あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

今日の大倉尾根 10.08.29

2010-08-30 22:28:40 | 丹沢大倉尾根
今日の丹沢からの富士山

残念ながら今日の富士山はこれ一枚
湿度が高くてお昼近くには見えなくなって夕方5時過ぎまで頑張ったが現れなかった


今日の表尾根
富士山が見えないので反対側の表尾根を写す

西日を浴びた表尾根

今日の駒止茶屋
 
駒止山頂会メンバーの手で布団を干していた  折り目がはっきりわかる真新しい「営業中」ののぼり旗


暑くても
登山道を後ろから吹き上げる風
斜め前方より谷間から吹き上げてくる風
その風が心地よく感じた

そろそろ我らの番だ
秋がささやいている
そんな今日の風だった
丹沢の秋もすぐそばに
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わが家の富士山ハイク

2010-08-28 11:14:14 | 富士山


北口本宮冨士浅間神社
  北口浅間神社の歴史は古く現在の位置に社殿が築かれたのは今からおよそ1200年前だと云う
  戦国時代以降この神社が富士登山への吉田口の起点となっている

  山開き前日の6月30日登山道入口の鳥居に張られた注連縄(しめ なわ)を切る
  「お導開」がこの神社で行われ7月1日の「お山開き」となる


老杉古檜がうっそうと繁る参道 この参道前方が旧鎌倉往還が通り昔を偲ばせる


高さ17.7mの朱塗りの四脚鳥居と山門 苔むした灯篭は歴史を感ずる


鳥居の奥には神仏習合の山門がある
山門の両脇は金剛力士ではなく左・右大臣だろうか資料不足で不明だが武士像が安置されていた


参拝した翌日8/26に行われる吉田の火祭り(鎮火大祭)の松明(詳しくはクリック)
これは北口本宮冨士浅間神社と境内社諏訪神社の秋祭りであると同時に「お山じまい」の祭りでもあるそうだ

馬返し
  富士山信仰の起点と云うべき場所
  ここから先は馬では行けぬほど道が険しく馬を返したと云ういわれからだ
  馬を下りた登山者はここにあった茶店で休憩し身支度を整えた


昔は茶店があってこんなに賑わったのかと驚く 今や富士山信仰者の夢の跡だろうか


吉田道は富士山の歴史が山積している
江戸後期 千を超す富士講があったとされる その推定登山者は1シーズン1万人にも達すると云うから当時としたら驚きだ

 
「大願成就」等の石碑群と富士守稲荷の祠


古来 ここから先は富士山の聖域とされていた
鳥居の下では正座し富士山を拝んだとされる


鳥居は文政9年と云うから200年近く前の建造 鳥居の前には曰くあるお猿一対がお守りしている


禊所
  大正期頃より山頂に向かう道者(信仰のために登山をする人)はここでお祓いを受け身を清めた          




一合目 鈴原社
  鈴原社は密教の最高仏である大日如来を祀り 古くは大日堂 大日社 大日如来社などと呼ばれた
  富士山の神である浅間明神は仏に例えると大日如来であると一合目に祀り登山者に知らしめている


一合目鈴原社 正面より登る道も残っているが現在は左手からが正道

 


一合目の石碑群

 
(左)海抜五千三十五尺と刻んである 尺貫法ではピンとこない 1,520mなのだろう
(右)至る二合目十丁十間と刻んである こんなに細かな距離は何処を指すのか


二合目 御室浅間神社      
  富士山の神である浅間明神を祀り1300余年前に創建した富士山周辺では最古の神社と云われる
  戦国時代の武将武田家の祈願所として崇敬が厚かった
  桃山時代の豪華な建築様式の本殿だが1974(昭和49)年に河口湖畔に移築した

  江戸時代まではここからは女人禁制であった

 

 

 
二合目の石碑群と石像  右の石像は宝永の年号が読み取れた 300年前お犬将軍徳川綱吉の時代だ 古いねエ




三合目 中食堂
  江戸時代から茶屋が二軒なのに三軒茶屋と称されている
  また中食堂とも呼ばれるのは 早朝に富士吉田を発った道者たちがここで昼食を取ることが多かったからだと云う
  茶屋の傍らには道了 秋葉 飯綱の三神を祀った三社宮と称する社があり石碑が残っている



 

 
看板 見晴台 三合目 やきいん の文字が読み取れる


    

四合目 大黒天
  四合目には茶屋(山小屋)が1軒あった
  茶屋には古くから大黒天像が祀られていたことから大黒室 大黒小屋と呼ばれていた
  大黒天は福の神として富士講の人々に信仰され茶屋では木版で刷った大黒天を授けたと云う


四合目 大黒小屋の絵

 


大黒天像は里に下ろされ茶屋は跡かたもない




アクシデントで今回は目標の五合目までは登る事が出来ずリタイア 残念


スバルライン五合目
  富士山に来たのだからせめて五合目の空気を と車でここまで上がった
  スバルラインは1964(昭和39)年に完成 40年以上の古い歴史がある


富士山の歴史の碑
これによると成層火山の寿命から富士山は現在20歳前後で最も美しく神々しい輝きがあるとされている


ふじ山の歌碑
あたまを雲の上に出し 四方の山を見おろして かみなりさまを下にきく 富士は日本一の山
                       

真正面の富士j山頂を指さすカップル登山者


富士山五合目銀座


山頂に続く登山道入口  次々に登山者が帰ってきていた


富士山山頂を写す  暫くチャンスを待っていたが雲は切れなかった    なのに車に乗って帰るときに晴れる 車中で撮る

            
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二ヶ領用水久地円筒分水

2010-08-14 17:21:56 | わがふるさと
川崎市の南北流れている二ヶ領用水のシンボル的存在 「久地円筒分水」を巡った               
               
                「久地円筒分水」全景

二ヶ領用水は徳川家康の命を受け小泉次大夫が14年をかけ完成させた全長32kmの用水で別名「次大夫堀」と云われている

               

二ヶ領用水とは橘樹郡稲田領と川崎領を指しそこを流れる用水でありこの用水の恩恵によって上質の「稲毛米」を産した
この米は徳川三代将軍家光も食したと云われる

        
        奥方左の久地堀  右の六ヶ村堀  手前の根方堀の3堀に分かれる        分水された川崎堀

久地円筒分水はサイホンの原理を利用して灌漑面積の割合に応じて4つの堀に分水している
完成は昭和16年で当時は画期的な手法であったそうだ

            
             二ヶ領用水 久地円筒分水図

これより前は堰が設けておらず水争いがあったとか
そこで完成した100年後あたりで竹かごに石を詰め堰を設け分水をしたが洪水の度に流れていた(久地分量樋)
それでも水は農民の命であり水争いは絶えなかったと云う

               
                右手の二ヶ領用水と平瀬川が合流

               
                川崎堀 綱島街道「川崎市平和館」付近

水争いは各地で発生しているが「器は神奈川 水は静岡」と云う芦ノ湖の水争いを社会科で習ったことも久しい

                    
                大師堀 二ヶ領用水が鶴見川北岸一帯に流れる町田堀と別れた後の鹿島田付近

               
                下平間用水絵図

水の配分で信玄が築いたとの伝説で「三分の一湧水」がある
戦国の世で水争いが絶えなかった3つの村へ堰の中に三角柱を置いて等分に水を配分したとしてその堰が残っている(3年前に訪れた)

               
             山梨県北杜市長坂町の「三分の一湧水」 八ヶ岳南麓高原湧水群で日本名水百選に指定

今や当初の農業用水の目的は終え市民の憩いの場 散策路となっている
来年は この用水が完成して400年がたつ TVK朝の番組でも取り上げていた
この節目の時期に近々二ヶ領用水の沿堀を散策してみたい

               
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3週間ぶりの大倉尾根

2010-08-10 16:16:38 | 丹沢大倉尾根
今日 8月8日の富士山

                     前場トンネルを抜けると富士山が大きく広がる
                曇りながらも今日の富士山はテッペンまで丸ごと見える富士山だ


             
              "高原山の家"手前で眺めた富士山 テッペンが見えている

             
       今日はテッペンまで見えると富士見まで勇んで出張ったが富士山のテッペンは残念ながら雲がかかっていた
                  

        せっかくなら丸ごと富士山を載せたいと思い
        "俺らの山歩き"さんに提供を依頼したら今日の富士山はないが前日の夕焼けの富士山ならあると云う
        それは夕焼けをバックにした美しい富士山だ その"俺らの山歩き"さんの富士山(クリック)をご覧あれ



点名"一ノ沢"三等三角点
  TVで剱岳の点の記が放映されたので久々に三角点を訪れた 三角点は草に覆われてはいたが今回は戸惑うことなく探し当てた

             
              "一ノ沢"三等三角点は草に埋もれていた
  2001年5月のの国土地理院調査では不明と表記されているがこんなに草に覆われていては知る人ぞ知る状態になってしまうのだろう

             
             地面と草に隠れた一ノ沢三等三角点

                
                広角でカメラを向けると「三等三」までが読めたがあとは地の中だ

                    暑さも一息ついた日曜であった
                一本松の登山道では心地よい風が吹き抜けていた
             暦では初秋になったのだがこのまま酷暑がなくなるとは思えない
コメント (1)
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