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鎌倉・汐まつり

2015-01-11 15:06:10 | 鎌倉巡り
鎌倉・材木座海岸で毎年1月11日に「汐まつり」が開かれる。
会場は、鎌倉駅から徒歩で20分ほどのところで、目の前には鎌倉時代の港「和賀江島」がある。
残念がら潮の加減で今日は見られなかった。潮が引いていれば、200メートルほどにわたって巨石の石積みが見られ、往時の姿を偲ばせるのだが。
  
汐まつりは、もともとは地元漁師が、豊漁祈願、海上安全祈願をするための祭であったが、漁師の数が減少してしまったことで、五所神社が引き継ぎ、新春行事として継承されている。
     
汐まつりは天王謡(てんのううた)の奉納から始まる。
この謠は材木座が、「和賀」と呼ばれた鎌倉時代、源頼朝が鶴岡八幡宮を造営(1180年)、再建(1191年)の際に伊勢から木材を和賀江島で陸揚げしたのだが、その時に伊勢の職人が仕事唄として歌っていた唄が現在に受け継がれ、天王謡と称し神事や祝い事の席で歌われている。
   祝いますぞえ 氏神様よ アーラヨイ  氏子栄えて ヤレコラー  宮繁る オモシロヤ
この謡は、鎮守様にお参りし神々を大切にすることによって、氏子はご加護を受け繁栄するという祝唄であるそうだ。
天王謡の奉納は続けて3座唄われる。
 
 
                
祝詞の後は鎌倉神楽が奉納される。
神楽は、別名、湯立神楽、湯花神楽ともいわれ、笛、太鼓で音頭が取られ進行して行く。
 
 
 
           

最後は、赤い面(天狗)と黒い面(山ノ神)をかぶった舞で終わり、ミカンが投げられる。
 
 
 
ミカンは神楽が終わったあとも全員に3個づつく配られた。ひとり3個と指示されていたが、3という数に意味があるのだろうか。

引き続き、神官によって、正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを積み上げてたどんどん焼きに火がつけられた。
この汐まつりは初神楽とどんどん焼きが一緒の行事になっていることが面白い。
  
 

また、鎌倉の西側の海岸・坂の下海岸でも同日、同時刻に汐まつりという神事が行われている。但し、こちらは神楽は行わないようだ。鏡開きという日に行われる神事が、鎌倉の海岸の2か所で行われることは何故なのだろう。
          超望遠で写す
汐まつりの主催が五所神社と知って、少々遠回りになったが、神社にお参りした。
五所神社は、明治末、もともとの三島神社の地に、諏訪神社、八雲神社、金毘羅宮、見目(みるめ)神社の四社を合併して五社神社と改名した材木座一帯の鎮守である。
 
境内には1262(弘長2)年の銘がある「不動種子(しゅじ)板碑」が完全な形で保存されている。この板碑はもとからあった訳ではなく、廃寺になった感應寺から五所神社創建時に移設したという。
このほか、摩利支天像、隠れキリシタンのお春像や庚申塔群などが並んでいる。
      
また、1847(弘化4)年に奉納された神輿(元諏訪神社所有)をはじめ3基が保存されている。
                    
神社の説明によると、この地方では、神輿を天王さまと呼んでいる。そして、天王さまを担ぐ際に天王謡が唄われていたといい、謡の一説には、
   来たらごらんよ諏訪社の神輿 八咫の鏡に 八咫烏
とある。
       

今日の富士山
          
まつりが終わるころには、雲に隠れてしまっていた。

陽春の空に泳ぐ
 

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