自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ギータの中のヨガ④ Dhyana Yogaha (前半)

2017年08月19日 | 真言(マントラ)-ヴェーダ・仏教・神道

 

瞑想を通じて神と一体になるヨガ ~(前半)中庸な道

*****************************2017.8.19

前回よりの続きです)


ギータ6章でのクリシュナとアルジュナの会話が、今日のテーマである、

クリシュナは、瞑想を通じて神と一体感を味わうことについて語る。

6章1-2でクリシュナはアルジュナにこう語っている:

“神性と一体化することが、俗世間から離れることだと言われてきている。

プロセス(経過中)での 自己の思惑や欲望を犠牲にせずして、

その目的に達することはできない。“

続けて

“It is said that for the seeker of freedom, 

doing action is the means for progress.

 Purification of the mind is the means as the progresses 

to embrace the Indweller and becomes skilled at it. 

He starts embracing the Indweller when he doesn’t 

attach himself to the sense-objects or actions, 

and renounces all possessive desires and resultant resolutions. 

(6-3-4)”

 

自由を求める人にとって、行動することは進歩することだと言われている。

心を浄化することが、神を心に抱くための向上手段であり、

それを確実に助ける。

五感の刺激対象に無頓着になり、五感の刺激のための行動に束縛されず、

持てる欲望を捨てられたとき、彼は内なる神と一体感を味わい始める

 

五感の欲望や刺激に執着なくいられる、そうした魂の進化はどのように

達成できるのだろう?

クリシュナは そうした理想に程遠い状態の自分をダメだと決めつけるな

という。

自分こそが、最高の友であり、敵にもなるからだ。

自分という敵に勝った時の自分は、最高の友となる。 

その反対も真なりである。

その事を以下のように、表現している。

“He, who has not mastered himself, becomes his own friend. 

He, who has not mastered himself, becomes his own enemy 

and plays the role of an opponent to himself” (6-5,6)

 

上記青文字の言葉の中の、

”He, who has mastered himself” という表現は、自分自身の主になる

ことで、(小我の)自分に勝った人といういみだが、

サンスクリット語の原語に近い英訳であるはずなので、

この一行をもう少し深く読んでみたい。

 

Master、マスターするという意味は、例えば、外国語を使いこなせるように

なったときなどに、使われているが、目的語が、自分であったとき、

つまり、’自分をマスターする’というとき、の意味はどのような状態を

指すのだろう。

クリシュナは具体的にその状態をこう述べる;

“He, who has mastered himself, stays peaceful and undisturbed 

while contacting the opposing sensations of cold and heat and 

remains unperturbed by honor and humiliation. “ 

つまり、

”自己をマスターした人は、平穏な心持で、対極的な感覚的刺激、たとえば、

冷たさや熱さ、などに煩わされず、名誉や屈辱に心を踊らされないように

なる。“

 

平穏な心持とは、平和な平常心を常に保っていられること。 

対極的な刺激とは私たちが日常生活で“感じることすべて一般”が

対象になるだろう。

好き嫌いの感覚を起こさせる事柄や現象や人や物、に対する自分の気持ちは

常に自分の感覚器官からくる刺激となって、心の波を作り出す。

綺麗-汚い、美味しい―まずい、愉快-不愉快、嬉しい-悲しい、など、

感覚によってもたらされる情報に心が引っ張られると、平常心とか穏やかな

心持というのは維持が難しいということだろう。

 

それは難しいことだが サンスクリット語でいう “ユクタ(yukuta)”

を心がければ、可能だとさらにクリシュナは説く;

“This peace is not available to the one who eats excessively or

 to the one who starves, to the one who sleeps excessively or 

to the one who abstains from sleep. 

The skilled spiritual practitioners(yukuta) who practice 

moderation in food, living, action and sleep are able to 

embrace the Indweller without difficulty.” (6-16,17)

 

訳)心の平安は過剰に食べる人や飢えている人は得難いし、

過剰に睡眠をとる人や不眠症の人にも得難い。

スピリチュアルな行動に長けている人(ユクタ)は、程よく食事し、生活し、

行動し、睡眠をとり、困難なく、内心に存在する、絶対者を心に抱くことが

可能となる。“

 

古代インドでも、日常生活での”~過ぎない”ようにという、

注意を 敢えてクリシュナがアルジュナに語って聞かせるほど、

ほどほどの調和のとれた、’程よく’ の生活は 当たり前であるからこそ、

案外難しかったのかもしれない。

 

(前半終わり、次回、後半に続く~)

 

クリシュナと恋人ラダのモチーフ。横笛を吹き、牛飼い女たちと踊りながら、その中の一人

最愛のラダと愛を育むクリシュナの有名なモチーフ 

コメント
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