今回の「葉山・一色から堀内の海岸通りを歩く」は、御用邸近くからスタートし、県道207号線の周辺を歩きながら逗子市渚橋までを北上するコースである。(葉山公園通りは国道134号線)
●下山口神明社
由緒は、
『1704(宝永元)年に現在地の伊勢山に祭祀される。御神体は衣冠束帯姿の木像で、長者ヶ崎の海中より引き上げられた。
元の名主 沼田八右衛門が村に悪い病気が流行り病魔に倒れる人が多いのを憂い、悪疫退散を天神地祇に祈願し、その満願の夜、白衣の老翁が枕頭に立ち現れ「爾吾を念ずること久し、洗心の懇祈により悪疫退散心身安泰疑いなし」と仰せになり、長者ヶ崎の方へと去って行った。八右衛門が翌朝その跡を訪ねて長者ヶ崎に行くと、海上に木片が漂流していて引き上げてみると、それは衣冠束帯姿の御神像であった。
御神像を現在地の伊勢山に奉安したところ、御神徳により悪疫は忽ち退散し村は無事平穏に復した。』
と、ある。なお、「伊勢山」の地名は、「天照皇大神宮」=「お伊勢さま」から伊勢山と命名されたものと思われる。
参道入口の階段脇に祀られている2mを超すと思える庚申塔はみごとである。
平成7年に落雷によって落雷で本殿が全焼してしまい、そのせいで神明社を守ってきた人達の気持ちが随分沈んでしまった。そこでみんなの元気が交流する場所にと「あさいち」が毎月第1日曜日に開催されている。と地元の方のブログに書かれていた。
●葉山御用邸
イタリア公使・マルチーノ、ドイツ人教授で皇室お抱え医師・ベルツの勧めで一色打鯖(うつさば)に御用邸が造立。
昭和天皇はここで皇位継承し、昭和が始まった。生物学者としての昭和・今上天皇のご研究も葉山の海がフィールドとなっている。
●玉蔵院(真言宗)
奈良の東大寺別当良弁(ろうべん)僧正の開基で1250年以上の歴史を持つ葉山町最古の古刹。
海の近くであることから、恵比寿さまが祀られている。(湘南七福神)
境内にある庚申塔は、1665(寛文5)年で、町内最古とされる(左)。
宝篋塔は、1775(宝永4)年造立で、地元では「ほうき星さま」と呼ばれている。造立当時接近したハレーすい星の関連か。右の祠は熊野、秋葉、金毘羅の三権現を祀っている。
●森山神社
創建は749(天平勝宝元)年で、1300年近い歴史を持つ神社で、奇稲田姫(くしなだひめ=櫛名田比売)が祭神。
33年ごとに催される行合(ゆきあい)祭は、逗子市小坪の須賀神社の須佐之男命(すさのおのみこと)が妻のもとに訪れ「夫婦水入らずの」一時を過ごす形で執り行われる珍しいもので、町重要文化財・無形文化財になっている。近年では1996(平成8年)に三十三年大祭が行われている。なぜ33年ごとに催されるか、理由は不明。
●桂太郎別荘跡
日露戦争前後には、政府要人による重要会議が別荘を中心に度々開かれている。司馬遼太郎原作「坂の上の雲」でも「葉山会議」と称して登場している。
県道沿いのレストランの塀に「桂太郎別荘・長雲閣跡」の案内が掛かっていた。が、
私が聞いた話では、県道から少々入った建物である。
下の写真は、「長雲閣こみち」と、中央に建物が写っているが、その建物が、数年前まで桂太郎別荘とされていた。しかし地元歴史家よると、ここではなく、向かい側の建物ががそうだと変更になった。
今回、その住所に行ったが古い建物は見当たらなかった。
●しおさい公園
旧御用邸附属邸あと。
御用邸附属邸で崩御された大正天皇に代わって昭和天皇が皇位継承されたのがこの地で、昭和の元号はここから始まった。正門前に昭和天皇皇位継承の碑がある。
●engawa cafe&resraunt
ちい散歩で地井さんが立ち寄って、至福の一時を過ごした店である。
築80年以上している、昭和天皇の主治医の別宅だとか。この地域は先ほどの桂太郎の別荘といい、元別荘が多く建ち並んでいてツアーを組んで歩くグループもある。
●現役の円柱ポスト
ちい散歩で「本当に見られなくなってきたが、妙に可愛く感じる。色といい、形といい、痛み具合といい。」と地井さんが感心したポスト。
今回、遠方からポストに貼り紙があるのが見えたので、「現在使われておりません」の貼り紙と思ったが「ペンキ塗りたて注意」だった。まだまだ現役で頑張るのだな。
●小村寿太郎終焉の地碑
「蓬莱こみち」の手前の路地を入る。奥に建つ、民家のこんもり茂った松の木の下に碑はあった。見つかりにくい。
日露戦争後のポーツマス条約の立役者、小村寿太郎が退任後3ヶ月の療養生活を送り、亡くなった借家の門脇に、故郷宮崎に向ってたっている。
●ワカメ漁
県道134号線から海側の道に入り、真名瀬という所から富士山を眺めた。時期であればしらす干しの作業をしているはずである。
現在は、ワカメ漁が盛んのようで、釜でゆでたワカメを洗濯バサミで挟んで干している光景が見られる。ワカメ漁は2月から解禁、しらす漁は3月11日に解禁という。
訪れた前後の日は雨模様、中1日の晴れの日に、富士山を三ヶ下海岸付近で眺めることが出来た。
とても温かく感じられ、皇族の別荘地に薦めたことが、よくわかる。
葉山5時間半の散策は、ボリュームが大きくなってしまったので、2つに分けた。後編の『堀内編』をお楽しみに。
●雛段飾り
病院内で飾られていた。季節ものなので写す。
この病院、全てにゆとりがあって段飾りが置けるのだ。
資料:葉山を歩こう4 一色 葉山まちづくり協会
ちい散歩 テレビ朝日
●下山口神明社
由緒は、
『1704(宝永元)年に現在地の伊勢山に祭祀される。御神体は衣冠束帯姿の木像で、長者ヶ崎の海中より引き上げられた。
元の名主 沼田八右衛門が村に悪い病気が流行り病魔に倒れる人が多いのを憂い、悪疫退散を天神地祇に祈願し、その満願の夜、白衣の老翁が枕頭に立ち現れ「爾吾を念ずること久し、洗心の懇祈により悪疫退散心身安泰疑いなし」と仰せになり、長者ヶ崎の方へと去って行った。八右衛門が翌朝その跡を訪ねて長者ヶ崎に行くと、海上に木片が漂流していて引き上げてみると、それは衣冠束帯姿の御神像であった。
御神像を現在地の伊勢山に奉安したところ、御神徳により悪疫は忽ち退散し村は無事平穏に復した。』
と、ある。なお、「伊勢山」の地名は、「天照皇大神宮」=「お伊勢さま」から伊勢山と命名されたものと思われる。
参道入口の階段脇に祀られている2mを超すと思える庚申塔はみごとである。
平成7年に落雷によって落雷で本殿が全焼してしまい、そのせいで神明社を守ってきた人達の気持ちが随分沈んでしまった。そこでみんなの元気が交流する場所にと「あさいち」が毎月第1日曜日に開催されている。と地元の方のブログに書かれていた。
●葉山御用邸
イタリア公使・マルチーノ、ドイツ人教授で皇室お抱え医師・ベルツの勧めで一色打鯖(うつさば)に御用邸が造立。
昭和天皇はここで皇位継承し、昭和が始まった。生物学者としての昭和・今上天皇のご研究も葉山の海がフィールドとなっている。
●玉蔵院(真言宗)
奈良の東大寺別当良弁(ろうべん)僧正の開基で1250年以上の歴史を持つ葉山町最古の古刹。
海の近くであることから、恵比寿さまが祀られている。(湘南七福神)
境内にある庚申塔は、1665(寛文5)年で、町内最古とされる(左)。
宝篋塔は、1775(宝永4)年造立で、地元では「ほうき星さま」と呼ばれている。造立当時接近したハレーすい星の関連か。右の祠は熊野、秋葉、金毘羅の三権現を祀っている。
●森山神社
創建は749(天平勝宝元)年で、1300年近い歴史を持つ神社で、奇稲田姫(くしなだひめ=櫛名田比売)が祭神。
33年ごとに催される行合(ゆきあい)祭は、逗子市小坪の須賀神社の須佐之男命(すさのおのみこと)が妻のもとに訪れ「夫婦水入らずの」一時を過ごす形で執り行われる珍しいもので、町重要文化財・無形文化財になっている。近年では1996(平成8年)に三十三年大祭が行われている。なぜ33年ごとに催されるか、理由は不明。
●桂太郎別荘跡
日露戦争前後には、政府要人による重要会議が別荘を中心に度々開かれている。司馬遼太郎原作「坂の上の雲」でも「葉山会議」と称して登場している。
県道沿いのレストランの塀に「桂太郎別荘・長雲閣跡」の案内が掛かっていた。が、
私が聞いた話では、県道から少々入った建物である。
下の写真は、「長雲閣こみち」と、中央に建物が写っているが、その建物が、数年前まで桂太郎別荘とされていた。しかし地元歴史家よると、ここではなく、向かい側の建物ががそうだと変更になった。
今回、その住所に行ったが古い建物は見当たらなかった。
●しおさい公園
旧御用邸附属邸あと。
御用邸附属邸で崩御された大正天皇に代わって昭和天皇が皇位継承されたのがこの地で、昭和の元号はここから始まった。正門前に昭和天皇皇位継承の碑がある。
●engawa cafe&resraunt
ちい散歩で地井さんが立ち寄って、至福の一時を過ごした店である。
築80年以上している、昭和天皇の主治医の別宅だとか。この地域は先ほどの桂太郎の別荘といい、元別荘が多く建ち並んでいてツアーを組んで歩くグループもある。
●現役の円柱ポスト
ちい散歩で「本当に見られなくなってきたが、妙に可愛く感じる。色といい、形といい、痛み具合といい。」と地井さんが感心したポスト。
今回、遠方からポストに貼り紙があるのが見えたので、「現在使われておりません」の貼り紙と思ったが「ペンキ塗りたて注意」だった。まだまだ現役で頑張るのだな。
●小村寿太郎終焉の地碑
「蓬莱こみち」の手前の路地を入る。奥に建つ、民家のこんもり茂った松の木の下に碑はあった。見つかりにくい。
日露戦争後のポーツマス条約の立役者、小村寿太郎が退任後3ヶ月の療養生活を送り、亡くなった借家の門脇に、故郷宮崎に向ってたっている。
●ワカメ漁
県道134号線から海側の道に入り、真名瀬という所から富士山を眺めた。時期であればしらす干しの作業をしているはずである。
現在は、ワカメ漁が盛んのようで、釜でゆでたワカメを洗濯バサミで挟んで干している光景が見られる。ワカメ漁は2月から解禁、しらす漁は3月11日に解禁という。
訪れた前後の日は雨模様、中1日の晴れの日に、富士山を三ヶ下海岸付近で眺めることが出来た。
とても温かく感じられ、皇族の別荘地に薦めたことが、よくわかる。
葉山5時間半の散策は、ボリュームが大きくなってしまったので、2つに分けた。後編の『堀内編』をお楽しみに。
●雛段飾り
病院内で飾られていた。季節ものなので写す。
この病院、全てにゆとりがあって段飾りが置けるのだ。
資料:葉山を歩こう4 一色 葉山まちづくり協会
ちい散歩 テレビ朝日