モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

「ラベンダー(Lavender)」 “ラベンダー道”?

2007-06-14 15:18:30 | ローズマリー&ラベンダー
ラベンダーは、奥深いものがありそうだということに今年になってから気づいた。

育て方、活用、そして背景である歴史・文化に奥行きがあり、
3年ぐらいをかけて育てる楽しみがありそうだ。
盆栽とは異なるが、盆栽に近いラベンダー「道」といえるものがありそうだ。

ラベンダー「道」に近づくためにわかっていることをちょっと整理すると・・・・

ラベンダーの知識:1 (快感のラベンダー)

ラベンダーは、シソ科ラバンデュラ属の常緑低木であるが、
ラバンデュラの語源は、ラテン語の<Lavre=洗う>であり、古代から浴用や汗臭さを包み隠す香りづけとして活用されてきたことを示している。
古代ギリシャの公共の浴場などで、ソクラテス、プラトンなどもきっとラベンダーを楽しんでいたことだろう?
日本でも、お湯を沸かすということはエネルギー的に大変贅沢であり、
香をたくなどして汗臭さを包み隠していた。
ギリシャ帝国での公共浴場の建設・運営は、富国強兵的な国民の衛生・健康管理
だけでなく、統治者の人気取り政策でもあったようだ。
それだけ、入浴は快楽でもあったのだ。



ラベンダーの知識:2(帝国の落としだね)

ラベンダーの原産地は、地中海沿岸などであり、ローマ帝国の領土拡大に準じて
ラベンダーも各地に広がっていったようだ。
紀元前55年にカエサルがブリテン島(現在のロンドンなどがあるイギリス)に
進入したが、無理があったので撤退した。
紀元43年クラウヂウス帝の時にブリテン島の大部分を征服し、ローマの兵士が
常駐するようになり、ローマの生活様式・文化(たとえば浴場など)がここから流入した。
現在のイギリスでは、今頃ならどこに行ってもラベンダーの香りに包まれるぐらい、
栽培されている。
それだけポピュラーになっているが、ローマの兵士がもたらした種が花開いたようだ。



ラベンダーの知識:3(定着は観光地化)

日本には江戸時代の文化年間(1804~1818年)に渡来していたが廃れてしまい、
再チャレンジは、1937年に曽田香料((株)がフランスから5kgの種を輸入したところから始まる。
ラベンダーには、冬は温暖、夏場は冷涼・乾燥、アルカリ性の土壌が適しているが、
曽田さんが栽培テストした北見、札幌、千葉、長野、岡山の中で、札幌で栽培したらベンダーの香りが最も良かったので、栽培地として札幌が選ばれた。
現在の、富良野、中富良野などのラベンダーは、ここからスタートすることになるが、
香料の原料としての栽培は科学合成品に押され挫折し、観光産業化で再生することになる。
(詳しくは:北海道人http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200606/sp_01.html)
この現象は、日本だけでなくどこも同じようであり、フランスのプロバンス地方も
観光地として日本でも人気が出てきている。



ラベンダーの知識:4(大きくは5系列)

ゼラニュームにもいくつかの仲間があり、この区別を覚えることは、栽培する上で
重要な情報となり抵抗もない。
ラベンダーにもいくつかの仲間があるが、違いがわかりにくい。
ましてや、同じ仲間となると識別困難となる。
それだけ、なじんでいない。ということになる。
公式には、
①イングリッシュ ラベンダー系(アングスティフォリア系)
②ラバジン ラベンダー系()
③フレンチ ラベンダー系(ストエカス系)
④デンタータ系
⑤レースラベンダー系 (プトレストエカス系)
⑥その他
となる。
個別には、別途栽培中のもので記載する。

 

ラベンダーの知識:5(わからないこと多い)

しかしながら、まとまったガイドブック的なものが見つからず、
「ラベンダー早咲き3号」、単に「ラベンダー」等と記載されているだけで、
これは何なんだ? ということが多い。
様々なものをつき合わせて、やっと名前を突き止めたり、本当にこれでいいのかに不安がある。
こんな、地図・マニュアルがないこともまた魅力なのかもわからない。
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