たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

仕事の能力は処遇でけりが付いている

2013-04-15 08:24:28 | ココロ
数日前ネットで話題になっていた「正しすぎて辛い」という匿名日記(愚痴)。

大企業で次長を務めるくらいの旦那を持った妻(事務員)が,旦那が時々いう部下の愚痴を自分に照らし合わせてしまい,居たたまれなくなる…という話。

てもなかなかすんなり入ってこないのでしょう…。実際はこの夫婦は役割分担ができてると思うんですけどね。

人には得意不得意があるのは当然だし,それが社会的にきちんと評価されている場合,特にきにやむ必要は気がします。つまり仕事を沢山こなしている人が給料を沢山もらっているのであれば,仕事をこなせなくて給料をあまりもらって無い人は,気にする必要はない。仕事に見合った分だけお金をもらってるのだから…とわたしは最近思います。同じ給料の場合も出来る人は,そのうち出世するのだから,それでチャラだと思います。

仕事をこなす能力というのは,別にその人の人格を示すものではありません。出来るから立派…というのではなく,出来る等のは会社で給料や職位でけりがつくだけのものです。会社で仕事をしてると,どうしても仕事をうまくできなかったり沢山出来無い人がいますが,それはその人の仕事に対する能力みたいなものです。それは訓練次第で伸びる人もいるし,そうじゃ無い人もいます。そうじゃ無い人は,それはそれでいいんじゃないでしょうか?…。ダメってなると異動になるのだけど。

日記は仕事の能力の話だったので,普段の生活の話がわからないので,言及できませんが,人間の価値は仕事だけで決まるわけではないので,そもそも仕事の出来る出来ないで,あまり落ち込むものでも無い気もします。

ところで,この日記は「正しすぎて辛い」という言葉を何度も書いてますが,これを読んで,わたしが以前「正論は暴力」と書いたのを思い出しました。正しい事って実は一つじゃないのに,正しい風に言われてしまうと,それが唯一のように見えてしまって危険です。正しい事はわざわざ言う必要がないのに,言葉が見えてしまう場合,「実は正しくないんじゃないか?」と思うことも大事な気がします。

そういえば,昨年の大河ドラマ「平清盛」で時忠が言ったセリフ「正しすぎるということは、もはや間違うておると同じにござりましょう」は実に名言だと思います。ふと思い出しました。
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サービスを受けるということ

2013-04-12 08:33:59 | 社会
そんなに頻繁ではないのですが,たまに家族で食事などに出かけることがあります。うちには0歳と三歳児がいるので,彼らも連れて行くことになります。まぁファーストフードみたいなところから,普通のレストラン,そして個室のあるレストランまでさまざまです。

ですが,基本的に小さい子がいるので,いろいろと気を使っていただくことになります。いろんな店に行くので,対応はさまざまですが,基本的にはお店はにこやかに対応してくれます。声をかけてくれるだけのところもありますが,子供用の食器や椅子を出してくれるところ,また子供を寝かせるところを用意しくれたり,子供用におもちゃを出してくれるところもあります。もちろん,後半に書いたのは結構値が張るお店です(^^;)。

昨今,お客がサービス業に過剰にサービスを要求する…といわれていますが,今挙げたような話は,ほとんどこちらから何も言わずに向こうからやってくれたことです。もちろん子連れ歓迎の店に行っていたり,予約をするときに乳幼児がいることを伝えていて,それで受け付けてくれてるからでしょうが。

もちろん,こちらはそういうサービスに対して感謝の意を表します。もしかしたらお店によっては何かしらサービス料を取っているかもしれませんが,そうでないところがほとんどだと思います。ですから,こちらは頭を下げて,感謝をします。

よく聞く過剰にサービスを要求する…というの話は,客がお店に対して,何かを要求するときに無理を言ったり,もしくはクレームをつけたりする話のような気がします。でも自分はそういうことをやりませんが,それでもお店から十分なサービスを受けていると感じています。

つまりサービスを受けるというのは,相手が困ることを自分のためにやらせる…ということではなくて,相手が自分にサービスをしたいと思わせることではないか?と思います。そうすればお互いにいい気持ちでサービスを受けられます。ですが,どうも世の中には無理を言うことがサービスを受けることだ…と思ってる人もいるようですね…。
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身を削って得る…ってこと

2013-04-04 22:19:48 | 育児・教育
甲子園で我母校を破った済美はその後を勝ち進み決勝戦に達しました。エースの安楽君は初戦で延長戦になったもののその後も投げ続けてました。凄い投手だなぁ,というのがまずは感想でした。

ですが,乙武さんが連投を喜べない,故障のことを考えるべきだというような話をはじめたのを読んで,確かに高校野球の連投で肩を壊しプロへの道を断念する人もいて,やはりやりすぎなのかも…と一瞬思いました。ところがこのツィート更に読み進んでいくと,「高校で野球辞めるやつも山ほどいるし燃え尽きたいねん」というツィートをする人がいて,はっ…としました。

高校野球の人口は壮絶なくらい多いと思います。もちろん各高校で取り組み具合いは異りますが,甲子園に出たり地区大会でトップの高校の野球部の部員はかなり練習に時間を割いているのではないでしょうか?。中には学校の勉強より優先して野球の練習をしている学生も多いはずです。そしてそういう中から甲子園に出場,40校以上いるわけですから,それだけ600人以上部員がいます。でもこの中で野球で食べていける人ってどれくらいでしょう?…。

実は今回母黌の後輩たちを見ていて,彼らは将来は野球と全く違う道に進むのだろうなぁ…とか考えてました。今回同級生とも再会しましたが,わたしの同級生の野球部部員もサラリーマンになっている人が多いように思います。変わり種で外国で会社経営をやっていたり,政治家になっている人もいます。様々です。野球やスポーツを続けている人もいるでしょうがアマチュアレベルだったり子供の指導だったりします,たぶん(全員しってるわけじゃないので)。今回甲子園に出た後輩たちも,進学して野球を続ける人はいるでしょうが,プロになる人はいるんだろうか?…とか思いました。

そう,大半の高校球児はいつかは野球を辞めます。日本の職業野球の就職事情は,甲子園に出た選手を,ほんの一握りしか受け入れることは出来ません。

そうであれば,そのピークを甲子園に持ってきて,その後は満足な野球ができないからだになっても良い…という考えがあっても仕方無い気もしてきたのです。肩を壊したからっていっても,障碍者になるわけではありません。通常の生活や通常の仕事であれば問題にならない場合も多いと思います。アマチュアレベルであれば野球も続けられるかも知れません。ある意味,高校を出た後に完璧な体を維持していても持て余す可能性もあります。

…もっとも今回の安楽君を見てると,彼はプロでもやっていける可能性があるので,彼が肩を壊すのはもったいない…という気もします。でも,それって彼のため…というより,良いプロ野球選手をみたい…というファン意識も入ってる気がします。

まぁぶっちゃていうと,選手の数が15人だとか延長が15回だとかいうのもルールなのですから,投球数に制限を設けるルールをつくっても良いように思います。確かに有利な高校とか出てくるとは思いますが,現在のルールでも有利なところと不利なところがあるのですから。

あと,もし安楽君が自分はプロの投手になりたい…というのであれば,きちんと体調管理をするとか,監督やチームメイトとぶつかっても,それを守るという意識は必要かな…とは思います。そうじゃないと今は良くてもプロになって体を壊します。

最後に。スポーツで体を壊すのは良くない…という考えが基にあるのかも知れませんが,人は何をやっても体を壊すリスクがあります。わたしは40近くでガンになったときに,普通にオフィースワークをしていても,体を削って働いていたのだな…と思いました。人は働いてお金を得たり,欲しいものを得るために,体を削るのは案外当たり前のことなのかも知れません。

だからといって過労死や自殺を肯定してるわけでもなく,その程度や状態をきちんと管理して自分で納得するなりコントロールするなりした方が良いということが言いたいことです。
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父を越える?

2013-04-01 22:32:24 | 育児・教育
あなたは自分の父親を越えられたか?という分析データを見ました。おもしろい。自分の父親より社会的地位が向上してると思うか?と男性に聞いたらしい。日本が極めて低い…とこれを書いた人は言ってます。

自分の父を越える…というのは各人考えるポイントが違うと思いますが,わたしは自分の父親にコンプレックスはとうに持ってません。就職する頃には持ってませんでした。大学生の時に持っていたかどうかは良くわかりません。

このアンケート何歳の男性に聞いたか国によって違うそうですが日本は16歳以上とのこと。16歳で父親を越えた…と思う男性ってそんなにいるんでしょうか?。まぁでも自分はコンプレックスは無かったなぁ。比較というより単に反発でしたが。

わたしの父親はノンキャリの公務員でした。だからか,小さい頃成績が良かったわたしに,東大を出てキャリア公務員になれ…と言ったことがあります。多分「イヤだ」と反発したので,結構しつこく言ったのでしょう。おかげでわたしは父親の仕事にも興味を持たず,従ってその分野に進むこともなかったので,父親を越えるという発想はそれ以来もってません。まぁでも考えたら,うちの父はノンキャリでもちゃんとそれなりの役職について退職したようなので,わりと成功者だったのかも知れませんね。庭付きの家を買い,退職後も自営を開業して,経済的にもずっと自立してるので,ある意味,今の私よりまだ勝ってるのかも知れません。わたしは家も持ってないし,退職後の仕事がどうなるかわかりませんもの。

でも一方で,自分は学位をとったり論文を自分の名前で出したりしてます。バイクに乗ってレースに出たり,プロのミュージシャンとちょっとだけだけど交流もあったりして,それなりにやりたいことを幾らかは実現できてます。仕事以外に何が趣味かわからないとわたしが思っている父親に比べれば,そっち方面では充実してる自信はあります。

…という風にわたし自身は,父親と自分を比べるときに,地位という発想がないので,地位が下がってる…っていうのはイマイチ良くわからないのだけど。父親の同じ年齢の時に同じくらいの収入があるか?…って意味では,状況が違いすぎて比較しようがないかな…。

まぁ父親にコンプレックスを持つというのは,実際に自分の障害になっているか,もしくは自分と同じベクトル上に存在するって事なんでしょう。そうでなければ,父親が偉大かどうかというのは,自分をきちんと育ててくれたか?…という点だけになるように思います。そういう意味では,自分が自分の息子達をきちんと育てられるかどうか?…という意味では,わたしもまだ父親を越えたという実感はありません:-)。
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