たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

学会の権威と人気

2013-12-29 10:29:13 | 育児・教育
研究者というのはおおよそ自分の成果を「論文」という形で積み上げていくものです。中には本を書いたり作品を作るという分野もあるようですが,ほとんどの場合,大学にしても国とかカウントするときも論文で成果をカウントします。学術的な賞もありますが,その賞自体が論文に与えられたりするので,とにかく論文を出さないと研究者は自分の成果をアピールすることが出来ません。

で,論文はどこにあるのか?というと通常は学会が出す学術誌に掲載されます。掲載されるにはその学会が審査(査読)をし通らなければなりません。つまり研究者は学会と関わらずに成果を出すことが出来ないということになります。

ではその「学会」とは何か?というと学者が任意に集まって作ったものです。以前医者をやってる友人に医者が三人集まれば学会を作れる…という冗談を聞いたことがあるのですが,実際は日本学術会議が「日本学術会議協力学術研究団体」というのを指定しているので,勝手に学会を名乗っても公認の学会というのには当たらないようです。

とはいえ,学会というのはいろんなものがあります。そして研究者は成果を出す以上どこかの学会が出す論文誌に論文を投稿するわけですが,その投稿論文を研究成果として認めるか認めないか?というのも学会によっては様々で,ですから研究者は投稿するときにそういうことも考えて学会を選びます。

さて私も研究者の端くれであり,これからも研究を続けていこうと考えているわけですから,どの学会と重点的に関わるか?ということを悩むわけです。学会の一つの尺度に「会員数」があります。これは客観値なのでわかりやすいですが,人数が多い学会ほど,活動は盛んだし,そこに出すと多くの人に認められる可能性があります。一方学界の「権威」みたいのもあるように思います。これは学会の会員数とも関係があり,会員数が多いほど権威も高いと思われがちですが,中には会員数が少なくても権威がある…学会もあるような気がします。これはきわめて専門性が高かったり歴史が長い学会だと人数が少なくても権威が高いケースがあるように思います。

そしてもう一つの尺度に「人気」があります。これは会員数と関係があるのですが,会員数が多い学会の中にも業界人しか話題にしない学会と,ネットとかで話題になるような学会があります。一般とまではいかないまでもこういうネットで話題になりやすい学会はいろいろと新しい話題を提供するようなことをやっていて,結果的に新しい分野の開拓が出来たり,若い研究者が集まり実際に会員数が増えたり良い成果が出てくるという好循環が生まれている場合も多いでしょう。

…とは言え,私としては少し悩むのはこういう新しい話題を振りまき人気が出ている学会と,歴史があり専門性が高くて権威がある学会とどちらを重要視すべきか?…ということです。人気がある学会は書いた様に活動が盛んで,そこで活躍することは自分にも注目を得る可能性があります。活動の可能性が広がるということです。ただ一方で,こういう学会は研究成果が玉石混合な場合が多い気がします。あと地味な研究はこういう場ではかえって目立たなくなることも多いかもしれません。権威がある学会は,目立たない成果でもその学界的に質が高ければ,おそらく認められます。

日本に学会はたくさんありますが,歴史のある学会はどこも会員数の減少に悩んでおり,経費もきつくなっている気がします。そうなると「人気」を得るために,活動方針を変化させていく学会もそういうのなかに増えていくように思います。

さて,そういうことをちょっと前に考えていたら一昨日くらいに人工知能学会が学会誌の表紙に萌イラストを載せてきたということを知りました。この表紙女性の掃除ロボットというのが気に入らない人がネットで論争してるようですが,それについてはあまり興味はありません。それよりもあぁ人工知能学会もこういう方面の人にアピールし始めたのだなぁ…と私は思いました。だいぶ前に情報処理学会が初音ミクを学会誌の表紙にしたことがあって(そういう内容だったからですが),かってない程,学会誌が売れたそうです。もしかしたらそういう話知っている人が,学会誌の表紙に萌の要素を取り入れることでそういう効果があることを知っていたのかもしれません。

もちろん人工知能にしても情報処理にしてもロボットとか知識処理とかを扱うわけで,そういうものを題材とした作品が多いアキバ系の愛好者とは重複する部分が多いはずです。ですからまるで関係ない人にアピールしているわけではなく,より周辺を広げるという試みなのではないでしょうか。

ただし,人工知能学会の表紙に対しての学会の説明をみればわかるように新しい人に興味を持ってもらうため明言してます。ですからやっぱり学会以外の人の注目を集めるためにこういう表紙を選んだわけです。学会の質を高める手段として専門的な学術的な質というよりもまず人気を得ることを選んだってことだろうな…と思いました。

自分が積極的に関わるべき学会は,どっちの方なんだろうなぁ…と思ったわけです。
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上司はあなたが駄目な理由しかわからない

2013-11-24 11:36:43 | 育児・教育

長年ひとつの会社にいるせいか?,それともひとつの業界にいるせいか?,はたまた知人友人でいろんな人を見てきたせいか,最近この歳になって,なにか成功する人に共通するものが漠然と見えてくるようになった気がします。逆に成功しない,というか例えば会社で昇格しない人に共通の何かが見えてくるような気がします。つまり,「あぁこういう人は,出世しないよなぁ」とか「出世する人ってこういう人だよね」みたいな感覚。

こういうのだんだん見えて来て,かつ歳を取ると,会社の若い人とか部下,はたまた学生とかに,「いや,そういう風にやっていたら駄目だろう」とか思ったりもします。もちろん世の中にはいろんな世界があって,向き不向きはあるので,あくまでも自分が関わってきた世界に限定の感覚ですが。
とはいえ,じゃぁ成功する条件というのがわかったとします。よくライフハックとかで語られそうなことです。幾つか頭に浮かぶ条件があります。性格的なものもありますし,行動的なものもあります。あることに対する反応や言動とかいうのもあります。でも,じゃぁそれを書き出して「こうすれば成功する」といえるかどうか?を考えてみた場合,やっぱり違うかな?…と思いました。

おそらくここでいう「条件」というのは必要条件でしかないように思います。つまり十分条件ではない。成功する人が共通に持っている要素かもしれませんが,その要素を持っている人がすべて成功するわけでもない…ということです。


成功するには,確かにこれらの要素は必要かもしれません。でもそれに加えてタイミングや環境や対人的なものが関係してきて,これは一概に条件としてまとめることが出来ません。「運」と一言で言ってもいいかもしれません。

一方で必要条件がわかるということは,それが出来ないと成功しないということがわかります。つまり失敗する十分条件はわかるということになります。

さて,いいたいこと。つまり自分も含めてですが,上司や先輩や親という人生の先輩が,成功するための条件を語ってもそれは必要条件でしかありません。いわれたことだけをやっていても成功する保証はないということです。そして「これをやっては駄目,こういうやつは駄目」と言っていたら,それは案外あたっているかもしれないということです。そして「じゃぁどうしたら良いんだよ」と言っても,人生の先輩は正解を言えないのです。


これは別に先輩が成功者ではないからではありません。人生に大成功した(といわれる)人の体験談や教えは世の中にたくさんありますが,その通りにやっていても成功するとは限りません。その人がたまたま運が良かったケースもありえますから。

結局のところ,言われたとおりにやっていても駄目ということです。ただ,成功の必要条件があって,足りないのが運であれば,とりあえず条件の方だけをやっていれば,少しは確率は上がります。そして駄目といわれたことは,案外参考になるのかもしれません。さらに書くと,世の中には,成功しなかった事例がたくさんありますが,実はそちらの方が,教えられるものが多いような気がします。


世の中,うまくいった話ばかり多いのですが,実は失敗した話のほうが,役に立つような気がします。ただ失敗した本人は,なぜ失敗したのかを理解できてない場合も多いので,本人に聞くよりも,周りで客観的に見てる人の方の話のほうがおそらく正しいです。

まぁ失敗した話ばかり勉強してると元気が出ないので,うまくいくための必要条件もあわせて学んだほうが良いかな?とは思います。そして学ぶだけでは成功しない…ということが重要です。

P.S.


なぜこんな文を書いたかというと,「ふと思った」というのがひとつと,これから子供とか学生に「うまくやる手としてこういう風のがある」とか「こういう風にやったら駄目だ」とか教えることが増えるんでしょうが,結局のところ自分も何が駄目かはわかっても,どうやったらうまくいくかはわからないのだよなぁ…と思ったので自戒をこめて,書いておきたかったのです。

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父親になる

2013-10-30 12:50:42 | 育児・教育

別のところに一昨日くらいにアップした文ですが。

いつ父親の自覚が生じるか?って話。時々出てくる。今回は映画の公開でそう考える人が多いみたいです。


いろんな人の経験談を読むと,そうだよね,と思う反面,自分はちょっと違うかなぁと思うことも多いです。まぁ人それぞれ違うってことでしょう。話されると「わかる」部分は多いのですが。
概ね良く聞くのは,若い頃に(他人の)子供が嫌いor苦手だったってことで,父親としての自覚をもてるのか?と不安に思う。で,子供が出来て,しばらくすると,子供が好きになっているというケース。

自分の場合,以前書いたかもしれませんが,自分の子供については,あまり大きな転換はありませんでした。むしろ,転換としてはっきり覚えてるのは,姪とあったとき。私の姪はすでに成人してるので,確か私が社会人になって間もない頃だと思います。


帰省して実家に帰ったら,赤ん坊であるところの姪がいた…かな。さすがに新生児のときはおっかなびっくりだったと思うけど,そのあと,遊んでくれと懐いてくるくらいに,なんとなくスイッチが入ったような気がします。そういえば,うちの息子たちもあまり他人である大人に気後れせず「遊んでくれ」と寄っていくのだけど,まぁそういう意味ではこの従兄弟は似てるなぁ。


もっとも,それよりさらに前の大学時代に,クラスメイトで,姪か甥が出来た人が,えらくかわいいと言ってる話を聞いて,そんなものか…と思ってました。私もそれくらいまでは,ご他聞にもれず,子供が苦手…とか思っていたのですが,身近に子供が出来ると,かわいいと思うものかね…みたいなことは思ってました。で,実際に姪と接してやっぱり楽しかったと。


もう少し書くと,その頃に実は,子供が苦手なのは「他人の子供だから,いろいろと気遣う」ということや「自分が子供だから」という様な事を考えており,子供を怖がるというのは少し未熟なことかな?という意識があったので,自分の姪に苦手意識を持たなかったことは素直にうれしかったです。


…と,そんな感じで20年以上前に,すでに「おじさん」として子供に接することが出来ていたので,「父親」になるのは,あまり抵抗なくて,まぁ欲しくて作った子供ということもあり,自分の子供が生まれたときは,普通に父親でした。まぁ妊娠中の嫁のおなかに話しかけるような親でもなかったように思うけど。


とか言いながら,長男と次男の私へのなつき具合を見ると,やっぱり長男のときは,少しお互いに緊張感があったのかな?とか思ったりはしてます。今後次男がお父さんを苦手にならない保障はありませんが…。

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身を削って得る…ってこと

2013-04-04 22:19:48 | 育児・教育
甲子園で我母校を破った済美はその後を勝ち進み決勝戦に達しました。エースの安楽君は初戦で延長戦になったもののその後も投げ続けてました。凄い投手だなぁ,というのがまずは感想でした。

ですが,乙武さんが連投を喜べない,故障のことを考えるべきだというような話をはじめたのを読んで,確かに高校野球の連投で肩を壊しプロへの道を断念する人もいて,やはりやりすぎなのかも…と一瞬思いました。ところがこのツィート更に読み進んでいくと,「高校で野球辞めるやつも山ほどいるし燃え尽きたいねん」というツィートをする人がいて,はっ…としました。

高校野球の人口は壮絶なくらい多いと思います。もちろん各高校で取り組み具合いは異りますが,甲子園に出たり地区大会でトップの高校の野球部の部員はかなり練習に時間を割いているのではないでしょうか?。中には学校の勉強より優先して野球の練習をしている学生も多いはずです。そしてそういう中から甲子園に出場,40校以上いるわけですから,それだけ600人以上部員がいます。でもこの中で野球で食べていける人ってどれくらいでしょう?…。

実は今回母黌の後輩たちを見ていて,彼らは将来は野球と全く違う道に進むのだろうなぁ…とか考えてました。今回同級生とも再会しましたが,わたしの同級生の野球部部員もサラリーマンになっている人が多いように思います。変わり種で外国で会社経営をやっていたり,政治家になっている人もいます。様々です。野球やスポーツを続けている人もいるでしょうがアマチュアレベルだったり子供の指導だったりします,たぶん(全員しってるわけじゃないので)。今回甲子園に出た後輩たちも,進学して野球を続ける人はいるでしょうが,プロになる人はいるんだろうか?…とか思いました。

そう,大半の高校球児はいつかは野球を辞めます。日本の職業野球の就職事情は,甲子園に出た選手を,ほんの一握りしか受け入れることは出来ません。

そうであれば,そのピークを甲子園に持ってきて,その後は満足な野球ができないからだになっても良い…という考えがあっても仕方無い気もしてきたのです。肩を壊したからっていっても,障碍者になるわけではありません。通常の生活や通常の仕事であれば問題にならない場合も多いと思います。アマチュアレベルであれば野球も続けられるかも知れません。ある意味,高校を出た後に完璧な体を維持していても持て余す可能性もあります。

…もっとも今回の安楽君を見てると,彼はプロでもやっていける可能性があるので,彼が肩を壊すのはもったいない…という気もします。でも,それって彼のため…というより,良いプロ野球選手をみたい…というファン意識も入ってる気がします。

まぁぶっちゃていうと,選手の数が15人だとか延長が15回だとかいうのもルールなのですから,投球数に制限を設けるルールをつくっても良いように思います。確かに有利な高校とか出てくるとは思いますが,現在のルールでも有利なところと不利なところがあるのですから。

あと,もし安楽君が自分はプロの投手になりたい…というのであれば,きちんと体調管理をするとか,監督やチームメイトとぶつかっても,それを守るという意識は必要かな…とは思います。そうじゃないと今は良くてもプロになって体を壊します。

最後に。スポーツで体を壊すのは良くない…という考えが基にあるのかも知れませんが,人は何をやっても体を壊すリスクがあります。わたしは40近くでガンになったときに,普通にオフィースワークをしていても,体を削って働いていたのだな…と思いました。人は働いてお金を得たり,欲しいものを得るために,体を削るのは案外当たり前のことなのかも知れません。

だからといって過労死や自殺を肯定してるわけでもなく,その程度や状態をきちんと管理して自分で納得するなりコントロールするなりした方が良いということが言いたいことです。
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父を越える?

2013-04-01 22:32:24 | 育児・教育
あなたは自分の父親を越えられたか?という分析データを見ました。おもしろい。自分の父親より社会的地位が向上してると思うか?と男性に聞いたらしい。日本が極めて低い…とこれを書いた人は言ってます。

自分の父を越える…というのは各人考えるポイントが違うと思いますが,わたしは自分の父親にコンプレックスはとうに持ってません。就職する頃には持ってませんでした。大学生の時に持っていたかどうかは良くわかりません。

このアンケート何歳の男性に聞いたか国によって違うそうですが日本は16歳以上とのこと。16歳で父親を越えた…と思う男性ってそんなにいるんでしょうか?。まぁでも自分はコンプレックスは無かったなぁ。比較というより単に反発でしたが。

わたしの父親はノンキャリの公務員でした。だからか,小さい頃成績が良かったわたしに,東大を出てキャリア公務員になれ…と言ったことがあります。多分「イヤだ」と反発したので,結構しつこく言ったのでしょう。おかげでわたしは父親の仕事にも興味を持たず,従ってその分野に進むこともなかったので,父親を越えるという発想はそれ以来もってません。まぁでも考えたら,うちの父はノンキャリでもちゃんとそれなりの役職について退職したようなので,わりと成功者だったのかも知れませんね。庭付きの家を買い,退職後も自営を開業して,経済的にもずっと自立してるので,ある意味,今の私よりまだ勝ってるのかも知れません。わたしは家も持ってないし,退職後の仕事がどうなるかわかりませんもの。

でも一方で,自分は学位をとったり論文を自分の名前で出したりしてます。バイクに乗ってレースに出たり,プロのミュージシャンとちょっとだけだけど交流もあったりして,それなりにやりたいことを幾らかは実現できてます。仕事以外に何が趣味かわからないとわたしが思っている父親に比べれば,そっち方面では充実してる自信はあります。

…という風にわたし自身は,父親と自分を比べるときに,地位という発想がないので,地位が下がってる…っていうのはイマイチ良くわからないのだけど。父親の同じ年齢の時に同じくらいの収入があるか?…って意味では,状況が違いすぎて比較しようがないかな…。

まぁ父親にコンプレックスを持つというのは,実際に自分の障害になっているか,もしくは自分と同じベクトル上に存在するって事なんでしょう。そうでなければ,父親が偉大かどうかというのは,自分をきちんと育ててくれたか?…という点だけになるように思います。そういう意味では,自分が自分の息子達をきちんと育てられるかどうか?…という意味では,わたしもまだ父親を越えたという実感はありません:-)。
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コミュニケーション能力

2013-01-23 20:38:08 | 育児・教育
そもそもコミュニケーション能力ってなによ」って文を読みました。読んでいてハッとしましたが,「コミュニケーション能力」って言葉の意味って共有されてないのか…。

昨今,就職の条件というか必須能力として「コミュニケーション能力」というのがあったりするようで,じゃぁ,エセ教育者である私(学生と接する機会はあるけど,そう言う相談受けたことない^^;…。)としては,やっぱりきちんと答えられないといけないでしょう。ついでに書くと,わたしは「コミュニケーション」研究の専門家ですし(笑)(…ちなみにここのコミュニケーションは「通信」の事です)。

リンク先には,大雑把に「人とうまくやってく能力」だろう…と書かれてます。しかしこれでは正確に定義できないから,「あいさつ」とか「人と話すのが苦にならない」とか「愛敬がある」とか細くわけてとらえていて,で,その中で必要なものは,学校と会社とか…という社会毎に異るのでは?…との結論でした。

うーん,わたしは自分はコミュニケーション能力はあると思ってますが,そういう風に考えたことはありません。私の定義ではコミュニケーション能力というのは「相手の言ってること(伝えたいこと)がわかること,自分の言いたいこと(伝えたいこと)を相手にわからせること」,これだけです。つまり「意思の相互伝達」能力ってこと。相手とうまくやっていくとか,愛敬がいいとかいうのは,あまり関係ありません。相手が何をして欲しいかがわかって,それに対して何かを返してあげれば結果としてうまく行く場合が多いし,わかっても何もやってあげる気が無かったらうまく行きません。コミュニケーション能力があってもうまく行くかは,自分の気分とか能力とか力量によります。

私は自分の定義はそんなに異常とは思ってませんが,ただ,上に書いた通り,わたしが「通信」屋であること,また音響の心理屋でもあり,人が音響情報をどう理解してるか?を学術的に考える立場にあるために,ある人の情報や感情を相手にどう伝えるか?…と言うことをコミュニケーションととるのでしょう。そもそも「通信」は「コミュニケーション」の訳語ですし,意味的にも大きな祖語は無いように思います。

で,相手の言ってることがわかるか?,相手に言いたいことを伝えられるか?…っていうのは実は簡単ではありません。人は思ってることを正確に表現できません。また自分の欲求を自覚でき無い人も多くいます。女性が男性に「あなたは仕事が大事なの?」とヒステリーを起こしたときに「御免ね,寂しかったんだね」と答えろという話があるように(笑),人はやって欲しいことを素直に言葉にしないものです:-)。

ちなみに自分で相手に何かを言いたいときも,実は自分でやって欲しいことをわかってなかったりする場合も多いです。

というわけで,意志伝達という意味でのコミュニケーションもそんなに簡単ではありません。わたしはその能力があると書きましたが,そもそもわたしは人の話を聞くときに,何を言ってるかというより「この人は何を伝えたいのだろう?」ということばかり気にして聞きます。だから話の細い事は聞いてないことが多い(苦笑)。でも結局こういうことを伝えたいのだな…って事がわかれば,何かしらの対処ができ,まぁうまくやれば相手とうまくやっていけるし,うまくやりたく無い人とは,それなりにスルーしたりします。

まぁ相手の気持ちがわかった上で答えるところまでをコミュニケーション能力という気持ちもわかりますが,相手の気持ちに答えるには,それこそ千差万別の対処法が必要で,それも含めて必須能力とするのは無理があるでしょう。最初のリンクにあったように社会人と学生では違う…というのはその部分です。

…というわけで,学生の諸君に話す機会があれば,コミュニケーション能力といわれて,人とうまくやっていく事とかを考える前に,まず相手の言うことをちゃんと理解するとか,相手にきちんと伝えられるとか,そこをまじめに訓練した方がいいよ…と答えたいです。とはいえ,若者相手に質問とか投げても誰も答えない場合も多く,何考えてるかわからないケースが多いですが。


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スマホとクリエイティビティ

2013-01-21 20:47:30 | 育児・教育
先日アメリカでiPhoneを子供に買って上げた親の話とか,あと前回書いた教育にスマホとかタブレット等の機器を使うとかそういう話で,子供の頃から,最新IT機器を与えるべきか?という話を聞くと,ずっと引っ掛かっている事があるので。

ネットを使っている大人はIT機器に親しんでいる事もあってか,ネットでは子供にIT機器を与えることには肯定的な意見が多い気がします。更に今の子供普通に使っているとか,子供のうちからIT機器に親しんでいた方が良い…という意見も聞きます。これらの意見には一理ある…と思いつつ,やっぱり引っ掛かる点が多いです。

「子供」が何歳か?という問題もありますが,とりあえず自分で買えない歳くらいとして…。

結論めいた事を書くと,ある程度親が監視することを前提として,わたしはPCだったらある歳になったら買ってあげても良いかな…と思ってます。もしくは親が使っているものを使わせる。ゲーム機はあまり買い与えたくないです。特にDSとかのように外で使えるものも。自宅で使うものは,まぁ使わせるかも知れないけど。そしてスマホとかタブレット,これもあまり使わせるメリットを感じません。

IT機器に慣れ親しんでおくべき?という意見に関しては,ゲーム機とスマホに関しては実はあまり納得してません。PCについては,そうかもなぁ…とは思ってます。理由は一言で書くと,スマホやゲーム機は「消費者」として機器に接することが圧倒的に多いからです。PCの場合は消費者だけではなく,制作者として関わることもけっこうできます。違った言い方をするとPCは「道具」として機能しますが,スマホやゲーム機はあまりそういう使い方がしにくい様に思います。

自分がiPodとかを使っていて思うのは,とにかくアプリの言うままに操作してるだけ…ってことです。そこで自分が何かを産み出しているという感覚が殆んどありません。もちろん,メイルを書いたり,写真を撮ったりも出来るんですが,メイルは書くのはPCの方ができるし,外で書くときはガラケーで書いています。写真はディジカメで取った方が,速いし綺麗です。ゲーム機はあまり使わないので良くわかりませんが,基本的にはアプリでゲームをするものでしょう。

一方PCだと仕事で使ってることもありますが,ドキュメントを書いたり,プログラムを書いたり,音楽を作ったり,いろいろ出来ますし,実際いくつかしてます。Webの閲覧もしますが,それ以外の使い方も結構してます。

子供に小さいときから慣れ親しませるとしたら,こういう道具として使い創造性を鍛えるには重要かと思いますが,出来合いのソフトの言うままに操作していく…って事が本当に必要なんだろうか?…という気がします。

もちろんスマホでも創造性をもった使い方もできます。うちの3歳児はiPadでお絵書きをしたり,ピアノを弾いたりします。でもYoutube見てる時間の方が長いです(苦笑)。絵を描いたりするんであれば,PCとかの方が自由度は高いはずです。そもそもスマホは持ち歩けるコンピュータであり,スマホ出来ることはPCでも出来るわけで,スマホである必要はありません。スマホ出来てPCでやりにくいことというと,外に持ち歩きどこでも操作できる…ことですが,それが子供に必要なのか?…と思います。同じ理由で携帯ゲーム機器にも抵抗があります。

もちろん将来ゲームソフトとかITサービスを開発する仕事につくとしたら,消費行動を知っている必要がありますが,それって子供の頃に身につける能力なんだろうか?…という気がします。むしろどっぷりはまるとそういう事って冷静にみれなくなるようにも思います。

最近PCからスマホとIT機器のトレンドが移ってきて,技術に詳しくないユーザにも急激に拡がってます。そして子供にも扱いやすくなりました。でも,わたしがそれを使っていていつも思うのは,消費者として機器に接しているという自分です。正直開発メーカに飼い慣らされているような感覚があります。

本当に最新のIT機器に慣れ親しむことが創造性を鍛えることになるんでしょうか?。わたしはIT機器の発展は(ユーザを広げるためではありますが),ユーザの創造の機会を奪っているような気もします。そういうわけで,道具としての可能性が少ないスマホやゲーム機を子供に与え,子供の時間を奪うには抵抗があります。
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最先端と教育

2013-01-14 10:27:17 | 育児・教育
WIREDにシンガポールのICTを使った教育の話が載ってました。あまりちゃんと読んでないのですが,スマートフォンとかタブレットを使った初等教育の試みの様です。

私はこういう新しいデバイスを使った授業についての是非は良く分かりません。というか良く迷います。黒板やホワイトボードに書く代わりにスライドを見せる程度であれば,そこまでは迷いません。でもノートの変わりにタブレットを用いるとか,授業の中でネットにアクセスして検索を行うとかなると,その授業には弊害はないのだろうか?とかよく思います。

もちろんメリットもあるでしょう。またこれからは幼少の頃からITデバイスに馴染み使いこなすことが必要というのもわからないでもありません。でもどうなんですかねぇ。

ひとつだけいえるのは,これまで初等から高校まで,また大学も10代や20代の若い人を教える場合,多くの場合教員は自分の経験を省みながら教えることができたと思います。まぁ初等教育は記憶というよりは方法論があるのでしょうが,それでも自分の子供の頃の記憶を頼れば多少は教える内容の是非も判断できます。高校や大学にいたっては,そこで教育に携わる教師は,勉強ができた人ですから,教える内容の是非は自分の経験を基にすることもできます。

実際私は大学である科目を教えてますが,自分のこれまでの大学で勉強をしたことの経験を元に教えてます。もちろん,それだけで教えられるとも思ってませんが,やはり自分が知識をつけて行った過程を振り返ることは自分が教えることの自信の元になるわけです。

さて,ICTを使った新しい教育というと,おそらくそれを教える教員は自分の経験と照らし合わせることができません。そういう道具を使い,ノートや筆記道具,また本の辞書などをあまり使わずに勉強することで本当に知識や知恵がつくのか?,分かるんでしょうか?。おそらく誰もわかりません。そして生徒が何かつまづいた時に,教師は自分の経験は使えません。新しい教育のカリキュラムは専門家が作るのでしょうけど,その考え方が現場の教師に正しく伝わるのか?…かなり難しいのではないか?と思います。

そういう意味では,懐疑的とはいいませんが,すこし不安です。

ちなみに上に私は黒板に書く代わりにスライドを見せる程度…と書いてますが,実際パワーポイントのスライドを使って授業をすることでも,生徒のノートの取り方や進めるスピードが,本当に学習の障害になってないのか?よく不安に思います。自分は先生が板書してるのをノートに写して勉強をしたからです。

さらに新しい道具を使うのって大丈夫なのかな?という気がします。10年後くらいに結果は出るのかもしれませんが,10年後にはさらにITの道具の状況は変わっているでしょう。そういう普遍性のないものを初等教育に使うのって…どうなんでしょうね?。
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ひとつの会社でスキルアップするという流行

2013-01-12 17:20:32 | 育児・教育
“スキルアップ幻想”の終焉」という記事を読みました。10数年前に転職を通じてスキルアップする事で勝ち組に…という事を訴えてきたジャーナリストが,「そうは言ったけど,現状を見るとどうやらそうでもなくて,転職を続けた人よりひとつの会社に長くいたほうが結果的に元気なんだよね,とか言ってる文章です。

ひどい話です。思い込みのデマを撒き散らして,今度はそれが間違っているって書いて金儲けをしようとしてる;-p。

同じような話として,私はバブルの頃にフリーターがもてはやされた事を思い出します。あの頃は,フリーターこそ自由な生き方の様にいう人たちがいましたが,その後フリーターになった人たちがどうなったかは書くまでもありません。

さて転職の件でいうと,私が就職した20年前にも既に,転職してスキルアップみたいな話は若干出てきてました。私は「転職するなら35歳まで」みたいなことを信じていて,その年代までに転職するに足りるスキル(専門性)が自分につくか?って事を考えていた気がします。そして35の時に,ちょっと無理みたい…と思ったので,むしろ今の会社でスキルとか立場を向上させることのほうに注力するようにしました。結果として,私の場合はここで言う「ずっと同じ会社にいて元気がある人」にあたると思ってます。

もうひとつ少し文脈は違うのですが,あるIT企業の経営者が「僕が学生ベンチャーを応援しない理由」という文を書いてるの読みました。この中にも転職を相談された場合,職種を変えるのであれば,すぐに(ただし30超えるともう遅いくらい),職種が同じであれば,最初の会社でスキルアップをしないと価値がなくて,それには最低10年はかかる,という様なことを書いてます。

この文は他にも興味深いことがいろいろかかれてましたが,転職に関して言うと,やっぱりひとつの会社に長くしてスキルアップをする事のメリットを書いてます。

なんとなくここに来て「転職ってあまりいいことないよ」という風潮が出てきてるような気がします。ちょっと風潮が変わったな…って感じでしょうか。

個人的な経験からいうと,私はひとつの会社に長くいて,スキルアップしてるので,ひとつの会社でスキルアップすることのメリットを知ってます。でもひとつの会社にずっといて腐っていってる人もたくさん見てます。一方で転職を繰り返してもそれなりの仕事をしている知り合いもいます。結論から言うと,どっちも成功する人とそうでない人がいるってだけです。成功する人にどういう共通点があるかはよく分かりません。ないかもよくわかりません。だからどっちがお勧めって事はないのだと思います。

まぁ転職してうまくいってる人は,転職に抵抗がないのがすごいなぁと関心してしまいますが。

ところで,そうはいっても昨今の就職事情,どこでもいいから就職して…っていう考えが学生に強いので,転職っていうのを考えるんでしょうね。私の時代はバブルで売り手市場だったので,本当に行きたい会社しか受けませんでした。だからすぐに転職って事は考えなかったのだけど,まぁこういう就職の仕方を今の学生に求めるのも難しいのでしょう。ただ,やっぱり就職する前に,自分がその会社に勤める意味みたいのは自分なりに整理しておいたほうがいいんじゃないかなぁと思います。
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大学生を経済的に支えるには?

2012-03-05 06:18:58 | 育児・教育
先週ニュースを見ていたら大学生への親の仕送りが30年ぶりに7万を切ったというのをやってました。この仕送りに授業料と住居費が含まれるかが良く分からないのですが,多分授業料は含まれず,住居費は文脈上含まれるようにも読めますが…,混ざってるのかも知れません。その辺は元の調査結果を見ないとなんとも言えないか。

子供を持つ親としては子供が大学に行き,自宅を離れたとして,それを支えることができるか?…というのはかなり関心のある事です。高校まではおそらく自宅から通うことになるとして,大学の場合,子供が行きたい大学,子供の成績,わたしの住んでいる場所,わたしのその時の経済状況…等,いろいろ不確定要素が多く,現時点では判断ができません。蓄えがあれば大丈夫…と言いたいところですが,学費はともかく,子供がどこに住むのか?…でかなりかかる費用が変わるので,全てにOK…という事は多分難しいと思います。

ちなみに7万の仕送りというのは約25年程前,わたしがもらっていた仕送りがそんな感じでした。ただし授業料は親が別途払っていたし,当時は寮生活でしたが,確か寮費が親が払っていたのではなかったかしら?ただ,寮費月に数千円というレベルで,一年分まとめて払ったとかだったと思います。…それで生活できるかというと出来てました。バイトもしましたが,ほとんど不定期のバイトで,月に1,2回程度徹夜のバイトをしたくらい。それで1万程度もらえば,かなり裕福感がありました。

大学院にいくと,奨学金を月に7万くらいもらえたので,仕送りは5万に減らしてもらいました。寮を出たので,家賃は自分で払いましたが家賃は4万はしなかった…いや3万くらいだったかなぁ。あと大学院の時は週一でバイトに行ってました。大学院で奨学金をもらえたのは,その頃親が公務員を退職して収入が減ったからで,学部時代は,確か無利子の奨学金はもらえなかったので,もらわなかったように思います。

そんな感じでしたが,お金に困って生活できないとか,バイトに忙しく勉強に身が入らない…という事はありませんでした。でもこれって,やっぱり大学が福岡…という事情が大きいんだろうなぁ…と思います。主に効くのは住宅事情。

そういえば,大学の寮ってどこの大学でもあるんだっけ?って調べたら,全国の学生寮一覧というのを見つけました。うーん,と思ったのが,案外首都圏の大学は寮を持っておらず,逆に地方だと国立はもちろん私立も持っていて,月1万以下で済むということ。首都圏は下宿や学生会館というのもあるんだけど,下宿はともかく学生会館は食事付きである以外は,民間のワンルームアパートと比べてもそんなに安くないと感じました。正直これだったら,もし東京以外に住んでいたら,子供を東大にやるより(いける可能性も高くは無いでしょうけど(苦笑))は例えば阪大や京大や九大にやった方が,親としては遥かに助かるって事になります。

自分が大学に進学したときに,親の経済状態を考慮したか?…と言われると,実ははっきりと意識はしてませんでした。ただ親からは寮にはいれと言われて別になにも思わず「分かりました」って感じだったし,少しはそういうものと思っていたのかもしれませんが,一応滑り止めで首都圏の私立も受けていて,そっちに通ったらどうするつもりだったんだろうなぁ…とかちょっと今となっては思います。

さて,今日こういうネタを書いたのはNHKのニュースもあるけど,むしろ日本の大学は学費も高いし奨学金もないと書かれたという記事を読んだから。ここで取り上げると,奨学金とか学費自体よりも,寮があるか?…というような福利厚生の面倒を誰が見るか?…の方が影響あるんじゃない?…という事になってしまいます。つまり学費と奨学金だけでは,信学の困難さ…について語れないと。確かに私立の年間100万以上する授業料を考えると,ムチャクチャ大きいですが,国立の場合その半分以下だから,親の負担はむしろ住居費の方になるとかそういうのもあるでしょう。奨学金については,育英会だけじゃなくて企業の奨学生とかその辺の税制の話もあって,やっぱり簡単に各国を比べるのは難しいかな…と思ってます。

自分の子供が大学に上がる頃は,どういう情勢になってるかなぁ。自分の経験からすると,バイトをしないとやっていけない…という状況は良くないですが,ギリギリ切り詰めればOKなのであれば,学生の貧困と独り暮らしは,その後社会人になるときに,経済観念をしっかりつけるという意味では,良い経験だと思うんですけどね。


…。

余談ですが,最後のリンク先に載っていた,各国の進学率で,日本以外が女性の方が大学進学率が高いというのに驚きました。外国の大学って…,日本の大学と位置づけが違うんだろうか?…と良く分からなくなりました。

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