【東京零年】
著:赤川次郎
2015/8/10 新潮社
【自由だと知らぬ仏を山笑う】哲露
久しぶりの赤川次郎
小学生の頃、よく読んでいた作家だ。
中学に上がり、スノッビーな同級から「赤川次郎なんて読んでいるの!?」と、心の底から揶揄された。
多感な年頃、実際面白かったのだが、たしかにどの作も似たり寄ったりで、変化に欠け、飽きていたこともあった。
そこからベストセラー大衆作家として敬遠してきたままこの歳に至る。
自分では決して手を出さないジャンルの本に気づくから、
同級生が嫌がった高校のオオタカ先生の課題図書も嫌いでなかったし(誰にも言ったことないが)、
日曜の書評欄が好きである。
そこに意外なことに、赤川次郎の新作が載っていた。
2011年の震災以降、被災地を歩いたり、記事や番組をチェックしたり、
反原発のデモに行ったりと自分なりに意識が変化した。
書評欄の中で、赤川次郎はこれまで書いてきたことの意味を問い、反省し、この作品を書いたとあった。
国家と権力者が奢り、行き着いた先の恐ろしいまでの管理社会を描いている。
ジョージオーウェル「1984」の現代版といったところか。
このフィクションを読んでいて、物語と達観できない妙にリアルな想像力が怖い。
改めて、文章の技法もさすがと思った。
書かない物書きがバカにするほど恥ずかしい無知はないと思い知らされた。
国家統制、そこには力に絡め取られたものの終焉が暗示されている。
B型の流感の惚けた頭にも読みやすい文体。
この世へのアンチテーゼとして、必読の一作である
現実は、いろいろ忙しいですよね。
ご家族の事は、どうしても外せませんものね。
ゆっくり、じっくりいきましょう。