論じる学者、評論家、マスコミは全くいません。彼ら
は権威的なるものが大好きだからです。権威が欲しいばかりに勉強してきた人
達だからです。
本来ならば、景気が急激に悪化した際には、金利水準を大幅に低下させ、景
気の底割れを防ぐ施策を講じるものです。しかし、マスコミから経済の宮沢・
平成の鬼平と賞賛されていたこの二人は、間逆の政策をとったのです。日本経
済は崩壊し、失われた20 年がスタートしたのも、この二人の「間逆政策」の
愚策が原因です。国民が、政府だけでなく、マスコミに不信感を抱くようにな
ったのはこの頃からです。
バブル崩壊で私のビジネスも一変しました。大蔵通達の総量規制(1990 年、
平成2 年の3 月)で不動産向け融資は全面ストップ、不動産業者はもちろんの
こと、ビルやアパートの建築を目的とした建設業者の土地仕入も全面ストップ
となりました。当然の如く、土地と株価は大暴落です。この大暴落の最中に公
定歩合がガンガン上がっていくのです。もう誰も金利も元金も払えない状況に
なりました。株も土地も投げ売りに次ぐ投げ売りです。
何しろ、東京都心の地価やマンション価格は、バブル生成の5 年間で10 倍
になり、バブル崩壊後の3 年間で20 分の1 に暴落になったのです。不動産業
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者や建築業者の多くは生き残れるわけがありません。バタバタと潰れていきま
した。
なぜ20 分の1にもなったのか、誰もが不思議に思うでしょう。その原因は、
またして銀行にあったのです。銀行は土地建物を担保にして、金を貸します。
保証人も取ります。日銀の総量規制で追加融資が受けられないデベロッパー
(新築分譲業者)も、建てビル業者も、マンション分譲業者も、建て売り業者
も立ち往生です。全ての業者が、破産倒産の危機に直面したのです。
完成していたビルや建て売り物件やマンションや、自己所有物件を市場で売
りに出しました。換金を急げばその時の相場よりも格安にしなければ売れませ
ん。値下げ競争が始まりました。土地も株も敲き売り状態になるのに、総量規
制から1 年もかからなかったのです。
この物件相場の急落暴落の最中、公定歩合を引き上げ経済の引き締めを実行
し、首つりの首をしめ、足を引っ張ったのが経済の宮沢と、平成の鬼平と呼ば
れた三重野日銀総裁です。
バブルはすでに崩壊しているのに、バブル潰しを図ったのです。息も絶え絶
えとしているバブル産業の首を、さらに絞めあげました。その結果、建てビル
業者、戸建て分譲業者、そこに土地を仲介していた不動産業者、ゴルフ会員権
屋など、その他全てのバブル産業に関連した会社は、ほぼ全滅しました。この
時から、長々続くデフレ大不況の種をまいたのがこの二人のペーパー野郎なの
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です。
右肩下がりのデフレ不況の幕が開きました。バブルの最中に大儲けして悪の
元凶と思っていた不動産屋、建築屋がバタバタ潰れていくのを、拍手をしてザ
マーミロと思っていた庶民が、自分までザマーミロ状態になってしまったので
す。デフレ不況の毒が全産業に波及し、全国民が生活苦に苛まれたのです。い
つの世でも、庶民は大儲けしている奴はワルと決めつけていますが、そのワル
の裏には銀行がいたとは思っていません。いつの世もワルには権力の裏がつい
ています。
お金には毒があります。お金は、有れば有ったで、猛毒になります。大金は
人を「傲慢」にさせるのです。バブル景気のど真ん中にいた私は、不動産業者、
建築業者、ゴルフ会員権業者の傲慢ぶりを、たっぷり目にしてきました。全員
が傲慢な成金になってしまったのです。
お金がたっぷりあると、その持ち主の頭脳を低下させます。つまり、バカに
なってしまうのです。金で人を動かし、物を動かしたほうが、智恵で人や物を
動かすよりもずっと楽なので、金は智恵のない人間を生みだしてしまうのです。
金には毒があるとは、このことです。
お金は傲慢と馬鹿の生みの親なのです。
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かつて、西郷南洲(隆盛)が「子孫に美田を残さず」と言ったのはこのこと
なのです。西郷さんは自分の子孫を傲慢な馬鹿にはしたくなかったのです。
逆に飯が食えないほどの貧乏は、智恵者の生みの親なのです。このピンチを
抜け出すには、どうしたらいいのだろうと必死に考えるからです。貧乏は考え
る人を造ります。考える人は知恵者になります。智恵者は金持ちになります。
お金は泥沼にしか咲かないのです。お金は泥沼に咲く白い花なのです。貧乏の
泥沼で苦労した人にしか、金は近寄って来てくれません。
バブル崩壊は、全員が知恵者になるチャンスがやってきました。ピンチはチ
ャンスだ、人生はドラマだ。バブルが崩壊すると銀行は私に、「金利だけでは
なく元金も即時一括して払え」と言い始めたのです。これまで親しかった支店
長はサッサと他の支店に転勤してしまいます。都合の悪いことはすべて前任者
の責任にする為です。
この苦境にあって、私は自宅からオフィスの間を歩きながら「ピン、チャン、
ジン、ドラ」と復活の念仏を唱え続けていました。ピンチを脱出する方法を考
えていたのです。「ピンチはチャンスだ人生はドラマだ」「サァー、これからが
ドラマ作りだ」と脱出のシナリオを作りながら歩いていたのです。
しかし、バブル成金でバブル崩壊をチャンスだと思う人はほとんど皆無で、
バブル紳士、淑女全員全滅の危機に立たされたてしまい誰もが、もうダメだ、
と思ってしまったのです。でもピンチに巻き込まれ悩みに悩んだ、だからこそ
39
チャンスがやって来るとは誰も思わなかったのです。
バブル景気で大儲けしていた仕事も築いた資産も全く無くなってしまい、今
後の生活の見通しが全く立たなくなりました。多くの人はウツ病になり、自死
を選ぶ人も多くなりました。それから自殺者は今日まで激増したままです。
自殺者がこれほど増えたのは歴史上ありません。終戦直後の大混乱期でも年
間約1 万5 千人の自殺者だったのに対して、バブル崩壊後はずっと毎年3 万人
を超えているのです。平成21 年(2009 年)には年間3 万5 千人以上の新記録
を達成してしまいました。日本経済が復活しない限りこの数字は減少しません。
暗い数字を明らかにしたくない政府は、またも、事実を隠ぺいしようとして
います。毎日のように起こる飛び込み自殺による人身事故は、電車事故であっ
て、自殺にはカウントされていません。反対車線の大型車に体当たりしていく
特攻隊自殺も、交通事故であって、自殺にはカウントされていません。毎日毎
日、100 人以上が自殺していきます。この状況で若者に夢を持てと言っても無
理です。子供に明るく元気で育てと言っても無理です。
少子化の原因となっている経済的不安で子供を産み育てる勇気を無くした
若夫婦とともに、将来の生活苦、ストレスで癌になった人々、心臓病、脳血管
障害で病死した人の多くは、金さえ有れば死ぬことはなかったでしょう。経済
的な理由で自死を選んだ人々の悲しみのために、日本の人口が減少していく一
つの原因です。
政府は自殺対策を講じようとしているようです。自殺はウツ病が原因だとし
て、精神科医を中心に対策チームを立ち上げたようです。誠にトンチンカンな
対策です。「ウツ病の真の原因」が分らなければ対策はできません。真の原因
は「カネの毒」にあるのです。
今後の生活の目途が立たない限りカネの毒は消えません。多くの自殺志向の
相談者に、カネの毒の解毒法を具体的に指導してきた私は、ひとりの自殺者も
破産者も出しておりません。カネの問題が解決してしまうと、死にたくなくな
ってしまうからです。全員明るく元気になってしまうのですから、うつ病も治
ってしまいます。必要なのは、精神科医ではなく、カネの毒を消す金の実務家
なのです。「実務は精神を凌駕します。」
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実務家通信13号

2016年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム
伝えたい話、マザー・テレサのひと言
超貧困国での出来事です。路上生活者が生死も分からない生き倒れの状態で転
がっているとマザー・テレサと仲間のシスターたちは、一番死に近い人から順
に抱きかかえ、死を待つ人の家に連れていき、体を綺麗に洗い、温かいスープ
を与え見送るのでした。最後の瞬間くらい人らしくさせてあげたという思いか
らでしょうか。なぜそのようなことをされるのか伺ってみたところ、「生き倒れ
ている方々は、イエスキリストだと」お答えになるのです。マザー・テレサは
更に言葉を続けました。「イエスキリストは、この仕事をしているあなたが本物
かどうか、そしてこの仕事をしているあなたが本気かどうか確かめるために、
あなたの一番受け入れがたい姿であなたの前に現れるのです。」
私達の前に受け入れがたい姿で現れる人々や現象は、我を試す現象であること
に気づけば我の心を受け入れるように省みることで物事が上手く行くようにな
るのではないでしょうか。

サービサーの現状
私個人の件でサービサーへの分割弁済が完了し抵当権解除書類を受け取りました。このサービサーはその後破綻しましたが親会社の支援で助けられ存続したのです。私は信金に担保付きで無理矢理債権譲渡を促し不動産を安く買い戻す計画だったのですが、こ奴(不動産を得意とするサービサー)はこの信金初取引+有担保(当時信金は有担保では売却しない)だったのでご祝儀価格で買ったとのことで、何と債権額の倍で買われてしまいました。(涙)
交渉を何度も繰り返し月々の返済は家賃位の金額にして最後に一括弁済という5年長期計画の和解にこぎつけたのですが、最後の一括はむなしくも叶わず再度交渉を重ね多少の一時金を入れることで、またもや月額は少額で最後に一括分割の3年中期計画で和解出来たのですが
最後の一括が少し遅れたので和解条項の利息免除は適応外と利息を請求されたので、またもや利息を分割で完済しました。情けない・・・
現在、サービサーも企業であるため「不景気」だとのことです。当然ですが事業継続中、不動産所有だと最大限の回収を試みてきます。加えて詐害行為取消訴訟も増えてます。 「事業は生きていくためのエンジン」
“債務圧縮交渉+長期分割弁済実現=事業復活を思慮”
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借金コロガシ 第 2 章 黄金の日々 バブリーな5 年間

2016年10月20日 | 著書
日本バブルとその崩壊も「自然現象」でなく「人為現象」であったこと、「欧
米バブル」も同様、人間の金銭欲が招いたものでした。カネは人間をかくも欲
深いものに仕立て上げました。
日本にバブルが発生したのは「プラザ合意」の年1985 年(昭和60 年)から
で、1990 年(平成2 年)の「バブル崩壊」までの5 年間のことでした。日本に
バブル景気と5 年後のバブル崩壊による大不況を招いたのです。この大不況を
治癒しないうちに2007 年(平成19 年)7 月のアメリカ発のサブプライムロー
ン問題、2008 年(平成20 年)9 月のリーマンブラザーズショックと立て続け
に100 年に一度といわれている「世界大不況」に巻き込まれ、国民生活はます
ます苦境に立たされています。その最中、2010 年(平成22 年)ギリシャ危機
に端を発したユーロ暴落と、ドル安円高で日本経済のピンチは続きます。
販売台数世界第1 位になったトヨタ自動車でさえ、欧米バブルの崩壊、2008
年(平成20 年)で大赤字になったのです。多くの企業は売り上げ大幅減とな
り、リストラと派遣切りが話題となりました。中小企業は次々と破産、倒産、
閉店、廃業に追い込まれ、失業率と生活保護世帯数はウナギ登りの状態です。
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日本バブルは何故起きたのか、日本バブルは何故5 年で崩壊したのか、その
メカニズムと、歴史になってしまっている事実を、バブルを知らない若者たち
に書き残すのは、バブルの生成とその崩壊のど真ん中にいた私の責任であろう
と思います。
ナント私は稀有の体験の持ち主なのです。東京のド真ん中で日本バブルの発
生からその崩壊まで、当事者としてバブル当時5 年間、中古マンション転がし
(転売業)で大儲けしていました。黄金の日々とはアノ時のことでしょう。
大儲けしていると銀行は、本業のマンションの仕入れ代金以外に、「何に使
ってもいいからお金を借りて下さい。」と言ってきたのです。金貸しは金を必
要としない人が大好きなのです。大儲けをしている人に金を貸すと必ず返済し
て貰らえるのと知っているからです。「資金をご用意しますからもっと儲けて
ください」、と銀行は借金を提案するのです。誰もが持っている金銭欲を刺激
すると自行の儲けになります。取引先の儲けに便乗すると、自分の給料も上が
るからです。ミンナがハッピーになる予定でした。
私のケースでは、銀行員は「何に使ってもいいから」と言いながら、隣には
必ず系列の証券マンが座っていたのです。私が「何に使っていいというのは、
ギャンブルや女に使ってもいいのかね?」と質問すると、「それでもいいけれ
ど、出来れば証券投資をして頂きたい」と答えたのです。
銀行って本当に横並びなのだなと、つくづく思ったのは3 つの都市銀行が同
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じお願いをするのです。そして、同じように隣には必ず株屋が同行していたの
です。どんな時も銀行は自分の都合と自分の利益をお客様に押し付ける存在な
のです。「社長個人で1億、法人で1億、合計で2億借りてください」と言わ
れたのです。バブル経済ド真中の頃です。
その当時は大儲けしていたものですから、商品(マンション)の仕入れ代も
銀行借り入れせずに手持ち資金でできていました。でも万が一の時のため、銀
行とは友好関係を築いておこうと思い、お付き合いで本業とは無関係な借金を
合計6億円も作ってしまったのです。
この6 億円の借金が私の転落の元となっていったのです。そしてこの6億円
の借金消滅作戦の経験と、ピンチをチャンスに変えた生き延びる為の知恵が、
私を新しい復活の世界に導いていってくれたのです。
その当時金利は高く、年6%から7%していました。6 億円借りると、金利
だけでも毎月約300 万円になります。年間で3,600 万円です。当初の条件は、
銀行への返済は金利だけでいい、元金は払わなくていいとのことでした。今思
うと、ぞっとする金額ですが、その頃は大儲けしていたし、自信満々で、こう
思ったのです。
「ああそうか、金も労働力のひとつなのだ。1 億円借りると、年間で金利は
約600 万円になる。これは労働者の年俸とほぼ同額になる。6 億円借りるとい
うことは、6 人の従業員を雇うことと同じではないか。大したことではない。」
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と思ってしまったのです。金は人をゴーマンにしてしまいます。
その借金で株式と債券投資をしてしまいました。それも多くをほとんど何も
知らないで、銀行マンと証券マンに勧められるままに、ワラント債に投資して
しまったのです。銀行員を心の底から信じていた当時の事です。
ワラント債のことはよく知らず、研究もしておらず、証券マンから「値動き
が激しくて短期勝負には打ってつけです。」と言われたものですから、「じゃあ
それでいこう。」となったのです。人生を左右する大事件になるとは夢にも思
わなかったのです。満心とは命取りになるほど危険だとは知らなかったのです。
後に気づいたことですが、私はワラント債の証書を見ていません。銀行の金
庫に担保として入っていたのでしょうが、私は確認していません。ということ
は、6 億円の借金も虚構であったのかもしれません。虚構に怯えていたのです。
虚構であったのならば、本当の虚構にすればいいのです。その決意をしたので
す。この決断こそがその後の人生を変えました。天国から地獄に落ちた時です。
そこで、本格的な「借金消滅作戦」に入りました。入らざるを得なかったから
です。
ところで日本にマンションが出現したのは、先の東京オリンピック当時です。
昭和39 年(1964 年)の頃です。私の記憶では、東京赤坂の力道山のマンショ
ン(赤坂リキマンション)が最初ではないかと思います。
この後、次々とマンションが分譲され、その地の名前がマンション名とされ
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ました。新宿では新宿マンション、池袋では池袋マンション、目黒では目黒マ
ンションと呼ばれたのです。これらのマンションも10 年以上たって中古マン
ション市場に出回り始めたのです。
有名な地名が使い果たされると、新宿大京マンションとか、秀和目黒マンシ
ョンのように、地名の前後に分譲会社名をいれるようになりました。このネー
ミング手法も尽きると、名前の前に1とか2とか3とかの数字が入ってくるよ
うになりました。例えば秀和第2 目黒マンションなど、ナンバー付きマンショ
ンが次々と分譲されました。
最初の頃は新築分譲マンションだけでしたが、10 年ほど経つと、中古マンシ
ョンが市場に出てくるようになりました。私は、この中古マンション市場に注
目したのです。この世に無い全く新しい商品ですから、市場参加者が少なかっ
たのです。私の会社も東京で十指に入っていました。事業の成功の秘訣は新し
いマーケットを造ることです。そしてそのマーケットのリーダーグループに入
ることです。
当社も確実に実績を上げ、東京での知名度もあがった頃、「バブル景気」が
始まったのです。好景気と税収増で自信満々となった日本は1985 年(昭和60
年)「プラザ合意」で円安是正の国際圧力を受け、日本政府は内需拡大と円高
政策を受け入れたのです。1 ドル240 円前後だったものが120 円台にまで値上
りしたのです。
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当時の大蔵省は銀行に命じ、不動産屋に地上げ資金をジャブジャブと融資し
始めました。これが世に言う「地上げ騒動」の始まりです。政府はこれが当時
輸出産業を悩ましていた円高対策であり、内需拡大政策だというのです。地上
げ騒動は表には不動産屋がいましたけれども、裏には銀行がいたのです。ジャ
ブジャブ融資で何億円とか何十億円とかの地上げ資金は、銀行の融資無くして
はできません。つまりバブルの仕掛人は大蔵省とその傘下の銀行だったのです。
ジャブジャブ融資の大元は銀行でした。1985 年(昭和60 年)から1990 年(平
成2 年)までの「日本バブル」の5 年間で東京都心の土地もマンションの相場
も、約10 倍値上がりしたのです。どの国も経済対策として不動産に対するジ
ャブジャブ融資から始まります。アメリカのサブプライムローン問題も同様で
す。チャイナバブルも同じ様相です。
自社の商品が短期間で10 倍にも値上がりしたのですから、当時の不動産業
者は大儲けです。不動産業に異業種からどっと参入してきました。魚屋も八百
屋も宅建営業免許を取って、不動産屋になりました。免許の取得のために都庁
を何十周と取り囲んだのはこの頃の話です。
当社も大儲けです。私も高額所得者に入ってしまいました。大儲けしている
となると、銀行からの扱いがすっかり変わります。銀行はそれぞれお客様用の
迎賓館を持っています。迎賓館での接待と支店長車でのゴルフ接待、正月には
本店での頭取および副頭取との名刺交換会、美人コンパニオンのサービスによ
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る新年会など、宴会の招待がやってきます。金があると金貸しからチヤホヤさ
れるのは世の常のようです。
今思うと夢のようなバブルの5 年間でした。この5 年間のちょうど真ん中に
まるでバブルのひと休みのように「ブラックマンデー」がやってきたのです。
日本のバブル景気はブラックマンデーまでの「第1 次バブル」と、ブラック
マンデー以降バブル崩壊までの「第2 次バブル」に分けられます。1 次バブル
と2 次バブルでは、その主役も内容も全く違うからです。1 次と2 次と分けて
考えないとバブルの意味と経済的影響が良く理解できません。
1 次バブルは、アメリカ政府から「円高に誘導して対米への輸出を抑えてく
れないと全日本製品の輸入を制限するぞ」と脅された日本政府が、内需を拡大
しようと、銀行にジャブジャブ融資を命じました。その結果、日本の地価も株
価もガンガン値上がりしました。そして為替もガンガン円高になりナント240
円だった対ドルレートは120 円まで値上がりしましたのです。輸出業者は採算
割れで悲鳴を上げました。政府は緊急経済対策を講じました。それがバブルの
呼び水となったのです。
<用語解説:プラザ合意>
1985 年9 月ニューヨークのプラザホテルで行われた、先進5カ国(G5)の
蔵相、中央銀行総裁会議の為替レートに関する合意。アメリカの対日貿易赤
字の是正がねらい、円高ドル安誘導が目的。
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<用語解説:ワラント債>
新株予約権付社債(しんかぶよやくけんつきしゃさい)は、社債の一種で、
新株予約権を付した社債をいうワラント債とも呼ばれている。
普通社債とは異なり、社債部分の他に、その社債を発行した会社の株式を
決められた一定価格で買い取る権利が付いている。この権利を「新株予約権」
もしくは「ワラント」(権利)と呼ぶ。
<円相場、1985-1990 折れ線グラフ>
そのせいで東京都心の地価は、1985 年のプラザ合意から2~3 年で5~6倍
になりました。ですから日本バブルの「主役は日本政府と銀行と地上げ屋」だ
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ったのです。この頃、初めて「地上げ屋」というフレーズがマスコミに登場し
ました。
1987 年(昭和62 年)10 月におこったブラックマンデーは、日経平均は半年
強で元の値に回復しましたが、ダウ平均は元の値に回復するのには約2 年を要
したのです。このブラックマンデーはバブルのひと休み期間とも呼べますが、
この前と後ではすっかりその性格も様相も変えていたのです。
この回復力の差を見て生まれたフレーズが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
です。日本経済はアメリカをついに追い抜いてしまったのだと信じてしまった
日本人はすっかり傲慢になってしまったのです。バブルは必ず人を傲慢にさせ
ます。アメリカ人も中国人も同様です。
傲慢になった人々は、ブラックマンデーで株価の大暴落を仕込みのチャンス
と捉え、買い向かいました。儲かった金で土地を買い、マンションを建て、別
荘もクルーザーも買い漁ったのです。株屋も不動産も謙虚さを全て失っていま
した。大儲け出来たのは自分の才能だと思ってしまったのです。そしてゴーマ
ン病は国中に伝染していったのです。
ブラックマンデーからバブル崩壊までの後半の2 年半を「第2 次バブル景気」
と呼びます。その主役は「国税庁」でした。仕掛け人は第1次バブルの主役、
地上げ屋から第2 次バブルの主役、税金の取立て屋(税務当局)に変化したので
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す。
1985 年から第一次バブルがスタートし、1990 年4 月2 日バブル崩壊するま
での合計5 年間を「バブル時代」と呼びます。
地価がガンガン上がるものですから、相続税や贈与税の基準となる「路線価」
をガンガン上げたのです。驚いたのは大地主と幹線道路沿いの商店主です。相
続税が何億円も課税されるからです。内紛と廃業の悲劇がいたる所で繰り広げ
られました。
路線価の急上昇をビジネスチャンス到来と捉えたのが、またしても銀行です。
「路線価がこれだけ上昇すると、相続税の納税が大変になります。」
「今から相続税対策を講じておかないと、土地も家も税金で取られてしまい
ます。どんな時でも富は脅迫を呼びます。そして一族を無一文にします。」
この当時、相続税対策が社会的な大ブームとなっていたのです。相続税対策
セミナーが連日各地で開催され、資産家達はあちこちで脅迫されていました。
「お持ちの資産に見合った負債を作っておく必要があります。」
「当行が全面協力させていただきますから、お持ちの土地にビルを建てまし
ょう。マンションを建てましょう。1階は店舗として使い、2階以上はオフィ
スとして賃貸に出し家賃をもらい、最上階にオーナー様一族がお住まいになる
と、入ってくる賃料で当行への返済は十分賄えます。むしろお手元に毎月何十
万何百万と残るでしょう。」
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しかし膨大な相続税を払いたくないばかりに、この銀行の提案に乗った人全
員は、すぐやってきたバブル崩壊による家賃の大暴落で、銀行への返済に行き
詰まり、なんと国税当局に没収される前に、融資を受けた銀行に借金のカタに
取り上げられてしまいました。土地、建物、預金、売上などの全資産を差し押
さえされ競売で処分売りされてしまったのです。銀行の甘言に乗ったバブル資
産家達は全員破産か極貧に転落していきました。命を落とした人も数知れずで
す。
銀行は「貧乏仕掛け人」でもあるのです。銀行は銀行にとって都合のよいこ
としか提案しません。自分に不都合なことは一言も言いません。これが銀行員
の掟の第一です。この事実は誰しも肝に銘じておかなければなりませんし、
子々孫々に伝承していかなければなりません。
この頃、どの銀行でも流行ったのは「空中店舗」です。
通常、銀行の1 階は預金の出し入れ機能とATM を設置する場所です。2 階は
貸付と支店長室と応接室です。これ以外のフロアーや近くのビルの一室を借り
て貸付専門の部屋を設けました。一般客立ち入り禁止で銀行員専用の営業専用
の空中店舗を作ったのです。この部屋の内壁はその支店の営業範囲の航空写真
(住宅地図)がびっしりと貼られていました。銀行員同士でヒソヒソ話ししか
していませんからとても静かです。
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この部屋の目的は各戸の資産と借金調査だったのです。急激な路線価の膨張
と借金状況を把握するためです。路線価図は税理士会館から手に入れ、借金状
況は法務局の出張所(登記所)で不動産登記簿の乙欄を閲覧して調べます。大
事な物件は登記簿謄本を取って融資課長に提出します。大事な物件とは、銀行
の融資対象にふさわしい土地とその持ち主の特定です。
その物件は路線価格が急上昇して、相続税が何億とか十何億とかの課税が予
測される物件のうち、借金が皆無であるか、または少額である物件です。「相
続税破産」の恐怖を教え込むターゲットを探すためです。銀行員に必要な資質
とは、真面目な顔をして洗脳する能力(洗脳は皆、真面目な顔をしてするもの
です。)と真面目な脅迫能力です。(詳しくは銀行の貸し剥がしの章で述べまし
ょう。)
第2次バブル景気の主役は、国税庁と銀行だったのです。銀行と二人三脚の
不動産業者、建築業者も大儲けです。銀行からの借金で土地を買ったりアパー
トやマンションを建てたからです。其の借金こそが相続税から差し引かれると
教え込まれたからです。
その余波は全産業に波及しました。1990 年(平成2 年)4 月2 日の「バブル
崩壊」までのバブリーな日々は合計5 年間のことでした。このころの象徴は「ジ
ュリアナ東京」でしょう。若者はディスコで踊りまくり、年寄りはカネで踊り
まくっていました。
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第 1 次バブルの約2 年半で5 倍に上昇した東京都心の資産価格は、第2 次バ
ブルで10 倍にまで上昇したのです。東京銀座の土地が1 坪2 億円を付けたと
報じられたのが地価のピークでした。バブリーな黄金の5 年間でした。
<用語解説:ブラックマンデー>
1987 年10 月に起こった史上最大規模の世界的株価の暴落。ニューヨーク株式
市場の暴落を発端に世界同時株安となった。損失を限定するプログラム売買が一
斉に作動したといわれていますが、それは結果であって原因ではありません。真
の原因はやはり貿易赤字と経常赤字の双子の赤字にたどり着きます。
<用語解説:路線価>
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不動産の価格には、5 種類あります。実勢価格(相場)のほか、公示価格、基
準値、固定資産税評価額、路線価があります。路線価とは、何メートル幅の道路
に面しているかで決まります。地価公示価格の8割程度を目途にして、国税局長
が定めています。
<用語解説:総量規制>
1990 年(平成2 年)3 月、当時の大蔵省が全ての銀行に対して、不動産業と
建設業に対する融資の総量を抑制するように行政指導した。その結果、日経平均
株価も地価も大暴落を招き、不良債権問題の悪化につながった。
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