a letter from Nobidome Raum TEE-BLOG

東京演劇アンサンブルの制作者が、見る、聞く、感じたことを書いています。その他、旅公演や、東京公演情報、稽古場情報など。

TEEリレートークVol.17 『あらたしい稽古場』 浅井純彦

2019-01-28 23:21:04 | 劇団員リレートーク
今回はこのブレヒトの芝居小屋との付き合いも、もう40年になる浅井純彦が担当します。



1978年アンサンブルの俳優教室の一年目は、
まだ劇団の拠点のあった高円寺の雑居ビルの三階の稽古場でレッスンを受けていました。
二年目からは、ここブレヒトの芝居小屋でレッスンも座学も発表会もやり、
卒業公演の『真夏の夜の夢』では映画撮影用の「ふね(1m×4m位の大きさの70㎏はある重い平台)」を劇場の中空に巡らし、
タイターニア•オーベロン 妖精たちの世界にしました。
今考えても贅沢な空間の使い方で、
ずっとそこで稽古しているからこその発想だと思います。



僕が劇団に入ってから、大きな改築がありました。
今、事務所·ロビー·台所·トイレのある棟は、
昔あった建物を一度全て壊し、
大工さんの指導のもと劇団員総出で、
柱を建てスレートの外壁を巡らし断熱材を入れ屋根にもスレートを葺き床板を貼って新しく建てた物です。
劇場の方には二階席が欲しい!
重機が入れられないなら人海戦術でと、
それこそ老若男女全員招集で100人位で鉄骨を持ち上げ、二階席を作り。
これで今の劇場の形ができあがりました。
それから少しずつ自分達の使いやすいように、工夫してきました。
それまで公演ごとに、旅公演に持って回っているコードを引きなおしていた照明回路を、常設に。
これで照明の仕込みが劇的に速くなりました。
2008~9年には皆様にお願いして基金を募り、
古くなって穴があいたり、
ささくれが刺さったりしていた床を張り替え倉庫を建てエアコンを新しくしました。



幸いに、劇団には学校の体育館公演で培ったいろいろなノウハウがあります。
釘打ちビス止めは日常で、高所作業もそれほど苦ではありません。
ある程度なら自分たちで改築•増築が出来ます。
新しい稽古場も、何もないところからまた自分たちで使いやすい稽古場を作っていくことになると思います。



この小屋があまりにも良く、恵まれていたので、
これまでいくつか見た新しい物件はあまりピンとくるものがありません。
少し高望みしているのかもしれません。
でも、こういうのも出会いだと思うので、
真剣に思えば応えてくれる相手と巡り会える気がします。
これからあと数ヶ月、
応援していただいた皆さんに、あぁ良かったね!
良いところに引っ越せたね!
と言って頂けるように八方手を尽くしたいと思っています。
そして劇団員の集まれる場所ができたら、
そこでまた自分たちのやりたい芝居を、
お互いの変化成長を周りで見ていける距離で、
美味しい料理も作りながらワイワイと同じ釜の飯を食う。
そんな創作活動を続けていきたいと思います。

これからも、引き続き応援を宜しくお願いいたします。


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TEEリレートークVol.16 『24時間年中無休』 雨宮大夢

2019-01-19 08:07:30 | 劇団員リレートーク


こんにちは、雨宮大夢です。
先週の『怒りをこめてふり返れ』の公演が終わり、
既に次の『クラカチット』へ向けて準備を進めています。



先輩方のような凄まじい裏話は持っていないので、
僕はアンサンブルの裏側というか、
皆さんが知らない非公式なグループのエピソードのことを書こうと思います。

東京演劇アンサンブルの中に各劇団員で組織される色々なグループがあります。
例えば
・運営委員会
・先のり
・企画室
・ケンタウルス
などがあり、これらのメンバーは一年を通して活動し、
年数回の劇団総会で日々の活動を報告します。

しかし、これらの他に非公式な"部活"があるのを皆さんはご存知でしょうか。
僕が所属しているのだけでも
・湯部(副部長)
・サーターアンダギー部(部長)
・麻雀部
・ランニング部
・筋トレ部

等があります。
他にも
・野球部
・カラオケ部
・マンガ部
などがあるそうです。
入部条件などもあまりないため、多分、全てを把握してる劇団員は居ないと思います。

そして今日は数ある部活の中でも知る人ぞ知る「夜部(よるぶ)」についてご紹介しようと思います。

我らのブレヒトの芝居小屋は24時間、好きなように使えるというのが一つの特徴です。
深夜、人が誰もいなくなった劇場に入りこみ、活動する人たちを「夜部員」といいます。

稽古期間中であれば 実際のセットが組んであることもよくあります。
そこで、実際に動いてイメージを固めたり、人の芝居を真似してみたり、稽古場では歌えないような歌を大声で歌ったり。
仕事がたまってる人は朝まで仕事してたり。
「遅くまで残ってりゃ良いってもんじゃねぇ!」と次の日の稽古で怒鳴られることもあることです。



一つエピソードを。

僕が劇団に入って2年目、初めて本公演『僕はエルサレムのことを話しているのだ』の稽古期間中のことです。


この日も稽古が全然うまくいかなかった僕は深夜2時頃おもむろに劇団に行きました。
そうすると、中から誰かの声がするじゃありませんか!
覗いてみると、中には当時研究生(19歳!)の和田響きが練習してるじゃありませんか!!
話してみると彼も「稽古を見て身体がうずうずしてきたから、なんとなくきちゃいました」といって、
手元にはシェイクスピアの作品が。



そこから一気に意気投合して、公家さんと大多和さんのシーンを二人で読んでみたり、滑舌勝負したり盛り上がりました。

結局その後もしょっちゅう芝居の話ばっかりしてて、先日の『怒りをこめてふり返れ』にたどり着いたりするわけです。

こういった出会いが年に数回はあり、その度にお互い「やってるね」と思い、ニヤリとするわけです。

今、アンサンブルでは劇団員全員で移転先を探していますが、まだ確定はしていません。

候補先には"ビルのワンフロア"というところもあります。
場所によってはセコムやアルソックがあって、朝8時から夜10時まで、なんてこともあるわけです。

大多数の劇団はそうなのでしょうが、夜部に入っているメンバーからすると少し寂しく、
引き続きこのような深夜の出会いがある場所だと良いなぁ、なんて思ってます。



こんな24時間エネルギーに満ちた空間「ブレヒトの芝居小屋」での公演も3月20日~31日の『クラカチット』で最後です。

是非、ご来場ください!!
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TEEリレートークVol.15 『明けましておめでとうございます』 入江洋佑

2019-01-05 18:32:08 | 劇団員リレートーク


明けましてオメデトウございます。
本年も東京演劇アンサンブルを応援してください。
昨年7回目の戌歳を終えた入江洋佑です。
今年はもの凄く忙しいそして新しい出発の年になります。
そうご存知のように劇場と稽古場の移転です。
そこでいままでの稽古場の歴史をチョッピリ書いてみようと思っています。





むかーし、むかし、アメリカが史上初の水素爆弾の実験を南太平洋のビキニ環礁で成功させました。
そこから200㎞離れた海上で日本の漁船第5福龍丸が被ばくし、その放射能と死の灰によって久保山さんが亡くなりました。
世界が更に凶悪になったイヤな記念日1954年3月1日、その日が東京演劇アンサンブル(当時三期会)が創立された日なのです。
残念!!



劇団を創ってまず必要なのが集まる場所、稽古場です。
みんなで探して見付ったのが恵比寿の料理教室です。
昼間の授業が終った後、あの大きなテーブルを片付け発声をやり、バレエをやり夜9時に次の日のため元に戻し掃除をして帰るのです。
でも2ヶ月で追い出されました。
次は渋谷の金王神社の附属金王幼稚園。
ここも夜だけ。
そこで第一回公演のアーサー・ミラー作『みんな吾が子』の稽古をしたのです。



ぼくたちは劇団を創る時に、それまで大都市でしか出来なかった芝居(新劇と呼ばれていました)を日本全国に持って行こう、
大変だけど若いんだからさあと話し合っていたのです。
だから東京演劇アンサンブルの第一回初公演は九州の鹿児島市なのです。
地元の新聞が好意的に「戦後初めて三太郎峠(鹿児島県と熊本県の県境にある峠)を越えてきた演劇」と大見出しを付けた記事を載せてくれました。
入場の時市民会館前に並んでいた行列がゆっくり動きだしました。
「あっあの人達、俺たちの芝居を観に来てくれたんだ俺たちの!」と叫んだ。
亡くなった愛川欽也の声はいまも耳の奥に残っています。
そして東京に帰って来て相変わらず稽古場はなし。
2回目の『森の野獣』の時は、撞球場、フトン屋の2階、倉庫、廃工場、車庫など15ヶ所、
毎日アッチニイッタリ、コッチニキタリ大変辛く落着かないそして懐かしい体験でした。
それから青山の小原流生花のビル、柿の木坂の伊藤道郎さんのバレエスタジオ等々転々として、
1967年、念願の自分たちの稽古場を自前で買取ることが出来たのが高円寺の稽古場でした。



そしてまたまた次の抱負が生み出したのがいまの「ブレヒトの芝居小屋」です。
フリースペースのブラックボックス、海外でも評判になった前衛的な空間なのです。
そして今年そのステキな大好きな贅沢な贅沢な空間からさようならです。



新しい更に前衛的な空間を目指してぼくたち旅立ちます。
時間とエネルギーはかかると思いますが遠くまで行くんだは東京演劇アンサンブルの歴史です。
新しい場所の住所、電話番号の記された挨拶状の届く日を楽しみにお待ちください。
そして今後も皆さまの応援を、お続けくださるようお願いいたします。
以上、東京演劇アンサンブルのチョッピリ稽古場史でした。

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