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大正の長屋の構造

2019年03月15日 | ノスタルジア
(この記事は2016年3月に投降したものを、再訪問、写真の撮り直しなど、全面的に改定したものです。)

下町風俗資料館です。長屋は長屋でも江戸時代と大きな違いは押し入れ。江戸時代の規格で9尺2間半といい、幅2.7メートル、奥行きが4.5メートルというのがあります。大体6畳と1.5畳の土間が取れますが、この長屋はそれに押し入れがプラスされているのと、あと一軒展示されている銅壺屋(やかんやなべの職人)とも仕事場やお店の部分を広くするため、4畳半の居間になっています。全体で2間2間半くらいでしょうか。


大正時代になるとトイレは共同ではなく、それぞれの家に付くようになります。ぶら下がっているのは釣手水(つりちょうず)といい、写真では暗くて確認できませんが、下部に突起があり、それを押し上げると弁が開き、水が出てくる仕組み。これは昭和までありましたので、実際使ったことがあります。トイレは後架(こうか)とか、雪隠(せっちん)とか呼びました。




駄菓子屋さんのお店の手前に台所の壺が見えます。


駄菓子屋さんの台所です。手前(左側)がお店。調理器具が充実している割に、昔なら必ずあったかまどが見当たりません。江戸時代からすでにあった七輪ですが、炭が燃料として安く手に入るようになり、熱効率も良く、かまどと比べ安全なので、煮炊きは七輪中心部だったのではないでしょうか。かなどは井戸のそばにありました。みんなで使ったのですね。室内よりは安全です。



隣の銅壺屋。やかんや鍋の職人。所帯持ちらしく、三味線の箱や、長火鉢が見えます。カットされていますが、仕事場の手前が台所だと思います。


鍋壺屋さんの仕事場。コークスを使う炉があります。



同じ長屋でも江戸時代と比べ造りはしっかりしています。これには理由があり、火事が多かった江戸時代では焼けても数日で立て直すことが出来る、簡易的な構造が多かったためでもあります。庶民の暮らしは相変わらず狭い長屋が多かったようです。