歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

北本市・デーノタメ遺跡 県内初の縄文時代の大豆痕跡

2017年02月26日 | Weblog
 縄文時代中・後期(約5000年前〜3800年前)の「デーノタメ遺跡」(北本市下石戸下)の出土品から、当時栽培されていたとみられる大豆の痕跡が県内で初めて見つかった。
 「クルミ塚」から出土した土器の破片の表面に長径約1.2cm、短径約5mmの楕円球形の「圧痕」(植物の種や実を含んでいた小さな穴)があり、形状から大豆と分かった。
[参考:毎日新聞]

<北本のデーノタメ遺跡>県内初、縄文時代の大豆痕跡 栽培管理し品質向上 /埼玉

過去の関連ニュース・情報
 デーノタメ遺跡
 大豆

2016.9.3北本市・デーノタメ遺跡 縄文時代中期の関東地方最大級の環状集落
 北本市下石戸下の「デーノタメ遺跡」で、縄文時代中期の集落が長径約210m、短径約140mの楕円形の規模で、関東地方最大級の環状集落と判明した。ドーナツ状に竪穴住居群、中央に広場があることが確認された。桶川市の直径約200mの環状集落を持つ高井遺跡などを上回る規模となった。
 縄文後期の大規模集落(長径約170mの半円形)が東側に隣接していたことも新たに分かった。
[参考:2016.8.23埼玉新聞、産経新聞]


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伊勢原市 西富岡・向畑遺跡 21,000年前旧石器時代の調査成果などの現地見学会(5/12)が開かれる

2012年05月11日 | Weblog
 西富岡・向畑遺跡(伊勢原市西富岡)は富岡丘陵の西側から南北約2kmに広がる遺跡で、2007年4月より発掘調査を開始し、これまでに旧石器時代、縄文時代、古墳時代~奈良・平安時代、中世の集落などが発見された。
 今回の調査では、およそ21,000年前の旧石器時代の遺構から約800点の石器・礫などが出土し、縄文時代の水場遺構からは木組が見つかった。
 12日(土) 10:00~11:30と13:30~15:00に、現地見学会が開催される。(雨天の場合翌日に順延)
[参考:2012.5.11毎日新聞、2012.5.3 読売新聞、2012.2.24、かながわ考古学財団HP]

過去の関連ニュース・情報
 2011.9.28西富岡・向畑遺跡 大豆の出納に関する古代木簡が出土
  奈良から平安時代の木簡が出土
 2010.2.19西富岡・向畑遺跡 4000年前の漆塗り土器が出土 2/20現場見学会
  縄文時代4000年前の水場遺構から赤と黒に塗り分けた壺型の漆塗り土器が出土
 2008.8.10西富岡・向畑遺跡 粘土の塊や板を帯状に並べた特殊な遺構発見
  縄文後期の層から粘土の塊や板を帯状に並べた特殊な遺構を発見
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都城市・王子山遺跡 縄文時代草創期、最古の食用植物遺物を発見

2012年03月27日 | Weblog
 宮崎県都城市教委は26日、同市山之口町花木の王子山遺跡から、約1万3000年前・縄文時代草創期のネギ属の鱗茎(りんけい、地下茎の一種)とドングリの炭化物、土器についたツルマメの圧痕が見つかったと発表した。 食用植物の遺物としていずれも国内最古で、当時は氷河期が終わって気候が暖かくなってきた時期に当たり、植生の変化に対応した縄文人の生活様式がうかがえる。
 山之口小校増改築工事に伴い、2010年11月~11年3月に約280㎡を調査し、縄文草創期~早期(1万1000~7000年前)の集落跡を確認した。火を炊いた跡とみられる炉穴約30カ所の周辺から植物の炭化物が見つかり、これらは、1年をかけて、熊本大学、国立歴史民俗博物館などに分析を依頼していた。
 分析の結果、ドングリ53点、ネギ属の鱗茎68点を確認し、放射性炭素年代測定で、約1万3000年前と判明した。 土器の圧痕も、大豆の原種とされるツルマメの跡と確認された。 遺跡からは石皿や摺り石のような加工具が大量に見つかっており、野草や豆類を擂りつぶしていたと考えられるという。
 ドングリは鹿児島県・東黒土田遺跡で出土したものが最古だったが、ほぼ同じ年代。 ネギ属の鱗茎は宮崎県・別府原遺跡(びゅうばるいせき)、ツルマメは長野県・山の神遺跡の土器の圧痕がいずれも縄文早期で最古だったが、これを大幅に遡る。
[参考:読売新聞、NHKテレビ、UMKテレビ宮崎共同通信、時事通信、毎日新聞]

最古の食用植物を発見=縄文のネギ、マメも―宮崎(時事通信) - goo ニュース

過去の関連ニュース・情報
2011.3.6 都城に縄文草創期の集落、竪穴式住居跡など出土
 都城市教育委員会は、王子山遺跡から、縄文時代草創期(約1万2000年前)と、縄文時代早期(約9000~7500年前)とみられる竪穴住居跡や土器が見つかったと発表した。 県内で縄文時代草創期の集落跡が確認されたのは、上猪ノ原遺跡(かみいのはるいせき、宮崎市清武町)に続いて2例目。
 草創期の集落跡からは、長径2・2m、短径1・5mの竪穴住居跡が確認され、土器の破片や、黒曜石が見つかった。
 近くには火を起こして調理したとみられる配石炉(はいせきろ)があり、中央部には何かを焼いた後の炭化物もあった。
 穴の中に焼いた石を入れ、葉でくるんだ肉を蒸し焼きにする集石遺構の跡もあった。
 氷河期が終わり、暖かくなった1万2000~1万年前頃、日本列島南部の海岸沿いから人が定住するようになったとされている。
 3月中旬まで調査され、校舎を建てるため、埋め戻されるという。 [参考:2011.3.6読売新聞]

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伊勢原市・西富岡・向畑遺跡 大豆の出納に関する古代木簡が出土

2011年09月28日 | Weblog
 伊勢原市の西富岡・向畑(むこうばた)遺跡から、大豆の出納に関する奈良から平安時代の木簡が新たに出土した。県内での古代木簡の出土例は6例目となる。
 木簡は縦8・5cm、横2cm、厚さ2・5mm。表には墨書で「風山大豆五」と記載されている。(裏は判読不能) 大豆の出納に関する記録や帳簿の一部と考えられ、周辺で大豆が生産されていたことを示す手がかりという。
 当時、大豆が5斗単位で扱われることが多く、後ろに『斗』が続くのではと推測している。
 今回の木簡の発見は、統括する役人的な人物の存在を示すものとし注目される。
 10月8日午前9時~午後17時、かながわ考古学財団発掘調査成果展示会[神奈川県埋蔵文化財センター(横浜市南区中村町)]で公開される。 11月12日に第2回が開催される。 なお、同日同場所で成果発表会も開催されるが、こちらは往復はがきあるいはメールによる申し込みが必要。(先着順) 河原口坊中遺跡(弥生・海老名市)・下馬周辺遺跡(中世・鎌倉市)・石橋石丁場群(近世・小田原市)、ほか全19遺跡の発掘調査成果発表が行われる。
[参考:産経新聞、(公財)かながわ考古学財団HP]

過去の関連ニュース・情報
 2010.2.19 西富岡・向畑遺跡 4000年前の漆塗り土器が出土 2/20現場見学会
 2008.8.10西富岡・向畑遺跡 粘土の塊や板を帯状に並べた特殊な遺構発見
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