「成績優秀なのに仕事ができない“大人の発達障害”に向く仕事、向かない仕事 」を読む。ADHDやアスペルガー症候群の話で,成績が優秀なのに,社会で人に絡んだような部分でうまく仕事ができないとかそういう話。
こういうのを読むと,あぁ自分もそういうのかも知れない…とか,あの人ってこういうのじゃないかなぁ…とか思ったりすることもありますが,ふと,逆の意味で引っ掛かったりもします。
つまり,成績優秀なのに仕事ができないのは障碍だ…というのであれば,逆に,成績優秀で健常者はどんな仕事でもこなさないといけないのか?…という事です。おそらくそういう前提があるんでしょう。*学校の*成績優秀なら社会に出たら苦労せずに成功するはずで,うまくいかないのは,障碍のせいだろう…と。
それもおかしい気がします。そもそも学校の成績でその人の能力が全て測れているわけでもないし,成績に関わらず,なんでも仕事ができるのが健常者と思われちゃうとそれもおかしい。人には向き不向きがあり,難無くこなせることとこなせないことがあります。訓練で習得できることもあれば,出来ないこともあります。向く仕事向かない仕事なんて,健常者でも選ぶべきなんじゃないでしょうか?。
わたしは他人の気持ちが分からない人間で,もしかしたら「心の理論」が無いのではないか?…と思ったことがあります。でも,人の気持ちが分からないから,逆に人を怖いとは思いませんが,人を共感で引っ張る…ということが多分出来ません。熱血漢でチームを引っ張っている人とかを見ると,スゲーなぁー…と素直に思います。それを障碍か?…と言われると分かりませんが,そういう素養なんだと思います。
病気とか障碍と健常の線引きというのは時代によって変わります。明らかな病気や障碍もありますが,良く分からないものも沢山あるからです。普通「病気」というと治療法があるもの,「障碍」というと治療法がないが,正常な生活に支障があるもの…という定義なのかな…と思ってます。治るものは治った状態が正常ですから,「病気」というのはある種の異常であることはわかります。でも治らないし,元々そうであるものは障碍なのか正常の範囲なのか?…というのは微妙です。
もちろん,明らかにこれは障碍だ…というものもあります。でも,障碍かどうか分からないものも多いでしょう。苦手なものがある,どんなに訓練しても習得できないものがあっときに,それを「性質」と認識せずに障碍と認識しなければいけない…というのが良く分かりません。むしろ障碍にしないと理由にならないのか?…という気がして,社会はそこまで「健常者」に万能を求めるのだろうか?…むしろしんどい気分になります。
こういうのを読むと,あぁ自分もそういうのかも知れない…とか,あの人ってこういうのじゃないかなぁ…とか思ったりすることもありますが,ふと,逆の意味で引っ掛かったりもします。
つまり,成績優秀なのに仕事ができないのは障碍だ…というのであれば,逆に,成績優秀で健常者はどんな仕事でもこなさないといけないのか?…という事です。おそらくそういう前提があるんでしょう。*学校の*成績優秀なら社会に出たら苦労せずに成功するはずで,うまくいかないのは,障碍のせいだろう…と。
それもおかしい気がします。そもそも学校の成績でその人の能力が全て測れているわけでもないし,成績に関わらず,なんでも仕事ができるのが健常者と思われちゃうとそれもおかしい。人には向き不向きがあり,難無くこなせることとこなせないことがあります。訓練で習得できることもあれば,出来ないこともあります。向く仕事向かない仕事なんて,健常者でも選ぶべきなんじゃないでしょうか?。
わたしは他人の気持ちが分からない人間で,もしかしたら「心の理論」が無いのではないか?…と思ったことがあります。でも,人の気持ちが分からないから,逆に人を怖いとは思いませんが,人を共感で引っ張る…ということが多分出来ません。熱血漢でチームを引っ張っている人とかを見ると,スゲーなぁー…と素直に思います。それを障碍か?…と言われると分かりませんが,そういう素養なんだと思います。
病気とか障碍と健常の線引きというのは時代によって変わります。明らかな病気や障碍もありますが,良く分からないものも沢山あるからです。普通「病気」というと治療法があるもの,「障碍」というと治療法がないが,正常な生活に支障があるもの…という定義なのかな…と思ってます。治るものは治った状態が正常ですから,「病気」というのはある種の異常であることはわかります。でも治らないし,元々そうであるものは障碍なのか正常の範囲なのか?…というのは微妙です。
もちろん,明らかにこれは障碍だ…というものもあります。でも,障碍かどうか分からないものも多いでしょう。苦手なものがある,どんなに訓練しても習得できないものがあっときに,それを「性質」と認識せずに障碍と認識しなければいけない…というのが良く分かりません。むしろ障碍にしないと理由にならないのか?…という気がして,社会はそこまで「健常者」に万能を求めるのだろうか?…むしろしんどい気分になります。