雄略天皇とオケ・ヲケ王

昨日は、「歴史のロマン」の講義を受講しました。
若井先生から、「雄略天皇とオケ・ヲケ王」を学びました。

講義内容は、

1)雄略天皇は、
*五世紀後半に活躍した。
*自分の権力を強化するために、ライバルを滅ぼした、葛城氏系統を滅ぼした。
*ライバルの市辺押磐皇子を近江で殺した。

2)オケ・ヲケ王(仁賢天皇・顕宗天皇)は、
*ふたりは、市辺押磐皇子の子で、父が殺害されたので、播磨へ逃げた。
*匿っていたのは、葛城氏関係者と思える。
*雄略天皇の子の、青寧天皇は子が無く、次の天皇を探すこととなった。
*二人を探し出した時期が、古事記と日本書紀では違って書かれている。
*弟が先に天皇となり、次に、兄が天皇となった。
などでした。

午後は、交流祭での、我が班のブース発表テーマについて、話し合いました。
「大伴氏一族の光と影」をテーマとしようとなりました。

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